第37話:会議と決断のインターバル
県大会決勝リーグ第1戦、黎明高校 対 海浜商業高校。
激闘を制した興奮冷めやらぬ、翌日の昼休み。
黎明高校の図書室の奥、普段は誰も使わない特別学習室に、如月蓮の呼びかけで五人の人物が集まっていた。
「……で? 何の集まりだ、これは」
腕を組み、不機嫌そうにパイプ椅子にドカッと腰を下ろした鮫島豪が、眉間に深いシワを寄せて部屋を見回した。
その隣には、おにぎりをモグモグと頬張る白石岳と、静かに参考書を開いている黒木凌、そして右膝を丁寧にマッサージしている陣内誠。
そして、机の反対側に座っているのは――黒髪のポニーテールを揺らす綾瀬涼香と、弾んだショートカットの橘葵だった。
「俺が呼んだんだ」
俺――如月蓮は、ホワイトボードの前に立ち、持参したスポーツバッグからいくつかの分厚いバインダーを取り出して机の上に置いた。
「昨日の海浜商業戦、お前たちも感じたはずだ。俺たち1年生5人だけでは、決勝リーグの連戦を完璧にコントロールするのは限界がある。俺がコート上でゲームメイクとスタミナ配分を同時に行おうとしても、激しい肉弾戦の最中では必ず視界の死角や判断の遅れが生じる。交代メンバーの小林や高橋大地を含めても、現場のマンパワーが圧倒的に足りていないんだ」
俺は涼香と葵を見据えた。
「神崎先生一人では、部員全員のアイシングやテーピング、水分量の計算まで手が回らない。それに、次の対戦相手である翔陽学園の戦術分析も、俺一人でビデオを擦り切れるまで見返す時間的余裕がない。だから、ベンチの外から冷徹に俺たちを監視し、客観的なデータと身体の異常をリアルタイムでフィードバックしてくれる『眼』が必要だ。……綾瀬さん、橘さん。単刀直入に言う。俺たちのマネージャーになってくれないか」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけピタリと止まった。
「……えっ、私たちが?」
葵が驚いたように目を丸くし、自分の顔を指差した。
だが、涼香は驚くどころか、眼鏡の奥の瞳を知的に細め、机の上で指を組んだ。
「驚きはないわ、如月くん。昨日の試合の第4クォーター、あなたがベンチから白石くんにドライブを指示した時、あの瞬間のあなたの表情を見て、あなたが本当に求めている『バスケットボール』の解像度の高さは理解したつもりよ」
涼香は自分の鞄から、昨日つけていたノートを取り出して机に広げた。そこには、几帳面な文字で海浜商業のシュートエリア別の成功率や、開明のタイムシェアの計算式がびっしりと書き込まれていた。
「でも、生半可な気持ちで引き受けるつもりはないわ。私はデータやロジックが好きだけど、ただの雑用係になるつもりはない。私がマネージャーになるからには、相手チームの戦術分析からあなたのタイムシェアの計算まで、完全に口を出させてもらうわよ」
「望むところだ。俺の脳の外部ストレージになってくれ」
俺が即答すると、涼香は満足そうに口角を上げた。
「あ、あのね、如月くん!」
葵が慌てて手を挙げた。
「私、データとか難しい戦術とかは涼香ちゃんみたいに分からないけど……実家の整骨院でずっとスポーツ選手を見てきたから、筋肉の張りとか、怪我の予兆なら少しは分かると思う。テーピングとかアイシングの準備なら手伝えるよ!昭和の根性論で使い潰される選手をこれ以上見たくないの」
「それが何より助かる。連戦における筋疲労とグリコーゲン枯渇は深刻だ。俺も限界まで身体をケアしているが、どうしても試合中のアドレナリンで自分の痛みに鈍感になる時がある。外から見て『休ませるべきだ』と判断したら、遠慮なく神崎先生に進言してくれ」
「うんっ! 任せて!」
葵が満面の笑顔で頷いた。
「おいおい、ちょっと待てよ蓮」
鮫島が椅子を軋ませて身を乗り出した。
「マネージャーが入んのは大歓迎だがよ、なんでわざわざ俺たちを呼び出したんだ? 監督の神崎先生に言やあいいだろ」
「お前たち全員の同意と、覚悟を確認しておきたかったからだ」
俺はホワイトボードに、二つの校名を書き出した。
『翔陽学園』
『帝陵高校』
「決勝リーグの残り二試合。翔陽学園は県内屈指のアウトサイド・シュートチームだ。そして帝陵高校は、俺たちの前に立ちはだかる五連覇の絶対王者。この二校を相手に、俺たちの未完成な肉体で連戦を勝ち抜くには、これまでのやり方を根本から変える必要がある」
