第十二話 新世界創造計画
A級技能者の認定を受けてからというもの、グリンゼニスの周囲は目に見えて騒がしくなった。
祝意を伝える書簡。旧知の研究者からの打診。新規案件への参加依頼。共同研究の名目で顔を出したいという機関もあれば、若くしてA級へ至った感想を聞かせてほしいと取材めいた申し出を寄越す者までいた。
本人としては、ようやく一つ節目を越えたに過ぎないという感覚だったが、世間はそう見てくれないらしい。エリアコントロールという最高峰の技能体系において、個人で新たな技を編み出す力量を認められたという事実は、それだけで一種の看板となる。
まして彼は、サー・ギメリオ・サマビルの直系に近い実践者として知られつつあった。注目を避けて通れる立場ではなかった。
その中にあって、ACRI本部から届いた呼び出しだけは、他のどの連絡とも質が違っていた。
文面は簡潔で、日時と場所、そして「理事長同席の上、直接説明を行う」とだけある。
余計な飾りは何もない。
だが、だからこそ重かった。
指定された日、グリンゼニスはエディンバラ郊外にあるACRIの中枢棟を訪れた。
外は北方らしい鉛色の空で、風にはまだ冬の名残が混じっている。石造りの建物の前を歩きながら、彼は自然と背筋を伸ばしていた。ここは幼い頃から何度も出入りしてきた場所であり、サー・ギメリオに連れられて廊下を歩き回った記憶もある。だが今日は、少年時代の見学とは違う。
呼ばれたのは、誰かに教えを乞うためではない。
自分が選ばれるかどうかを告げられるためだ。
そう考えるだけで、胸の内側が静かに緊張してくる。
案内された先は、地上階の会議室ではなかった。
中枢棟からさらに奥へ進み、認証をいくつも通過した先にある、窓のない半地下の会議室である。内装は質素で、必要以上の調度は一切ない。中央に長机があり、壁面には古い地図と、いくつもの立体図、断面図、地質図が無駄なく並べられていた。
そこに、既にサー・ギメリオ・サマビルが座っていた。
年齢という概念が空虚に思える人物だった。
白髪はとうに雪のような色へ至っているのに、目の奥には若い研究者より鋭い光が宿っている。五百年を超えて生きる伝説と呼ばれて久しいが、本人には少しも神秘めいたところがない。むしろ、長く生きた職人特有の、研ぎ澄まされた現実感だけがあった。
サー・ギメリオはグリンゼニスが入室すると、わずかに顎を引いた。
「ようこそ。掛けたまえ。今日は少し長い話になる」
向かいには、理事会の一員らしき人物が二人と、行政側の連絡調整役と見られる男が一人いた。いずれも堅い表情で、書類を整えている。
グリンゼニスが席に着くと、サー・ギメリオは前置きを省いて切り出した。
「君を呼んだのは、ある計画への参加を打診するためだ。NOCCという名称は、耳に入っていよう」
「ええ、名称だけは聞いたことがあります」
「よろしい」
サー・ギメリオは小さく頷いた。
「では、その名前の中身を教えよう。世間では新世界創造計画などと景気よく呼ばれているが、名前だけが先に歩く計画ほど、ろくでもないものになりやすい。君には、その実態を理解した上で返答してもらいたい」
そう言って彼は、机上の一枚の古い図面を指で示した。
そこに描かれていたのは、巨大な地下施設の断面図だった。
「NOCCの起点は、一九六〇年に遡る」
会議室の空気が、少しだけ変わった。
グリンゼニスは視線を図面へ落とす。
「当時の英国、正確にはスコットランド・エディンバラを拠点としていたACRIが立案した、実験的計画が発端だ。もっとも、最初から今のような大がかりな代物だったわけではない。せいぜいが、エリアコントロールによって形成される領域の性質を確かめるための、一施設に過ぎなかった」
「一施設……」
「そうだ。君も知っての通り、通常のエリアコントロールで形成される領域は極めて限定的だ。小規模な現象制御、防御、環境調整、隔離、誘導。用途は広いが、あくまで局所的な技能に留まる。それを“世界”と呼ぶなど、本来は笑い話にもならん」
グリンゼニスは頷いた。
それは彼自身、体感としてよくわかっている。どれほど優れた制御者でも、展開できる領域には限度がある。しかも形成した場を維持するには継続的な精神力の消耗を伴い、力場の歪みや環境条件の悪化があれば、領域は容易く不安定化する。
世界どころか、安定した広域制御ですら至難だ。
それなのに、今ここで語られているのは新世界創造である。
常識の延長には到底ない話だった。
