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第十一話 守られた者たち

 その後の日々を、グリンゼニスはあまり正確に覚えていなかった。

 アメリカでの手続き。領事館の人間。病院。事情聴取。見知らぬ大人たちの、ひどく慎重な声。

 まるで分厚いガラスの向こう側で世界が動いているようで、自分だけがどこにも触れられない。

 兄がそばにいなければ、きっと何もわからないまま壊れていただろう。

 ロエルヴェイトは泣かなかったわけではない。

 ただ、弟の前では、できるだけ泣かなかった。

 夜になり、眠ったふりをしているグリンゼニスの背をさすりながら、自分も肩を震わせることはあったが、朝になると何事もなかったように起きた。

 あの子が見ていられるように、私は立っていなければならない。

 十歳の子どもが抱くにはあまりにも重い決意だったが、それでも彼は、それを投げ出さなかった。

 ほどなくして、双子はイングランドへ戻った。

 リージラリィ邸は残されていたが、そこへただちに子ども二人だけを住まわせるわけにはいかない。経営そのものは信頼できる専門家へ任せ、法的な整理や相続関係の処理が進められる一方で、双子の生活の場をどうするかが問題となった。

 そこで手を差し伸べたのが、サー・ギメリオだった。

 彼の運営する孤児院は、華美ではないが、温かな場所だった。

 ただ寝食の場を与えるだけではない。学ぶ機会があり、生活の規律があり、子どもたちが自分を必要以上に哀れまれずに済む距離感が保たれている。

 サー・ギメリオは、双子を特別扱いしなかった。

 それが、かえって救いになった。

「ここでは、君たちは君たちだ」

 初めて案内された日、彼はそう言った。

「気の毒な子どもとして扱われたいなら、よそへ行くといい。だが、そうでないなら、ここで食べて、学んで、育ちなさい」

 ロエルヴェイトはその言葉を聞いて、わずかに肩の力を抜いた。

 グリンゼニスはまだ泣き腫らした目で兄の袖を握っていたが、それでも、この老人が自分たちを軽々しく憐れんではいないことだけは感じ取ったらしい。

 孤児院での暮らしは、決して楽なだけではなかった。

 両親の不在は、時間が経つほどに別の形で胸へ刺さった。食卓でふと母の言葉を思い出すこともあれば、何かを達成した瞬間に、父へ見せたかったと強く思うこともある。

 グリンゼニスはしばらく、笑うことに罪悪感を覚えていた。自分だけが楽しんでいいのだろうかと考えてしまう。

 そんな弟に、ロエルヴェイトはある日、はっきり言った。

「お父さんとお母さんは、僕たちが不幸になるために守ったんじゃない」

「でも」

「でもじゃない。あの人たちは、僕たちが生きるために死んだんだ」

 グリンゼニスは泣いた。

 泣いて、泣いて、泣き疲れたあとで、ようやく少しだけ、前を向けるようになった。

 それ以降、彼は悲しみを忘れたわけではない。だが、その悲しみの中に、両親から託されたものがあるのだと理解し始めた。

 双子はそのまま、健やかに育っていった。

 ロエルヴェイトの霊的干渉者としての資質は年齢と共に安定し、彼自身もそれを学問として扱うことに向いていた。観察し、記録し、理論と照らし合わせ、他者へ説明する。そのすべてに彼の気質は合っていた。

 グリンゼニスは空間把握とエリアコントロールへの適性を、ますます自然に深めていった。場を読む力、そこへ働きかける感覚、新しい現象を理解する柔らかさ。サー・ギメリオは時折顔を見せては、新しい課題を与え、少年の成長を静かに見守った。

 両親の死は、彼らを壊しはしなかった。

 代わりに、あまりにも早く大人へ近づけてしまったのかもしれない。

 やがて双子は大学へ進んだ。

 同じ年に入学し、同じ年に卒業したが、その学びの方向はすでに大きく異なっていた。ロエルヴェイトは精神界研究と干渉理論の分野へ、グリンゼニスは領域制御と空間操作の応用へ。

 進路が分かれても、兄弟の距離は変わらなかった。

 大学卒業後、ロエルヴェイトはS.S.S.へ入所を決めた。

 幼い頃、自分を囲い込もうとした相手でもある。だが、成長した彼はもう、売られる子どもではなかった。自分の才能をどこでどう生かすかを、自分の意思で決められる大人だった。

 S.S.S.の中にも、かつて来訪したような傲慢な者ばかりではない。むしろ、多くは真摯な研究者であり、彼の資質を正面から受け止めるだけの土壌があった。

 ロエルヴェイトは自分の能力が稀少であることを知っていた。だからこそ、それを個人的な感傷のためだけに抱えておくべきではないとも理解していた。

 何より、彼は「見える」ことの意味を、正しく学びたかった。

 一方、グリンゼニスはACRIへ入所を決めた。

 それは単に適性があったからだけではない。幼い頃からサー・ギメリオに世話になり、両親を失った後も孤児院を通じて育てられた。その恩義を、彼は忘れていなかった。

 もちろん、それだけでもない。

 グリンゼニス自身、エリアコントロールという技能に魅せられていた。場を読み、構造を見抜き、そこへ現象を与える。人の暮らしや防災や移住にまで応用が利く、実用と理論の両方を備えた技能体系。

