第8話 読み合い
第8話です。
街中の騒ぎの翌日。セナのもとに、クロウから「一人で来い」という呼び出しが届きます。
翌日、俺はオルタ・アーカイブにログインするなり、フレンド申請の通知を見つけた。
通知を開くと、差出人の名前が、目に飛び込んできた。
クロウだった。あの夜、街中で起きた騒ぎから、まだ一日も経っていない。
思えば、クロウとは、最初から妙な縁があった。初めて会った時、俺は攻撃力ゼロの最弱職で、あいつは、レイドを七回全滅させられていたトップランカーだった。普通なら、鼻で笑って終わりの組み合わせだ。それでも、あの日、クロウは俺の言葉を信じて、パーティー全員を亀裂の外へ弾き飛ばした。根拠のない話を、それでも信じてくれた。あの判断力と度胸は、今思い返しても、ただの豪胆さだけじゃない気がする。
短いメッセージが添えられている。
『話がある。訓練場に来い。一人でだ』
一人で、という一文に、少し引っかかった。何を話したいのか、想像はついた。だが、確信は持てなかった。
俺は、ユイに事情を話し、今日だけは別行動を頼んだ。
「クロウさんですか。……あの時、遠くから見てた人ですよね」
「ああ。少し、話がある」
「気をつけてくださいね。なんとなくですけど、悪い人には見えなかったですけど」
その一言に、俺は少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。ユイの人を見る目は、時々、俺よりもずっと真っ直ぐだ。彼女は、少し不満そうにしながらも、頷いてくれた。
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訓練場は、広場から少し離れた、円形の演習エリアだった。プレイヤー同士が、模擬戦を行うための場所だ。実際のダメージは発生しないが、体感的な衝撃は再現される仕様になっている。
演習エリアの中央には、円形に敷かれた石畳があり、その周囲を、低い柵が囲んでいる。観客の姿はない。誰にも見られたくない話、ということなんだろう。
昼下がりのせいか、他のプレイヤーの姿もほとんどなかった。柵の外側に立てられた古い看板には、「模擬戦利用中は立入禁止」とだけ書かれている。剣戟の音が響いても、誰にも気づかれない場所。クロウが、あえてこの時間、この場所を選んだ理由が、なんとなく分かる気がした。
クロウは、すでに来ていた。大太刀を肩に担ぎ、壁にもたれて立っている。俺の姿を見つけると、体を起こした。
「来たか」
「呼び出しにしては、随分と乱暴な文面だったな」
「性に合わねえんだよ、遠回しな言い方は」
クロウは、それだけ言うと、訓練場の中央へ歩き出した。俺は、少し距離を置いて、彼を見た。
「昨日の、あれ」
クロウが、唐突に切り出した。
「あの光、何だ」
「見た通りだ。記録の再生」
「攻撃力ゼロの記録者が、モンスターの動きを完全に読み切って、周りの人間を全員助けた。それが『見た通り』で片付く話か」
クロウの声には、抑えた苛立ちが滲んでいた。俺は、しばらく黙って、彼の顔を見た。トップランカーとしての矜持と、それを揺さぶる何かが、彼の中でせめぎ合っているのが分かった。
「お前、俺と、模擬戦をしろ」
「……何のためだ」
「確かめたい」
クロウは、大太刀を構えた。
「お前の力が、本物かどうか。まぐれの積み重ねなのか、それとも、ちゃんとした実力なのか」
俺は、少し考えた。断ることもできた。だが、クロウの目に浮かんだ真剣さは、単なる興味本位のものじゃなかった。何か、もっと切実な理由が、その奥にある気がした。
思えば、あのレイドの日から、クロウは俺に何かを聞きたそうにしていた。帰り際、一度だけ振り返って、俺の顔をじっと見た、あの表情。あの時、言葉にならなかった何かが、今、ようやく形を持とうとしているのかもしれない。だとしたら、ここで断るのは、少し違う気がした。
「攻撃力ゼロだぞ。模擬戦にならないんじゃないか」
「攻撃力なんて求めてねえ。お前がどこまで俺の動きを読めるか、それを見たいだけだ」
俺は、白紙の書に手をかけた。まだ、昨夜の熱の余韻が、微かに残っている気がした。
「……分かった。ただし、無茶な攻撃はなしだ。俺には、避ける以外の選択肢がない」
「上等だ」
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模擬戦は、開始の合図とともに始まった。