理事会の一人が、補足するように口を挟んだ。
「当時、計画の核となったのは、施設の側でした。元々その実験場は、第二次世界大戦中に大英帝国が戦略避難施設、すなわちシェルターとして建造していたものです。場所はスコットランド北部ハイランド地方。同国の山間地を穿ち、長期的な籠城と指揮系統の保持を想定して造られた地下施設です。完成寸前で終戦となり正式運用されることはなかった為、機密保持の観点から、当初は廃棄予定でした。そこを我々が目を付けたのです」
図面の端にある縮尺を見て、グリンゼニスは小さく息を呑んだ。
広い。
想像していたより、はるかに広い。
ただの地下壕ではない。複数の区画、補給路、水系統、排気経路、発電設備まで織り込まれた、半ば地下都市めいた構造だった。
「公的な取引を行った上で、我々は同地を買収しました。廃棄されるくらいなら使わせてもらう方が早いという意見に、当時の政府も賛同したのです。大英帝国の崩壊に伴い、当時のACRIは多くの実験施設を失いました。エリアコントロールの長期実験を行うには、外部から遮断された大空間が必要です。あの施設は条件に適していました」
その決断が、後に新世界計画へ繋がる。
グリンゼニスは、歴史がしばしば思いがけない転用から始まることを知っていたが、それでもこの規模は途方もなかった。
「最初の目的は、ごく単純だった」
サー・ギメリオは椅子へ深く座り直し、まるで古い思い出を手繰るように言った。
「エリアコントロールの効果を、より安定した条件下で試すこと。異なる力場を重ねた時、領域はどう歪むか。方角と地脈、湿度と材質、閉鎖空間と開放空間で何が変わるか。複数の制御者が同一領域へ干渉した時、どこで崩壊し、どこで融和するか。要するに、現象の把握だ」
「その段階では、まだ世界を作ろうとしたわけではないんですね」
「無論、考えも及ばなかった」
老人は即答した。
「最初の頃は、むしろ“こんなものを世界と呼ぶのは愚かだ”という確認の連続だった。小さな場を作っては壊れ、少し広げては歪み、複雑な効果を持たせれば消費ばかりが跳ね上がる。今から思えば、酔っ払いの戯れ言を実戦しているようなものだった」
会議室に、控えめな笑いが落ちた。
だがそれも一瞬で、サー・ギメリオは再び真顔に戻る。
「転機は、エリアコントロールを単独の技能として完結させようとするのをやめた時だ。世界を作るというなら、世界が必要とする要素を、一つずつ外から持ち込まねばならないと気づいた」
「それは、つまり……人間社会以上に膨大な要素ですね」
「その通りだ」
彼は満足そうに頷いた。
「地形。水循環。気候の再現。生態系の基礎。光量と時間感覚。鉱物資源。土壌。微生物相。大気の質。自然現象の変化。生活圏を支えるための動植物。そして、それらと人間の営みがどう釣り合うか。世界というものは、一つの巨大な技能だけで出来上がるほど安っぽくない。だから我々は、各方面の専門家へ協力を求めた」
その結果は、当初の想定を超えていたのだという。
地質学者。気象学者。水文学者。植物学者。土壌学者。環境工学者。建築家。生態研究者。食料生産の専門家。そして、技能理論の諸分野に属する各研究機関。
世界を支えるには、一機関だけでは到底足りなかった。
だが意外にも、その呼びかけは好意的に迎えられた。
「なぜでしょう」
グリンゼニスが素直に尋ねると、行政側の男が答えた。
「理由は一つではありません。純粋に知的好奇心を刺激された者もいれば、既存の国家体制や領土秩序とは別の形で、人類の生存圏拡張に寄与したいと考えた者もいる。資源問題への危機感を強く抱いていた研究者は多かったのです。すなわち、テラの現状を憂慮した結果といえるでしょう」
それは、グリンゼニスも嫌というほど理解している問題だった。
テラは現実の地球とほぼ同一の存在でありながら、技能という超能力が文明の中へ組み込まれている。その利便性は人口支持力を押し上げ、技術の発展とも相まって、人類の活動範囲と消費を加速度的に拡大させていた。
人は増え、都市は膨らみ、資源消費は深刻さを増す。
宇宙へは進出している。海洋調査も進んでいる。
だが、どちらも本格的な移住や開発には遠い。
この星の上で生き延びるしかない以上、限界はいずれ訪れる。
技能があるからこそ、なおさら人類は「できること」を増やし過ぎてしまったのだ。
「だからこそ、新しい生存圏が必要だった」
サー・ギメリオは言った。