 それを極めたいと思った。

 自分の力が、誰かの生活や未来を支えるものになり得るのなら、その道を選びたかった。

 マナーハウス・リージラリィ邸については、二人とも早くから結論を出していた。

 自分たちには向いていない。

 ロエルヴェイトはあまりにも内向きであり、グリンゼニスは人当たりこそよいが、経営そのものに執着がない。両親が守り直した家を粗末に扱うつもりはないが、自分たちが無理に継いで壊す方がよほど不誠実だと、兄弟は一致していた。

 だから経営は信頼できる専門家へ一任した。必要な判断や監督には関わるが、自分たちは家名に縛られるより、それぞれの適性に従って生きる。

 それが、両親の遺したものを最も自然な形で守る方法だと思えた。

 別々の道を選んでも、二人はいつまでも、この世でたった二人の兄弟だった。

 手紙を書く。電話をする。休日が合えば街で落ち合う。

 時には酒場の隅で肩を並べ、職場の愚痴を肴に飲み明かすこともあった。

「今日、上の連中がまた、わかったような顔で精神界のことを語っていた」

「兄さんのところは昔からそうじゃないか」

「お前のところはどうなんだ」

「理事会が現場の距離感を理解してないのは同じだよ。人を送り込めば領域が勝手に完成すると思ってる」

「愚かだね」

「そっちにだけは言われたくないよ」

 そんなやり取りをしながら、最後には二人とも笑う。

 両親はいない。

 だが、自分には兄がいる。弟がいる。

 その事実が、年月を経るほど骨身に沁みた。

 そうして数年が過ぎた。

 グリンゼニスはACRIで着実に頭角を現し、ついにA級技能者の認定を受けた。

 それは単に技能が上手いという意味ではない。個人で新たな技能体系、あるいは既存技能の高度な応用を編み出せるだけの技量と理論理解を備えた者に与えられる、極めて重い階級である。

 若くしてそこへ達する者は多くない。

 その認定を受けた日、グリンゼニスはまず兄へ電話をかけた。

「兄さん」

「聞いたよ。おめでとう」

「早いね」

「こちらにも連絡は来る。お前はもう、それだけの人間だ」

「実感はないけど」

「実感のないまま進むのが、たぶん一番危なっかしい。お前らしいが」

「褒めてる?」

「少しはね」

 受話器越しに、互いの笑い声が重なった。

 ロエルヴェイトは本気で誇らしく思っていたし、グリンゼニスもまた、その反応だけで十分だった。

 だが、その認定はただの通過点ではなかった。

 数日後、ACRIの上層部から、グリンゼニスへある事業への参加打診があったのである。

 正式名称――Novus Orbis Creaturae Consilium。

 通称――NOCC。

 新世界創造計画。

 資源問題と人口増加、そして人類の生存圏拡張を見据えた、国際的移住計画だった。

 その名を初めて聞いた時、グリンゼニスはすぐには言葉を返せなかった。

 規模が大きすぎたからである。

 個人の出世や、一研究機関の新規事業という程度の話ではない。国家と機関と技術と技能が結びつき、未来そのものを組み替えようとする構想だった。

 サー・ギメリオが自ら築いてきた領域制御の知見が、なぜここで必要とされるのか。

 自分がなぜ選ばれたのか。

 問うべきことは山ほどあった。

 だが同時に、彼の胸の奥には、言葉にしづらい感覚が静かに芽生えていた。

 それは恐れであり、予感でもあった。

 双子が十歳の日に失ったものとは比べようもない、もっと巨大な転換点が、今また目の前へ現れようとしている。

 もしこの誘いを受ければ、自分の人生はもう、単なる一技能者の道では済まなくなるだろう。

 だが、両親が守ってくれた命、兄と支え合ってここまで来た歳月、サー・ギメリオから託された学び。それらすべてが、どこかでこの瞬間へ繋がっていたようにも思えた。

 グリンゼニスは窓の外を見た。

 広がる空は、少年の日に母から聞かされたアメリカの大きな空ではない。けれど、その向こうにまだ見ぬ新世界があるのだと、今の彼は知っていた。

 そして、その扉を叩くよう求められているのが、自分なのだということも。

 別離は、人を終わらせるためだけにあるのではない。

 守られた者が、その先を生きるためにある。

 リージラリィ家の双子は、両親との別離によって大人へ近づき、互いを支えながら自立を果たした。

 そして今、その一人に、新たな世界への扉が開こうとしていた。

 それが希望であるのか、さらなる喪失の始まりであるのかは、まだ誰にもわからない。

 だが確かなのは、ここまで続いてきたすべての日々が、決して無意味ではなかったということだけだった。

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