第17話:跳躍の代償、空回る野生
「テメエの言う通りにやって、俺がリバウンド取れなかったら……フロアに沈めてやるからな!」
体育館の空気をビリビリと震わせる、鮫島豪の野獣のような怒号。
周囲を取り囲む推薦組の部員たちは、腕を組んで冷ややかな視線を送っていた。
「おいおい、あの小柄な新入生、鮫島に喧嘩売っちゃったよ」
「中学時代、他校のセンターを病院送りにしかけた奴だぞ。怪我しても知らないぜ」
だが、俺――如月蓮は、ボールを両手に挟んで軽く弾ませながら、眉一つ動かさずにコート中央を指差した。
「ペイントエリアの左角。ブロックから外側に足一つ分。そこに両足を肩幅に開いて立て」
「あァ!? なんでそんなピンポイントなんだよ!」
「そこがお前の立つべき位置だからだ。四の五の言わずに立て」
「チッ……言われなくても立ってやるよ!」
鮫島は床を踏み鳴らし、ドカドカと指定された位置へと向かった。
俺はスリーポイントラインの右斜め四十五度、いわゆるウィングのポジションへと移動した。
「いいか、鮫島。よく聞け」
俺はボールを構え、鮫島の目を真っ直ぐに見据えた。
「俺がシュートを放った瞬間、お前はその場所から一歩も前や横へ踏み出すな。反動をつけて走るな。ボールがリングの奥を叩いたコンマ一秒後、その場から真上へ垂直に跳べ。ボールは必ず、お前の頭上へ吸い込まれるように落ちてくる」
「ケッ! 予言者気取りかよ、ハッタリこきやがって!」
鮫島は唾を吐き捨て、腰を落として獲物を狙う野獣のようにリングを見上げた。
スッ、と俺は脱力したフォームから身体を引き上げた。
ジャンプはしない。膝の負担をゼロにするセットシュートのモーション。
だが――俺の狙いはリングのネットではなかった。
リングの奥――バックリムの鉄板の中心から右へ三センチ。
そこにボールのバックスピンの回転を殺さず、反発係数を最大化させる角度で激突させる。
前世のNBAアナリティクスにおいて、何十万本というシュートの跳ね返り軌道を解析してきた俺の頭脳が、弾道の放物線をミリ単位で導き出していた。
――ガガッ!!
鈍い金属音がアリーナに甲高く鳴り響いた。
バックリムを叩いたオレンジ色の球体は、俺の予告通り、急激なバックスピンによって後方へと大きく跳ね上がり――ペイントエリアの左角、鮫島が立っている真上の空間へと、矢のような勢いで落下していった。
「なっ……!?」
二階ギャラリーで見ていた神崎コーチが目を見張り、推薦組の部員たちが息を呑む。
まさに鮫島の頭上。手を伸ばせば届く完璧なコース。
「もらったァァァッ!!」
身体が勝手に反応した鮫島が、咆哮とともに床を蹴った。
驚異的な背筋のバネ。高校一年生離れした最高到達点。
だが――長年染み付いた『力任せの悪癖』は、そう簡単には消え去らなかった。
鮫島は、その場で真上へ跳べばいいものを、力が入るあまり跳躍の直前に上半身を大きく前傾させてしまったのだ。
床を斜め前へ蹴り出した巨体は、空中で激しい慣性力に引きずられ、放物線を描いて前方のペイントエリアの中央へと飛び出してしまった。
「あ……!?」
真上に落ちてきたボールに対し、鮫島の身体は空中で前へ流れていく。
伸ばした指先を、ボールが虚しくかすめた。
空中で軸を完全に失った九十五キロの巨体は、バランスを崩してフロアへ無様に叩きつけられた。
ドガァンッ!!