「NOCCは夢想家の道楽ではない。少なくとも、我々はそう考えていない。資源枯渇と人口圧に対する現実的な解決策の一つとして始まった。もちろん、万能の答えではない。だが何もしなければ、遅かれ早かれ行き詰まる」
そこで彼は、机上の別の資料を開いた。
そこにはいくつかの国名が並んでおり、参加の有無と、その理由が簡潔に書かれている。
「無論、すべての国が賛同したわけではない」
また、別の理事が説明を引き継いだ。
「ある大国は、独自路線で活路を見出すとして要請を拒んだ。別の大国は、この夢物語よりも宇宙進出に実利があるとして、そちらへ注力した。政治的思惑もあれば、国家としての自尊心もある。国際協調などと言っても、結局は各国が自国の利益を基準に動くのは避けられない。その結果、参加国は欧州が多くなった」
「自然とな」
サー・ギメリオの声には、皮肉も諦めもなかった。ただ事実を述べるだけだった。
「近接して争い合い、同時に協力せざるを得なかった歴史を持つ地域だからこそかもしれん。利害は複雑だが、資源問題の切迫感も共有しやすかった。英国、スコットランド、北欧、幾つかの西欧諸国、そして技能研究機関群。NOCCはそうして、いつしか一実験施設の延長ではなく、多機関連携の大規模計画になっていった」
世界を仕立て上げる。
その無謀な言葉が、少しずつ現実の輪郭を持ち始めたのだ。
「その新世界に付けられた名が、Paradisum」
老人は、ラテン語めいたその名を、静かに口にした。
「楽園。それは、最初から完成された理想郷であったわけではない。名は願いに近い。テラから任意の調整が行える、理想的な土地。その可能性に対して、人は往々にして大仰な名前を付けたがる」
グリンゼニスの胸に、その名がゆっくり落ちた。
パラディスム。
楽園。
それは甘美な響きを持ちながら、同時にどこか危うかった。人間が理想を形にしようとする時、そこには必ず現実との軋みが生まれる。
だが、もし本当に調整可能な土地があるのなら。
地形、気候、水系、生活圏、資源配分を、ある程度意図して設計できるのなら。
それは確かに、移住計画として比類のない価値を持つ。
「現在、形成はどの段階にあるんですか」
グリンゼニスの問いに、サー・ギメリオは一瞬だけ目を細めた。
その反応だけで、彼が既にこちらを候補者として見ていることがわかった。
「基礎構造の大半は出来つつある。だが、“世界として生きられる”水準にはまだ決定的な不足がある。その一つが、領域制御の精度と持続性だ」
その言葉に、グリンゼニスは背筋を正した。
話が、いよいよ自分に近づいてきたのがわかった。
「パラディスムは、単一の技能者が一つの場を展開して終わるような代物ではない。多層的なエリアコントロールが連結し、相互に支え合い、環境そのものとして機能しなければならない。しかも、単に広いだけでは駄目だ。安定して、人が住み、動植物が循環し、社会活動が継続できるだけの質を備えねばならん」
「それには、空間把握と制御の両方で、極端に高い精度が要る……」
「そうだ。しかも既存の教本通りでは足りない。誰かが、個人で新しい解法を編み出し続けなければならない」
そこでサー・ギメリオは、真正面からグリンゼニスを見た。
「君が選ばれた理由は、それだ」
会議室が静まり返る。
グリンゼニスは視線を逸らさなかった。
「君は優秀なエリアコントローラーだ。いや、その言い方では少し足りない。君は、領域そのものを“呼吸させる”感覚を持っている。空間把握を自然に行い、場の歪みを嫌い、無理に押し切らず、調和点を見つける。それは単に技能が上手い者にはできない」
「……」
「パラディスム形成に必要なのは、そういう人間だ。力で押し広げるのではなく、世界になり得る場を育てる者だ」
グリンゼニスは、返す言葉をすぐには持てなかった。
褒められ慣れていないわけではない。A級認定以降、似たような評価を耳にすることも増えた。
だが、これは違う。
ただ技量を誉めているのではない。
世界形成の一員として、自分の役割を具体的に示しているのだ。
「参加すれば、どうなりますか」
やがて彼はそう尋ねた。
声が自分でも驚くほど静かだった。
「生活の中心はパラディスム形成施設に移る。長期拘束になるだろう。担当領域の設計、維持、再編。必要に応じて他機関との調整。段階が進めば、現地活動も視野に入る」
理事会の一人が書類を差し出した。
そこには守秘義務条項、勤務形態、裁量範囲、危険性、そして参与者に求められる倫理規程まで細かく記されていた。
