第4話 酔いどれ賢者と、記録者
第4話です。
「権限不足」の意味を確かめるため、セナはかつての職場の先輩を探します。新キャラクター、関西弁の賢者・ヨハの登場回です。
翌日も、俺はオルタ・アーカイブにログインした。
ユイからは、今日は用事があってログインできない、とメッセージが届いていた。
昨日の扉のことが、頭から離れなかった。『権限不足:管理権限 未確認』。あの文字は、まだ目に焼き付いている。管理権限。誰が、何を管理しているのか。考えても、答えは出ない。
こういう時は、闇雲に一人で考えるより、経験者の意見を聞いた方が早い。俺は昔、そういう仕事のやり方をしていた。バグに詰まった時、一人で三時間悩むより、先輩に五分聞いた方が早いことは、よくある。分からないことを分からないまま抱え込むのは、非効率だ。それに、この世界に来てから、俺はずっと一人で考えすぎている自覚があった。
問題は、この世界に「先輩」と呼べる相手がいないことだった。
いや、一人だけ、心当たりがある。
現実の話だ。俺が昔勤めていた会社に、妙に飄々とした先輩プログラマーがいた。名前は、確か与謝野ハジメ。周りからは「ヨハ」と呼ばれていた。仕事はできるくせに、いつも「ま、ええやん」で片付けるような、緊張感のない人だった。バグを見つけても慌てない。締切が近くても慌てない。慌てないというより、何かを最初から諦めているような、そんな緩さがあった。あの人が、確か、オルタ・アーカイブをやっている、という噂を聞いたことがある。もう何年も連絡は取っていないが。
俺は、メニューからプレイヤー検索の画面を開いた。フレンドリストじゃない。このゲームには、フレンド登録していない相手でも、ハンドルネームである程度絞り込める「プレイヤー名鑑」という機能がある。一億二千万人が登録しているゲームだ。名前で検索して申請を送るのは、この規模のゲームでは珍しいことじゃない。もっとも、プライバシー設定で非表示にしている人間も多いから、必ず見つかるとは限らないが。
「ヨハ」で検索する。
結果は、案の定、大量に出てきた。似たようなハンドルネームが、何十件も並んでいる。「ヨハネ」「ヨハンナ」「ヨハ丸」。同じ響きの名前は、想像以上に多い。この中から、あの緩い先輩を一発で見つけるのは、さすがに無理がある。
俺は、少し考えた。
このゲームの名鑑は、ハンドルネームだけじゃなく、本人が書いた自己紹介文でも検索できる。ヨハには、癖があった。あの人は、何かにつけて「ま、ええやん」を口にする。他人事にも、自分のことにも、とにかくその一言で片付けてしまう人だった。もし本人が名鑑に何か書いているなら、きっと似たような調子で書いているはずだ。俺は、検索条件に「ええやん」を追加した。
候補が、一気に絞られた。数件だけになった中に、見覚えのあるアイコンがあった。
『ヨハ Lv.68 《賢者》』
自己紹介文には、こう書かれていた。
『レベル上げとか装備集めとか、まあええやんの精神でのんびりやってます。真剣勝負求めてる人には向きません』
間違いない。あの人だ。文章の緩さが、そのまま残っている。何年経っても、変わらない人間はいるものらしい。
俺は、フレンド申請を送った。メッセージ欄に、「セナだ。久しぶり」とだけ書いた。長々と説明するより、この一言で十分だろうと思った。相手が本人なら、それだけで通じるはずだ。
返信は、思ったより早く返ってきた。
『おっ、久しぶりやん。今どこ?』
やっぱりだ。俺は、少しだけ、口の端が緩むのを感じた。
---
指定された場所は、広場から少し離れた裏路地の酒場だった。看板もろくにない、狭くて薄暗い店だ。攻略掲示板にも載らないような、非公式な溜まり場らしい。オルタ・アーカイブほどの規模のゲームになると、こういう「表に出ない社交場」が無数に存在する。トップランカーが集う正規のギルドホールとは違う、もっと緩い、愚痴と情報交換だけが目的の場所だ。
裏路地を進むと、店の看板代わりなのか、小さなランプが一つだけ、扉の脇にぶら下がっていた。中から、くぐもった話し声と、グラスの触れ合う音が漏れている。俺は、その扉を押し開けた。
薄暗い店内には、数人の客がまばらに座っていた。誰も俺を気にする様子はない。カウンターの端で、だらしなく突っ伏している男が一人いた。
「ヨハさん」
声をかけると、男はゆっくりと顔を上げた。無精髭、ぼさぼさの髪。現実で会っていた頃と、あまり変わらない印象だった。もっとも、これはアバターだから、本人の意志でそう作っているだけかもしれないが。
「おお、セナくんやん。生きてたか」
「そっちのセリフだ。何年ぶりだよ」
「さあ。三年? 四年? もう覚えてへんわ」
ヨハは、カウンターの上に置かれた見たこともないカクテルグラスを傾けた。VR空間の酒には、酔うような成分は入っていないはずだが、彼はいかにも酔っているような動きをしていた。演技なのか、それとも本当に何かしらの効果があるのか、俺には分からない。