腰を強打し、無様に尻餅をついて転がる鮫島。
跳ね返ったボールは、誰もいないフロアを寂しく転がっていった。
「ぶっ……!」
「あいつ、一人で勝手に空振りして転びやがったぞ!」
周囲の推薦組の部員たちから、堪えきれない失笑と冷笑が漏れた。
「クソがぁぁぁッ!!」
鮫島は顔を真っ赤に沸騰させて跳ね起きた。
血管が切れんばかりに太い首筋に青筋を立て、俺に向かって猛烈な勢いで詰め寄ってくる。
「テメエ! わざと変な回転かけてボールを曲げやがったなコラァッ!!」
「言い訳をするな」
俺の冷徹な一喝が、体育館の空気を凍りつかせた。
俺は転がってきたボールを拾い上げ、鮫島の血走った目を真っ向から射抜いた。
「俺は言ったはずだ。『一歩も前へ踏み出すな、その場で垂直に跳べ』と」
「ぐっ……!」
「お前はボールの落下点に誰よりも早く気づいた。それは素晴らしい動体視力だ。だが――お前は力任せに跳ぼうとするあまり、跳ぶ直前に上体を前へ倒し、爪先だけで床を蹴り出した。だから空中で推進力が前へ逃げ、頭上のボールを通り越して自滅したんだ」
俺は自らの両足を肩幅に開き、腰を落としてみせた。
「見ていろ。爪先で跳ぶな。母指球で床を噛み、膝と股関節を連動させて、エネルギーを骨盤から背筋へと垂直に突き上げるんだ。そうすれば――空中でどれだけ相手と接触しようが、体幹の軸は一ミリもブレない」
鮫島は拳をワナワナと震わせ、奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。
反論したくても、できない。
ボールは確かに、自分の真上に落ちてきていたのだ。
この小柄な男の言っていることが、寸分の狂いもなく正しいことを、本能が理解してしまっていた。
「……もう一回だ」
鮫島は喉の奥から、絞り出すような濁った声を漏らした。
「もう一回、同じところへ打てッ!!」
二本目。
俺は再びウィングから同じ弾道でシュートを放った。
ガガッ! とバックリムが鳴る。
鮫島は必死に身体の前傾を抑えようとしたが、やはり無意識の癖が出て、空中でわずかに重心が前へ流れ、キャッチがおぼつかない。ボールを弾いて取りこぼした。
「もう一回だッ!!」
三本目。
鮫島は奥歯を噛み締め、母指球を強く意識して床を踏み締めた。
前へ突っ込まない。真上へ、天を突き抜けるように跳ぶ。
バシィィィッ!!
アリーナに、乾いた力強い破裂音が響き渡った。
最高到達点。鮫島の両手が、宙でブレることなくボールをがっちりと鷲掴みにしていた。
着地。両足が揃って床を踏み鳴らし、身体は一切よろめかない。
「……と、取ったぞコラァッ!!」
鮫島は肩で激しく息をしながら咆哮した。
だが――その表情には、初対面の時に浮かべていた凶暴な傲慢さは、完全に消え去っていた。
自分の信じてきた「気合と腕力のリバウンド」がいかに未熟で、力学的に破綻していたか。
そして、目の前の小柄な同級生が持つ「世界基準の知性」が、いかに本物であるかを、自らの身体で証明してしまったのだ。
「まだまだだな」
俺は淡々と告げた。
「空中でボールを抱え込む瞬間に脇が開いている。公式戦で相手の屈強な上級生センターに肘を当てられたら、今のキャッチじゃボールを叩き落とされるぞ」
「……チッ」
鮫島は悔しそうに顔を歪め、それから――ボールを床へ静かに置いた。
そして、太い両手を膝に当て、深く頭を下げた。
「……教えろよ」
掠れた、だが本気の声だった。
「どうすりゃ……相手に当たり負けしねえで、リバウンドを全部獲れるようになるのか……教えろ、蓮」
野生の荒くれ者が、初めて自らのプライドを捨て、知性の軍門に降った瞬間だった。
二階ギャラリーの手すりで、神崎拓也が眼鏡の奥の瞳を満足そうに細め、バインダーのページをめくった。
「素晴らしい求心力だ。猛獣使いの才能まであるとはね」
そんな緊迫した体育館の空気をぶち破るように、部室の奥の通用口から、気の抜けた大きなあくびの音が響き渡った。
「ふわぁぁぁ……。うるさくて全然眠れなかったよぉ……」
のっしのっしと、床を軋ませながら現れたのは――百九十八センチ、百十キロの超巨漢だった。
ぼさぼさの髪に、眠たげな垂れ目。
丸太のように太い腕と、だらしなく垂れ下がったお腹。新調された開明高校の練習着が、まるでパジャマのようにだらしなく着崩されている。
「君が如月くん? 神崎先生から聞いてるよ」
巨漢――白石岳は、面倒くさそうに頭をポリポリと掻きながら、俺を見下ろした。
「僕、走るの本当に大嫌いなんだけどさ……本当に走らなくていいの?」
跳躍のフォームを失った狂犬・鮫島。
そして、走ることを拒絶する超巨漢・白石。
黎明高校男子バスケットボール部。
欠陥だらけの原石たちによる、泥臭くも熱い挑戦が、いよいよ次の段階へと転がり出そうとしていた。
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