「危険も、あるのですね」
「ある」
今度はサー・ギメリオが即答した。
「未知の領域形成に、危険がないと思う方がどうかしている。精神力の過負荷、制御崩壊、空間歪曲、長期隔絶による心理負荷。挙げればきりがない。だが、それでもやる価値があると我々は判断している」
老人の声は、少しも揺れなかった。
夢物語として人を煽る者の声ではない。
危険も限界も承知した上で、それでも必要だと断じる者の声だった。
「返答は、今すぐでなくて構わない」
最後に彼はそう言った。
「君には君の人生がある。背負ってきたものも、ここへ来るまでの道筋も知っているつもりだ。だから、即答を強制はしない。だが一つだけ言っておこう」
サー・ギメリオは、ほんの僅かに口元を和らげた。
「これは、君でなければ務まらない仕事の一つだ」
会議はそれで終わった。
書類を抱え、半地下の会議室を出た時、グリンゼニスはしばらく足を止めた。
廊下の照明は白く、石壁は冷たい。外へ出れば、スコットランドの風が待っている。
だが今は、呼吸を整えるだけで精一杯だった。
NOCC。
新世界創造計画。
かつて戦略避難施設として穿たれた地下空間から始まり、一つの実験施設を経て、多数の研究機関と国家の思惑を呑み込みながら膨張していった構想。
人口増と資源枯渇という、テラが避けて通れぬ問題への解決策の一つ。
そして、パラディスムと名付けられた、新たな土地の現実化。
その中心へ、自分が呼ばれている。
外へ出ると、風が頬を打った。
空は相変わらず重い色をしている。
グリンゼニスは無意識に、遠い昔の母の声を思い出していた。
人には人それぞれの物の考え方や生き方がある。違うものを、まずは受け止めなさい。
新世界とは、突き詰めれば、違うものの集合体なのかもしれない。異なる土地、異なる気候、異なる思想、異なる人間が、それでも生き延びるために作ろうとする場所。
もしそうなら、自分が学んできたことも、失ってきたことも、無関係ではないのだろう。
その日の夜、彼はロエルヴェイトへ電話をかけた。
受話器の向こうで兄はすぐに出た。
「どうだった」
「長い話だったよ」
「お前は長い話を短くまとめるのが下手だ」
「兄さんの指摘は、いつも的確だね」
いつものようにそんなやり取りをしてから、グリンゼニスは少し間を置いて言った。
「NOCCに参加してほしいって、正式に打診された」
「……そうか」
兄の声は静かだった。
驚いていない。
どこかで、そうなるだろうと予感していたのかもしれない。
「新世界創造計画。パラディスム形成の中核要員として、だって」
「大きな話だな」
「ああ。大きすぎて、正直まだ実感がない」
「でも、お前はもう、その大きさに関わる側まで来たんだ」
グリンゼニスは黙った。
ロエルヴェイトが続ける。
「怖いか」
「少しは」
「それなら、たぶん大丈夫だ。怖くないと言い切るお前の方が、私は心配する」
「褒められてる気がしないよ」
「半分は褒めている」
その声を聞いていると、不思議と地面へ足が戻ってくる気がした。
両親を失ったあの日から、自分たちはたった二人の兄弟だった。進む道が違っても、立っている場所の感覚を確かめ合う相手は、今も変わらない。
だからグリンゼニスは、受話器を握ったまま、ようやく少しだけ笑った。
「まだ返事はしてないんだ」
「そうか」
「でも、たぶん……僕は逃げない方がいいんだと思う」
「お前らしい答えだ」
「そうかな」
「そうだよ」
電話を切ったあと、グリンゼニスは長いこと窓の外を見ていた。
テラという世界は、広いようでいて有限だ。人類はそれを知りながら、なお増え、なお求め、なお次を探している。
その果てに、新世界創造計画がある。
楽園と名付けられた土地が、本当に楽園たり得るかはわからない。
だが少なくとも、それを形にしようとする意志がある。
そして、その意志の中に、自分の手も必要とされている。
グリンゼニスはそっと目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、ヨークシャーの石造りの屋敷であり、母の言葉であり、父の静かな背中であり、幼い頃から自分を見てきたサー・ギメリオの眼差しだった。
人は、守られたままでは生きていけない。
いつかは、自分の足で、新しい世界の方へ歩いていかなければならない。
その時が来たのだと、彼はまだ完全には言い切れなかった。
けれど、扉は確かに目の前にある。
それだけは、もうはっきりとわかっていた。