俺は、隣の椅子に腰を下ろした。カウンターの向こうで、店主らしき男が、無言でグラスを一つ置いていく。
「ヨハさんの奢りです」
店主が、そう言って離れていった。どうやら、俺が来る前に、ヨハが先に頼んでおいてくれたらしい。
「お、気ぃ利くやん、マスター」
「常連だからだろ」
「まあな」
ヨハは、へらりと笑った。
「お前、記録者選んだんか」
ヨハが、俺のクラス表示を見て、片眉を上げた。
「知ってるのか、この職業」
「知ってるも何も」ヨハは、喉の奥で笑った。「攻撃力ゼロで、みんな『クソ職』って呼んでるやつやろ。よう選んだな、あんな地雷職」
からかうような言い方だったが、その目の奥に、俺は一瞬だけ、違う色を見た気がした。真剣な光、というほどでもない。だが、単なる軽口とは少し違う何か。すぐに、それはいつもの緩い表情に戻ってしまったので、気のせいかもしれなかった。
「聞きたいことがある」
俺は、単刀直入に切り出した。
「白紙の書に、権限不足って出た。管理権限、って言葉も出た。知ってるか」
ヨハの手が、グラスを持ったまま、ほんの一瞬、止まった。ほんの一瞬だ。見逃していてもおかしくないくらいの、わずかな静止。それから、彼は何事もなかったかのように、グラスを傾けた。
「さあなあ。俺は賢者やし、記録者の仕様なんて詳しくないわ」
「本当か?」
「本当や本当。……まあ、強いて言うなら」
ヨハは、グラスをカウンターに置いた。
「権限ってのはな、多分、仕様やないで。設計や」
「……どう違う」
「仕様は、後から決まる。設計は、最初から決まってる。誰かが、最初から『こうしよう』って決めて作ったもんは、途中でどうこうできへん。ただ、それが何のために設計されたんかは……まあ、使う奴が、自分で見つけるしかないんちゃうか」
意味深な言い回しだった。俺は、その言葉を頭の中で繰り返した。設計。最初から決まっていること。それが何のために作られたのか、自分で見つけるしかない。
「もっと具体的に言えよ」
「言えたら苦労せんわ」
ヨハは、はぐらかすように笑った。それ以上、深く聞くのは無理そうだった。俺は、一旦、質問を切り替えることにした。
「……この店、よく来るのか」
「毎日やな。他にやることもないし」
「仕事は」
「辞めた。もう、ずっと前に」
その言い方に、俺は一瞬、引っかかった。俺たちが働いていた会社を辞めたのか、それとも別の意味なのか。聞き返そうとした時、ヨハが先に口を開いた。
「なあ、セナくん。お前、現実の飯、味薄く感じることない?」
心臓が、跳ねた。
「……なんで、それを」
「やっぱりか」
ヨハは、少し寂しそうに笑った。それまでの飄々とした表情とは、明らかに違う笑い方だった。
「俺もな、最初はそうやったわ。コーヒー飲んでも、なんか、輪郭がぼやけてる感じがしてな。最初は疲れかと思っててんけど」
「今は?」
「今は、まあ、慣れた」
慣れた、という言葉の重さが、俺にはよく分からなかった。慣れていいものなのか。それとも、慣れてはいけないものなのか。俺は、その質問を、口には出さなかった。今、それを聞いても、はぐらかされるだけだという予感があった。
「……旧世代機は、使ってないのか」
「使ってへんで。俺は新世代機や」
意外だった。てっきり、俺と同じ理由で旧世代機を使い続けているのかと思っていた。
「じゃあ、なんで味が薄くなる」
「さあな。機体の問題やないんちゃう。……まあ、これも、そのうち分かるわ」
ヨハは、いつものように、核心には触れなかった。だが、その言い方には、明らかに何か知っている人間特有の、諦めに似た響きがあった。
その時だった。
店の奥、別のテーブルで、何かが割れる音がした。振り向くと、大柄なプレイヤーが一人、隣の卓の客に絡んで、椅子を振り上げていた。連れらしいもう一人の男が、面白がるように囃し立てている。二人組らしい。
「おい、店の中で暴れんな!」
店主らしき男が叫ぶが、大柄な男は聞く耳を持たない様子だった。周りの客は、慣れているのか、遠巻きに見ているだけだ。こういう店では、日常茶飯事らしい。
「……あーあ、またか」
ヨハが、面倒くさそうに立ち上がった。
「巻き込まれる前に退散すんのが賢いんやけど。まあ、たまには体動かすのもええか」
「戦うのか」
「賢者やからな。喧嘩の仲裁くらいはできるで」
ヨハが、軽く指を鳴らした。淡い光の輪が、椅子を振り上げていた男の足元に浮かぶ。次の瞬間、男の足が滑って、盛大に転んだ。魔法というより、ちょっとした悪戯のような一撃だった。
だが、光の輪は、はっきりと目に見える形で発動していた。連れの男が、それを見逃さなかった。
「てめえ、今、何しやがった」