俺たちは、円形の石畳の中央で、向かい合った。クロウが、大太刀を右手一本で構える。俺は、丸腰のまま、重心を低く落とした。攻撃力ゼロの体でできることは、避けることだけだ。せめて、その一点だけは、譲るわけにはいかない。
開始の合図と同時に、クロウの姿が、視界から一瞬、消えたように見えた。それほどの速さだった。
クロウの動きは、これまで見てきたどの敵よりも、速く、鋭かった。大太刀の一振りが、空気を切り裂く音を立てる。俺は、その動きを、白紙の書に記録することを、あえてしなかった。今この瞬間の彼の動きを、ただ、目で追うことに集中した。
空気が唸る音がした。刃が生む風圧が、頬を掠める。恐怖より先に、これまで白紙の書に刻んできた無数の軌道が、頭の中で一斉に立ち上がった。
一撃目。俺は、体を横に流して躱した。
「……初撃を、簡単に躱すか」
クロウが、口の端を歪めた。二撃目。今度は、上段からの振り下ろし。俺は、記録の中から、似た軌道の敵の動きを思い出し、半歩だけ後退して、切っ先をやり過ごした。
「まぐれじゃ、ないみたいだな」
三撃目、四撃目と、太刀筋が矢継ぎ早に襲いかかってくる。汗が、額を伝った。VR空間だというのに、体は現実と同じように反応する。
五撃目は、下段からの薙ぎ払いだった。俺は、跳ぶことも、大きく退くこともせず、ぎりぎりの位置で、刃の軌道の外へ体を滑らせた。この距離感を維持することが、今の俺にできる最善だった。近すぎれば当たる。遠すぎれば、クロウの本気を見誤る。
「くっ……」
クロウの息遣いが、荒くなっていく。彼が本気で振るう剣の速度は、明らかに、レイドの時よりも上がっていた。俺のためだけに、手加減のない一撃を叩き込んでいる。それが、逆に、俺への評価そのものだと分かった。手を抜かれていたら、もっと嫌な気分になっていただろう。
クロウの太刀筋が、次第に速さを増していった。俺は、その一つ一つを、必死に読み続けた。攻撃力がない以上、俺にできることは、ただ避け続けることだけだ。だが、避け続けることそのものが、今の俺にとっては、精一杯の意思表示だった。
「なんでだ」
クロウが、剣を振るいながら、低い声で言った。額に、汗の玉が浮いている。トップランカーの彼が、これほど本気で汗をかく相手が、攻撃力ゼロの記録者だという事実が、彼自身にも、まだ飲み込めていない様子だった。
「なんで、そこまでして、避け続ける。反撃もできないくせに」
「反撃するためじゃない」
俺は、また一撃を躱しながら、答えた。息が切れ始めていた。読み続けることは、体力よりも、集中力を削られる。頭の奥が、鈍く痺れてくる感覚があった。
「お前が、何を確かめたいのか、俺も知りたいからだ」
クロウの動きが、一瞬、止まった。その隙を、俺は見逃さなかった。というより、見逃せなかった。攻撃する術がない以上、俺にできるのは、隙を見て距離を取ることだけだった。
俺は、大きく後ろへ跳んで、間合いを取り直した。息が上がっている。だが、まだ、意識は途切れていない。クロウの動きの癖が、少しずつ、頭の中で像を結び始めていた。踏み込む直前、必ず左足の重心がわずかに沈む。それが、彼の予備動作の癖だった。
クロウが、再び踏み込んできた。左足の重心が、わずかに沈む。俺は、その予兆に合わせて、半歩、右へ体をずらした。太刀筋は、俺のいた場所を、僅かに逸れて通り過ぎた。
「……っ」
クロウが、初めて明確に、驚いた顔をした。まぐれで避け続けられる回数には、限度がある。だが、俺は、たった今、彼の癖を読んで、意図的に躱してみせた。それは、彼にも伝わったはずだった。
「……お前、変わったやつだな」
クロウが、大太刀を下ろした。息が、少し上がっている。
「初めて会った時から、そう思ってた」
俺も、肩で息をしていた。攻撃を受けたわけじゃない。それでも、読み続けることは、想像以上に体力を消耗する行為だった。
「これで、満足したか」
「いや」
クロウは、大太刀を鞘に収めた。
「まだだ。だが、少なくとも、お前の力が、まぐれじゃないことは分かった」
彼は、俺の前まで歩み寄ってきた。
「聞きたいことがある」
「何だ」
「お前、何を見てる」
その質問は、思ったより深いところを突いていた。俺は、少し考えてから、答えた。
「削除されたものだ。この世界が、隠そうとしているもの」
クロウの表情が、微かに変わった。何かを、堪えるような顔だった。
「……隠そうとしてるもの、か」
「知ってるのか」
「いや」
クロウは、首を振った。だが、その否定は、どこか力がなかった。
「知らねえよ。ただ、時々、思うことがある。俺が今まで積み上げてきた強さが、本当に、俺自身のものなのかどうか」
