第六話 双子の誕生
イヴリン・カーティスがリージラリィ邸へ戻ってきてから、屋敷の空気は目に見えて変わった。
もともと彼女は、遠いアメリカから来た賓客であり、ホテル経営学を修めた才媛であり、若くして異国の古い邸宅に新たな視点をもたらした女性であった。そう聞けば、周囲は勝手に、自由奔放で物怖じしない、いかにも新世界育ちの娘を想像した。実際、リーアンも最初はそう思っていた。
だが、イヴリンの実像は、その予想を良い意味で裏切っていた。
彼女はたしかに聡明で、物事の本質を見抜く眼差しを持っていた。だが、それを振りかざすことはなかった。英国文化にも驚くほど自然に馴染み、礼儀と節度を重んじ、必要以上に前へ出ない。紅茶の淹れ方から食卓での沈黙の置き方まで、長くこの土地で暮らしてきた者のように穏やかに身につけていった。
助言を求められたときには、的確で、しかし押しつけがましくない言葉を返す。求められていないときには、決して自分の知識を誇るような真似はしない。リージラリィ邸の運営においても、それは徹底していた。ホテル経営学を学んだ彼女から見れば、改善したい点などいくらでもあったはずだ。予約管理の細部、客室係の動線、季節企画の打ち出し方、食堂の回転率、帳簿の整理の仕方。
それでもイヴリンは、自分から手綱を奪おうとはしなかった。
ここはリーアンが血と汗を流して立て直した家である。
そのことを、彼女は誰よりも深く理解していた。
ゆえに、彼女はまず妻であろうとした。
経営者を気取るのではなく、家庭を整え、屋敷の者たちと信頼を結び、必要なときにだけ知恵を貸す。
その姿勢は、従業員たちの心を強く打った。
料理長は、ミセス・リージラリィは客の皿の出し引きではなく、働く人間の表情を見ていると言った。庭師は、花壇を眺めるときの目が、この屋敷の春を本当に喜んでいる目だと言った。年かさの家政婦は、あの方は自分がこの家の主婦であることを誇るより先に、まずこの家の一員であろうとなさる、としみじみ語った。
いつしか従業員たちは、リーアンに対する敬意とはまた別の種類の親愛を、イヴリンへ寄せるようになっていた。
客の中にも、彼女を一目見たいがためにリージラリィ邸を再訪する者が現れたほどである。食堂の片隅で静かに応対するその姿、玄関先で旅人に微笑むその横顔、庭で子どもの客に屈んで言葉を交わす所作。派手ではない。だが、見る者の記憶に不思議と残る女性だった。
そのイヴリンが、結婚後ただ一度だけ、明確に自己主張したことがあった。
子どもが欲しい、と。
それはある冬の夜、暖炉の火が赤く揺れる居間でのことだった。
その日も夫婦は、営業を終えたあとで遅い紅茶を飲みながら、帳簿や来春の予約状況を眺めていた。外では風が木々を鳴らし、厚い石壁を伝ってかすかな唸りが聞こえる。
ふと、イヴリンが書類から顔を上げた。
「リーアン」
「どうした?」
「私、子どもが欲しいの」
声音は静かで、いつものように柔らかかった。
それゆえに、そこへ揺るがぬ意志が宿っていることが、かえってはっきりとわかった。
リーアンは一瞬、手元の帳簿から視線を上げられなかった。
驚いたのではない。いずれそういう話が出ることは、どこかで予感していた。だが、自分の側からそれを口にすることが、ずっとできずにいたのだ。
そのとき彼は三十六歳、イヴリンは二十二歳。年の差結婚と言って差し支えない年月が二人の間にはあった。しかも、リーアンにとっては、父の失敗と家の立て直しに青春の大半を費やした末の結婚である。一般的な意味では、家庭を築くにはやや遅い部類に入る。
彼はイヴリンを愛していた。
心から。
だが、愛しているからこそ、自分の人生の重さを彼女に背負わせることに、どこか引け目を覚えていた。
「……君は、まだ若いじゃないか」
ようやくそれだけ言うと、イヴリンは困ったように微笑んだ。
「ええ。だから、今のうちに言っておかないと、あなたはきっとずっと言い出さないでしょう?」
「私はそんなに臆病に見えるかな?」
「見えるわ」
きっぱりとした返答に、リーアンは思わず苦笑した。
イヴリンは椅子を少し寄せ、彼の手の上へそっと自分の手を重ねた。
「私は、あなたと家族になりたいの。この屋敷の主婦になるだけじゃなくて、あなたと一緒に、未来を育てたい。あなたが守り直したこの家に、次の時代を」
その言葉は、リーアンの胸へ深く沈んだ。
イヴリンは、彼が必死に繋ぎ止めた家の価値を理解している。その上で、それを過去の記念碑で終わらせたくないと言っているのだ。
彼は静かに頷いた。
「わかった」
「本当に?」
「ああ。本当に。私も……君との子どもが欲しいと思っていた。ただ、言えなかっただけだ」
「やっぱり臆病ね」
「面目ないな」
そうして二人は笑い合った。
その笑い声のぬくもりは、暖炉の火よりもやさしく、冬の夜の深さをどこか遠ざけていた。
幸い、夫婦の間に問題はなかった。
リーアンは辛い半生を送った男であったが、その苦労は彼をやつれさせるよりも、むしろ節度と忍耐を身体へ刻み込んでいた。酒や放蕩に逃げたこともなく、日々の労働は心身を健全に保っていた。何より相手は、一目惚れした女性である。大切に思う気持ちが衰える余地などなかった。
結婚から一年後、イヴリンの懐妊が判明したとき、リージラリィ邸は小さな祝祭に包まれた。
しかも、診察の末にわかったのは、一卵性双生児の男児だということだった。
その知らせを受けた日、リーアンはしばらく声を失っていた。