連れの男が、ヨハを指差して凄んだ。転んだ男も、ばつが悪そうな顔をしながら立ち上がると、連れに便乗するように、こちらへ向き直った。
「……ちっ、二人がかりかよ」
ヨハが、うんざりしたように肩をすくめた。二人は、示し合わせたように、それぞれ拳を構えた。
「セナくん、何か手伝えるか? 攻撃力ゼロやろ」
「見せてやるよ」
俺は、白紙の書を開いた。ページの隅、まだ薄く光っている記録の断片。レイドの残響から拾った、様々な軌道のデータが、そこに残っている。とはいえ、酒場の喧嘩相手に、ボスの即死ギミックのデータは使えない。だが、動きの「癖」を読むこと自体は、応用できるはずだ。
男が振りかぶった瞬間、俺は動きの起点を見た。肩の入れ方、重心の傾き。素人の喧嘩は、動きが大きく、単純だ。今まで見てきた洗練された敵の軌道と比べれば、読むまでもないくらい分かりやすかった。
「右だ」
俺が短く言うと、ヨハは、それだけで理解したように、半歩だけ左にずれた。振り下ろされた拳が、空を切る。体勢を崩した男の背中に、ヨハの放った小さな衝撃波が命中した。男は、あっけなく吹き飛んで、床に転がった。
もう一人も、似たような動きで向かってきたが、結果は同じだった。数秒で、二人とも床に沈んでいた。
「おお、ええコンビやんけ」
ヨハが、嬉しそうに笑った。
「攻撃力ゼロでも、こんだけ動きが分かれば、十分やな」
「大したことはしてない」
「いや、大したもんやで。普通、そんな一瞬の動きなんて、見えへんわ」
ヨハは、感心したように俺を見た。それから、ふと、真面目な顔になった。
「セナくん。お前、その力、大事にしいや」
「……何だよ、急に」
「いや、ただな」
ヨハは、また、いつもの緩い笑顔に戻った。
「見えるもんが見える奴は、貴重や。この世界、見えへんことにされてるもんが、多すぎるからな」
その言い方に、俺は一瞬、息を止めた。見えないことにされているもの。まるで、フィルタリング機能のことを、遠回しに言っているみたいだった。
「……どういう意味だ」
「さあな。酔っ払いの戯言や」
ヨハは、また、はぐらかした。それ以上、聞き出せる雰囲気ではなかった。
店主が、こぼれた酒を片付けながら、疲れたようにこちらに礼を言った。俺たちは、適当に飲み物を頼み直して、しばらく他愛のない話をした。ヨハは、昔の職場の愚痴や、最近見た面白いバグの話を、次々と語った。時折、話の途中で、少しだけ視線が虚空に泳ぐ瞬間があった。まるで、別の記憶が混ざり込んでいるみたいに。俺は、それに気づかないふりをした。今は、深く聞く時じゃない気がした。
「……なあ、ヨハさん」
俺は、少し迷ってから、聞いた。
「昔の職場の話、覚えてるか。あの頃、一緒に仕事してた奴のこと」
ヨハの表情が、ほんの一瞬だけ、動いた。
「……誰のことや」
「いや、別に。ただ、あの頃のこと、俺、あんまり覚えてないんだ。忙しかったせいかもしれないが」
ヨハは、しばらく黙っていた。それから、いつもの調子で言った。
「まあ、忘れてることの方が、幸せなこともあるで」
その言葉が、妙に重く響いた。俺は、それ以上、突っ込んで聞くのをやめた。
夜が更けて、俺は席を立った。
「そろそろ行く」
「おう。また来いや、セナくん」
ヨハは、カウンターに突っ伏したまま、片手を上げた。
「……あのさ」
俺は、店を出る前に、もう一度振り返った。
「管理権限のこと、本当に知らないのか」
ヨハは、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「……いつか、自分で見つけるほうがええ。俺が言うより、その方が意味がある」
その声には、いつもの軽さがなかった。俺は、それ以上聞かず、店を出た。
外の広場は、静かだった。腰の白紙の書に手をやる。震えは、まだ完全には止まっていない。だが、今日は、少しだけ、何かが前に進んだ気がした。
管理権限が何なのか、はっきりとした答えは、まだ手に入っていない。だが、ヨハの言葉が、頭の中に残っていた。
仕様じゃない。設計だ。
誰かが、最初から、そう決めて作った。
そして、忘れてることの方が、幸せなこともある、とも言った。あの言葉には、単なる慰めじゃない、何か具体的な意味があった気がする。俺の中の、何か。忘れている、何か。
俺は、時計塔を見上げた。まだ、答えは遠い。それでも、少なくとも、道の一部は見えた気がした。
俺は、静かにログアウトボタンに指をかけた。
第4話を読んでいただき、ありがとうございました。
「仕様やない、設計や」「忘れてることの方が、幸せなこともある」。酔っ払いの戯言に聞こえるヨハの言葉には、まだ明かしていない意味があります。
次話、セナとユイは、ノースリーチの噂の出どころを求めて情報屋を訪ねます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