クロウの声には、これまで聞いたことのない、脆さのようなものが滲んでいた。トップランカーとして振る舞う彼と、今、目の前にいる彼との間に、微かな隔たりがあるように感じられた。
俺は、少し意外だった。初めて会った時のクロウは、もっと単純に見えた。強さに絶対的な自信を持ち、それを何の疑いもなく振るう男。だが、今、目の前にいるのは、その自信の土台そのものに、静かな疑問を抱き始めている人間だった。
「お前だけには、なんとなく、話してもいい気がしたんだよ」
クロウが、ぽつりと言った。
「なんでかは、自分でもよく分からねえけどな」
「レイドの日、俺を信じてくれたからじゃないか。根拠のない話だったのに」
俺が言うと、クロウは、少し驚いたような顔をした。それから、ふっと表情を緩めた。
「……そうかもな」
その言葉には、以前、俺が見た「何か言いたそうな顔」の正体が、垣間見えた気がした。俺は、それ以上、深くは聞かなかった。今、この場で踏み込むべきことじゃない気がした。
「答えになってないかもしれないが」
俺は、白紙の書に、そっと手を置いた。
「見えるものが増えるほど、自分が何を積み上げてきたのか、逆に分からなくなる時もある。俺も、まだ、答えを持ってない」
自分で口にしていて、意外なほど、本音がこぼれた気がした。ユイと出会い、シオンの言葉を聞き、白紙の書の反応に振り回されるたびに、俺自身、確かなものが少しずつ揺らいでいる感覚があった。強くなっているはずなのに、自分の輪郭は、逆に、あやふやになっていく。クロウの抱えている感覚と、根っこの部分では、そう遠くないのかもしれない。
クロウは、しばらく黙って、俺を見ていた。それから、ふっと、小さく笑った。
「……妙な話だな。攻撃力ゼロのやつに、慰められるとはな」
その笑い方には、初めて会った時の、あの余裕たっぷりの笑みとは違う、どこか安堵したような柔らかさがあった。俺は、それを見て、少しだけ、この時間が無駄じゃなかったと感じた。
「慰めたつもりはない」
「分かってるよ」
クロウは、踵を返した。それから、振り返らずに言った。
「また、機会があれば、付き合え。今度は、もう少し、こっちの本気を見せてやる」
「望むところだ」
「セナ」
クロウが、去り際に、初めて俺の名前を呼んだ。それまでは、「お前」か「ネタ職」としか呼ばれたことがなかった。
「次会う時までに、もう少し、お前が何を見てるのか、俺なりに考えてみる」
「無理に急ぐことじゃない」
「分かってる。でも、気になっちまったんだよ、一度」
俺の返事に、クロウは、片手を軽く上げただけで、訓練場を後にした。
訓練場に、静けさが戻った。石畳に落ちる日差しが、少しずつ傾いていく。俺は、深く息を吐いた。攻撃を受けていないはずなのに、全身が、心地よい疲労感に包まれていた。
風が、石畳を撫でていく。俺は、しばらく、その場に立ち尽くしていた。白紙の書を開くと、ページに、小さな変化があった。
『記録:クロウとの模擬戦を記録しました』
記録したつもりはなかった。あの動きは、あえて書に残さず、目で追うことだけに集中していたはずだ。それなのに、書が、勝手に残している。
ページの束の最後に、また一枚、新しいページが増えていた。
『記録ページ:5/5』
前に増えた時と同じだ。増え方に、規則が見えない。だが、これは、これまでのような、誰かの死や、消えかけた存在の記録じゃない。生きている人間の、今この瞬間の記録だった。
そのことが、なぜか、俺の胸を、少しだけ軽くした。
俺は、白紙の書を閉じて、訓練場を後にした。ログアウトする前に、もう一度、時計塔を見上げる。今日という日は、権限にも、蒼太の手がかりにも、直接繋がる出来事じゃなかった。それでも、俺の中で、何かが確実に、良い方向へ動いた気がした。
誰かと、生きた記録を、一緒に積み重ねていくこと。それもまた、この世界を進んでいくための、大切な一歩なのかもしれない。俺は、そう思いながら、広場へと歩き出した。
第8話を読んでいただき、ありがとうございました。
「俺が今まで積み上げてきた強さが、本当に、俺自身のものなのかどうか」。トップランカーのクロウが初めて見せた迷いと、また勝手に増えた白紙の書のページ。どちらも、この先につながっていきます。
次話、セナとユイは、もう一度あの森の脇道へ向かいます。
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