双子。
この古い屋敷に、一度に二つの命がやって来る。
それは驚きであると同時に、どこか象徴的にも思えた。没落と再生を経た家に、同じ顔を持ちながら異なる未来が二つ授けられるのだから。
「名前は、もう考えているの?」
妊娠中期に入ったある日、庭園をゆっくり歩きながら、イヴリンが尋ねた。
リーアンは少し考えてから答えた。
「考えている。一族の全盛期に名を残した先祖たちから、もらおうかと思ってね」
「何という名前なの?」
「兄はロエルヴェイト。弟はグリンゼニス」
「ずいぶん格調高い響きね」
「子どもからすれば、少し重いかもしれないな」
「それは大丈夫。私たちの子なのだもの」
イヴリンは腹部に手を添え、柔らかく笑った。
先祖の名は、誇りであると同時に、願いでもある。ロエルヴェイトには鋭さと節度を、グリンゼニスには温かさと伸びやかさを。そんな思いを、リーアンは無意識のうちに託していたのかもしれなかった。
出産は無事に終わった。
双子は、驚くほどよく似ていた。
産着にくるまれて並んでいると、両親ですら一瞬どちらがどちらかわからなくなるほどである。けれど、抱き上げてみれば、そこには確かな違いがあった。
兄のロエルヴェイトは、泣き声からしてどこか抑制が利いていた。むやみに騒がず、周囲を観察するように目を動かし、抱かれれば静かにその腕の感触を確かめているようだった。
弟のグリンゼニスは、同じ顔立ちでありながら、より人の体温を求める赤子だった。誰かがそばへ来れば自然に気配を追い、抱き上げられれば安心したように身を預ける。
それを見てイヴリンは言った。
「まるで、もう性格があるみたい」
「あるんだろうね。きっと最初から」
リーアンはそう答えながら、二つの小さな顔を見比べた。
同じ日に、同じ母から生まれた子らが、すでに別々の個性を宿している。
人は皆違う。
そんな当たり前のことが、双子を前にすると、ひどく神秘的な真実に思えた。
成長するにつれ、その差はますます明瞭になっていった。
ロエルヴェイトは孤高を好む子だった。落ち着いていて、感情を大きく荒立てず、熱中すると周囲の声が耳に入らなくなる。玩具を与えれば、その構造を確かめるように静かに遊び、絵本を渡せば、一度読んでもらった頁を何度もめくっては細部を見つめていた。
イヴリンの怜悧で理知的な気質を、色濃く継いでいるのだろうと、リーアンは思った。
一方のグリンゼニスは、人当たりが良く、誰に対しても心を開くのが自然な子だった。使用人にも、庭師にも、仕入れに来る農夫にも、いつの間にか話しかけている。兄より先に言葉を覚え、誰かが困っていれば、自分に何ができるかもわからぬまま、とにかくそばへ寄っていく。
その誠実さと温厚さは、まるでリーアン自身を小さくしたようだった。
もちろん、双子である以上、共通点も多い。
顔立ちは瓜二つで、どちらも利発で、どちらも人に無用な敵意を向けることがなかった。喧嘩もまったくしないわけではないが、激しくぶつかる前にどちらかが引いた。相手を打ち負かして得をしたいという感覚が、二人には希薄だったのである。
その「争いを嫌う」という資質は、後に世界を大いに悩ませることになるが、それはまだ語るときではない。
特技の面でも、双子は自然と違いを見せた。
ロエルヴェイトは射撃が得意だった。まだ幼いころ、果樹園の端で与えられた木製のパチンコを手にすると、彼は教えられた以上の精度で小石を飛ばした。揺れる空き缶、垣根に止まった木の実、風にぶら下がる小さな目標物。どれも一度狙いを定めれば、ほとんど外さない。動いている相手に対しても、その進路を読むように石を送り込む。
イヴリンはその腕前を見るたび、少し複雑そうな顔をした。自分の帯びていた拳銃の記憶と、息子の生まれ持った適性とが、どこかで重なっていたのだろう。
グリンゼニスは剣術が得意だった。
もちろん幼子に真剣を持たせるわけにはいかないから、練習用の木剣である。それでも、彼の動きには不思議な無駄のなさがあった。ただ速いのではない。場の空気を読み、相手の癖を感じ取り、次にどちらへ動くのが最も自然かを、身体の方が先に知っているようだった。
リーアンは稽古をつけながら、何度も息を呑んだ。
技の完成度ではまだ幼い。だが、剣と身体の噛み合い方が異様に良い。大きくなれば、かなりの使い手になる。
もっとも、当の本人には誰かを打ち負かしたいという欲が薄く、勝負そのものより、型や呼吸の一致を好んでいるように見えた。
このような資質を持つ子どもは、普通なら早いうちから技能研究機関へ通わせることが多い。
とりわけ、精神力の質や知覚に特異な傾向が見られる場合はなおさらである。専門機関で学ばせれば、技能の制御を身につけられるだけでなく、幼少期の無自覚な事故や、周囲との摩擦を防ぐことにも繋がる。才能が高ければ高いほど、正しい教育の必要性は増す。
それでも、双子は家族といることを選んだ。
ロエルヴェイトもグリンゼニスも、幼いながらに自分たちの家を愛していた。
朝の食堂の匂い、石壁に反響する足音、庭の芝の冷たさ、冬の暖炉、客たちの去来、両親の働く姿。そうしたものの中で育つことが、彼らには何より自然だった。外部の寄宿施設や訓練所へ通う話を持ち出しても、二人とも露骨に嫌がった。
夫妻は相談の末、無理強いはしないことに決めた。
子どもたちの意思を尊重する。
それがリーアンとイヴリンの一致した考えだった。




