第36話:勝利の余韻と、繋がれる体温
ピーーーーーッ!
試合終了のブザーが鳴り響いてから、すでに一時間が経過していた。
控室兼用の用具室に充満しているのは、サロンパスの独特な匂いと、激闘を戦い抜いた男たちの熱気を含んだ汗の匂いだ。
床に転がるように腰を下ろした白石岳(198センチ・110キロ)は、両太ももにアイシングの氷嚢を巻きつけながら、荒い息を整えていた。
「はぁ……勝ったんだよな……僕たち……」
「当たり前だろ。最後まで俺のゴール下を破らせなかったんだからよ」
その隣で、鮫島豪(186センチ・85キロ)がスポーツドリンクのボトルをあおりながら、痛む脇腹をさすった。
その体には、黎明高校のバスケットボール部が揃えて新調した、紺と白を基調としたお揃いのジャージが羽織られている。まだ創部一年目で部員も少ない無名新設校だが、神崎コーチが奔走して用意してくれたその統一ジャージの背中には、誇らしく『REIMEI』の文字が縫い付けられていた。
ジャージの裾から覗くそれぞれの背番号――。
キャプテンであり司令塔の如月蓮(178センチ)は、番号『4』のジャージのジッパーを少しだけ下げ、静かにフォームローラーでふくらはぎの筋膜リリースを行っていた。
「……お疲れ様、みんな」
控室の扉が静かに開き、顔を覗かせたのは、同じクラスの橘葵だった。
彼女の手には、選手全員分のスポーツドリンクや、水分・ミネラル補給用の特製ドリンクが入ったクーラーボックスが抱えられている。その背後には、同じくクラスメイトで、学年トップの成績を誇る綾瀬涼香の姿もあった。
「橘さん、綾瀬さんも。わざわざ来てくれたんだね。ありがとう」
蓮が顔を上げると、葵はホッとしたような、泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
「みんな、本当にお疲れ様……! 誰一人として大きな怪我もなく、自分の足でコートから戻ってきてくれて、本当に良かった……」
葵はクーラーボックスから冷えたボトルを取り出し、真っ先に白石と鮫島に手渡した。
実家が鍼灸整骨院である彼女が最も恐れていたのは、昭和的な理不尽な酷使によって、同級生たちが使い潰され、靭帯や腱を断裂することだった。
しかし、蓮が徹底させた戦術と、神崎コーチが主導するローテーションのおかげで、海浜商業という肉弾戦の古豪を相手にしながらも、選手たちは深刻な故障を一切回避して勝利をもぎ取っていた。
「ありがとう、橘。冷たい水が体に染みるぜ」
陣内誠(178センチ・68キロ)も、お揃いのジャージの袖で額の汗を拭いながら、照れくさそうに受け取った。
彼の右膝にはテーピングが巻かれているが、試合前の痛々しい強ばりは消え、心地よい疲労感だけが漂っている。
その様子を、綾瀬涼香は手元のノートとスコアブックを交互に見つめながら、鋭い眼差しで観察していた。
「……驚いたわね。海浜商業の第4クォーターにおけるチームの動きは、前半に比べて明らかに鈍っていたわ。プレッシャーに焦ったわけじゃない……あなたたちが仕掛けた『ディフェンス時の重心移動の誘導』と『接触を避けて体力を消耗させるコントロール』に、向こうの足が完全に追いつかなくなっていたのよ」
涼香の瞳に、知的な探求心の光が宿る。
「あれは偶然の逆転じゃないわ。計算と戦術に基づいた、必然の消耗戦の勝利よ。……ねえ、如月くん。あなた、最初から最後まで相手のスタミナが切れるタイミングを計っていたの?」
涼香の問いかけに、蓮は立ち上がり、お揃いのジャージのポケットに手を入れながら微かに笑った。
「計算というか、当然の結果だよ。相手は三年生中心で、根性論と激しい肉弾戦だけで走り続けてきたチームだ。個々のフィジカルは俺たちより上で間違いない。だが、力任せのコンタクトを重ねてきた肉体ほど、試合終盤のエネルギー枯渇に対する耐性がもろい」
蓮の言葉に、控室の空気がピリリと引き締まる。
「俺たちは、最初から『相手が自滅するエネルギー』を頭に入れてコートに立っていた。白石のポストプレーも、鮫島のボックスアウトも、陣内のアウトサイドも、すべては相手の重心を狂わせ、無駄なエネルギーを使わせるための布石だ」
「……っ、すげえな、蓮は」
黒木凌(179センチ・69キロ)が、腕組みをしたまま低く呟いた。
彼は前半から相手のエースガードをマークし続け、泥臭いスクリーンの対応や声出しでチームを救ったが、その表情にはこれまでにない確かな手応えがあった。
「個人技や根性だけで勝負していた中学までとは、見える世界が完全に違う。……俺たちのやっているバスケは、ちゃんと理屈で相手を圧倒できるんだって実感できる」
黒木のその言葉に、陣内や鮫島も深く頷いた。
かつてはバラバラで、自分の弱さや痛みに怯え、あるいは力任せに暴れるしかなかった五人の原石たちが、理にかなった視点と如月蓮の戦術眼によって、一つの強力な歯車として噛み合い始めている。
「感傷に浸っている暇はないよ」
蓮は手元のスケジュール表に目を落とした。
「今日の勝利で決勝リーグの1勝目を挙げたが、まだあと2試合残っている。次の対戦相手である翔陽学園は、海浜商業とはまた違った『高確率なアウトサイドシュートと機動力』を武器にしてくるチームだ。今日のリカバリーを怠れば、明日の試合で足元をすくわれる」
「おう、分かってるって!」
鮫島が豪快に笑い、床を力強く踏み鳴らした。
「筋肉ダルマだろうが走るチームだろうが、俺たちがやるべきことは一つだろ! 壊れずに、全員で走り勝つ!」
「そうだね。そのためにも、今夜はしっかり栄養を摂って、睡眠の質を良くしなきゃダメだよ」
葵が手際よくプロテインや栄養補助ゼリーを選手たちに配りながら、テキパキとアドバイスをしていく。
その傍らで、涼香がノートを蓮に向けた。
「翔陽学園の過去3試合のデータ、私の方でも少し整理しておくわ。特にガード陣のピック&ロールに対するディフェンスの予測位置、明日のお昼までにまとめておくから、参考にしなさい」
「助かるよ、綾瀬さん。君のデータ分析があれば、俺たちはコート上で迷わずに済む」
蓮が真っ直ぐに礼を言うと、涼香は少しだけ頬を朱に染め、ツンと顔を背けた。
「べ、別にあなたの為じゃないわよ! これもクラスメイトとしての手伝いだもの!」
その微笑ましいやり取りを、葵がくすくすと思い出し笑いしながら見守っている。
お揃いのジャージを纏った五人の1年生たち。
そして、彼らを気遣う二人の同級生の少女と、ベンチで見守る神崎コーチ。
無名新設校という名の小さな泥舟だった黎明高校は、今や最新の理論と揺るぎない絆をエンジンにして、県大会の頂点、そしてその先の全国へと続く荒波を力強く突き進んでいた。
――勝利の熱気は、静かな夜のリカバリー期間へと引き継がれ、チームは次なる決戦へ向けて牙を研ぎ澄ませていく。
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