俺は白石と鮫島を見た。
「白石、お前は次の翔陽学園戦、前半は完全に休ませる。鮫島もだ」
「なっ……!?」
白石が持っていたおにぎりを落としそうになり、鮫島が顔色を変えた。
「おい蓮! なんで俺たちが休まなきゃならねえんだよ!」
「翔陽学園のオフェンスは、徹底したファイブ・アウトからのスリーポイントだ。インサイドに引きこもるセンターがいない以上、白石の機動力では外角のシューターを追いかけきれない。そして鮫島、お前は昨日の打撲のダメージが深く残っている。明日の翔陽戦で無理をしてファウルをもらえば、明後日の帝陵戦に万全で出られなくなるぞ」
「けどよ……俺たちが出ねえで、どうやって翔陽に勝つってんだ!」
「それを今から、全員で共有する」
俺は教室のテレビデオにVHSテープを押し込み、再生ボタンを押した。画面には、粗い画質で翔陽学園の過去の試合映像が映し出される。
「綾瀬さん。昨夜渡しておいた翔陽学園のスタッツ、分析は終わっているか?」
「ええ、完璧よ」
涼香が立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。
その横顔は、すでに黎明高校のデータアナリストとしての凛としたプロフェッショナルの顔だった。
「翔陽学園の得点源の七割は、スリーポイントシュート。特に両ウィングに配置された二人のシューターの成功率は、県内トップの45%を超えているわ。彼らの武器は、徹底したスクリーンを使った『オフ・ザ・ボール(ボールを持たない状態)』の動きと、ガード陣のピック&ロールよ」
涼香はマグネットを使って、翔陽学園のフォーメーションを再現した。
「でも、弱点がないわけじゃない。VHSの映像をコマ送りで確認したんだけど、彼らのシューターは、ボールを受け取る前に必ず『右足から』ステップを踏み込む癖がある。さらに、スクリーンをかけるビッグマンの重心が高いため、スクリーンの強度はそれほど高くないわ」
「つまり、相手がボールを持つ前に、右足の踏み込みのコースを物理的に塞いでしまえば、シューターのリズムは完全に崩れるということか」
陣内が感心したように顎を撫でた。
「その通りよ。だからこそ、如月くんが言ったように、インサイドでどっしり構える白石くんや、ファウルのリスクが高い鮫島くんは、この試合のディフェンスシステムには合わないの」
涼香の冷徹な分析に、鮫島も白石もぐうの音も出ずに押し黙った。
「明日の翔陽戦のディフェンスの要は――黒木。そして、控えの小林たちだ」
俺は黒木を見た。
「黒木。お前の長いウイングスパンとスライドステップで、相手のエースシューターを四十分間、徹底的にフェイスガードしてくれ。ボールを持たせるな。ボールを持ったら、シュートモーションに入る前にファウルすれすれで距離を詰めろ」
「……分かった。俺の腕で、完全に視界を塞ぐ」
黒木が静かに、だが確かな闘志を込めて頷いた。
「そしてオフェンスは、陣内」
俺は陣内を指差した。
「相手がアウトサイドのシュート合戦を挑んでくるなら、俺たちも真っ向から受けて立つ。お前のスリーで、相手の得意な土俵で撃ち勝つぞ」
「へっ……プレッシャーかけやがるぜ」
陣内が笑みを浮かべ、右膝を軽く叩いた。
「でも、俺のワンモーション・シュートなら、絶対に負けねえよ」
「……よし」
俺はホワイトボードのペンを置いた。
「明日の翔陽戦を乗り切り、体力を温存して、最終戦の帝陵高校にすべてをぶつける。これが、俺たちの全国への最短ルートだ」
「みんな、身体のケアは私がしっかりサポートするからね! 水分補給のタイミングも、全部私が管理するから、安心してコートで走ってきて!」
葵が力強く両手でガッツポーズを作った。
「データとロジックは私に任せて。あなたたちが勝つための数式は、私が完璧に証明してあげるわ」
涼香が眼鏡を押し上げ、不敵に微笑んだ。
「助かるよ、綾瀬さん。君のデータ分析があれば、俺たちはコート上で迷わずに済む」
未完成な5人の選手に、最高の頭脳とケアの眼が加わった。
蓮の知性と、それを支える仲間・ヒロインたちの連携。
黎明高校男子バスケットボール部。
真の『チーム』として覚醒した彼らの、全国への切符を懸けた次なる決戦の火蓋が、静かに切られようとしていた。
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