第14話 比べていたもの
第14話です。
門番の言葉をヨハに伝えたセナ。その帰り道、広場は、ある噂で持ちきりになっていました。
翌日、俺はヨハの酒場へ向かった。
「ギルガメシュに、行ってきた」
俺が言うと、ヨハは、カウンターに突っ伏したまま、片目だけ、こちらに向けた。
「……門番に、会ったんか」
「ああ。名前を置いていけ、と言われた」
ヨハの表情が、初めて、はっきりと強張った。長い沈黙の後、彼は、ゆっくりと体を起こした。
「セナくん。それ、軽く扱ったらあかんやつや」
「知ってるのか」
「詳しくは、知らん。ただ、名前ってのは、この世界じゃ、思ってるより重い意味を持つことがある。……それだけは、忘れんとってくれ」
その言い方には、いつもの飄々とした調子が、まるでなかった。俺は、それ以上、深くは聞けなかった。ヨハの目の奥に、何か、触れてはいけないものが揺れている気がしたからだ。
「気をつける」
「頼むわ、ほんまに」
酒場を出ると、俺は、白紙の書を開いた。名前を置いていく、という条件の意味は、依然として、はっきりしないままだった。だが、少なくとも、それが軽々しく応じていいものじゃない、という確信だけは、深まっていた。
---
酒場を出た後の空は、いつもより曇っていた。俺は、白紙の書を胸元に押し当てながら、広場へ向かって歩いた。ヨハの反応が、思いのほか重かった分、頭の中には、まだ、名前という言葉が、重く残り続けていた。
その足で、広場に戻ると、様子がおかしかった。
いつもの喧騒とは違う、緊張した空気が、プレイヤーたちの間に漂っている。俺は、掲示板の方へ足を向けた。
「秩序の盾のクロウ、単独でギルガメシュに突っ込んだらしいぞ」
「マジかよ、あそこ、誰も攻略してないだろ」
「門番に一撃でHP削り切られて、戦闘不能判定食らったらしい。這う這うの体で戻ってきたって」
掲示板の前には、いつもより多くの人だかりができていた。俺は、その隙間から、ざわめく会話に耳を澄ませた。戦闘不能になったプレイヤーは、一定時間、装備やステータスにペナルティを受けたまま、自力でギルドホームまで戻ることになる。命に別状はない。だが、トップランカーが、そこまで一方的にやられた、という事実だけで、十分に異様な話だった。クロウ、という名前が、あちこちで繰り返されていた。
その名前を聞いた瞬間、俺は、走り出していた。
---
秩序の盾のギルドホールに着くと、メンバーたちが、深刻な顔で集まっていた。俺の姿を見つけた一人が、緊張した声で言った。
「セナさんか。クロウなら、奥の部屋だ」
奥の部屋は、薄暗く、静かだった。回復役らしきギルドメンバーが、ポーションの瓶を片手に、出入りしている。俺は、その隙間を縫うようにして、部屋の中を覗き込んだ。
奥の部屋に入ると、クロウが、椅子に座り、片腕を軽く押さえていた。HPバーは、まだ半分近くまでしか戻っていない。戦闘不能から復帰した直後は、しばらく数値の回復が遅くなる仕様だ。だが、意識ははっきりしていたし、命に関わるような状態でないことは、一目で分かった。
「クロウ」
「……よう」
その声には、いつもの威勢の良さがなかった。俺は、彼の前に立った。
「何を考えてる。ギルガメシュに、一人で突っ込むなんて」
「別に、考えなしじゃねえよ」
クロウは、痛みを堪えるように、顔をしかめた。
「お前が、あそこの門まで行ったって噂、聞いた。名前を置いていけ、とか言われたんだろ。掲示板に、そんな書き込みがあった」
「……ああ」
「俺も、確かめたかった」
「何をだ」
クロウは、しばらく黙っていた。それから、絞り出すように、言葉を続けた。
「お前は、見えるもので、この世界の裏側に触れてる。だが、俺には、それがない。あるのは、この剣と、積み上げてきた強さだけだ。……あの門番に、俺の強さが、どこまで通用するのか。それを、確かめたかった」
その言葉に、俺は、以前、訓練場で聞いた台詞を思い出した。「俺が今まで積み上げてきた強さが、本当に、俺自身のものなのかどうか」。あの時、彼は、そう漏らしていた。今の行動は、あの不安の、直接的な延長線上にあった。
俺は、その不安を、頭ごなしに否定できなかった。あの日から、クロウは、ずっと、その問いを抱え続けていたんだろう。誰にも言わず、一人で。そして、それが限界に達した時、彼は、答えを、自分の剣で、直接確かめに行くことを選んだ。
「結果は、どうだった」
クロウは、自嘲するように、小さく笑った。
「話にならなかった。斬りかかった瞬間、あの門番、俺の剣を、片手で止めやがった。そのまま、軽く弾かれて、これだ。弾かれた瞬間、HPが消し飛んだ。斬られた感触もねえのに」
彼は、押さえていた腕を、少しだけ持ち上げた。衝撃の余韻が、まだ抜けていないらしい。
「情けねえよな。トップランカーだの何だの言われてきて、結局、あの化け物の前じゃ、赤子同然だった」
「クロウ」
「お前が羨ましかったんだよ、正直」
その一言は、思いのほか、重く、俺の中に落ちた。
「見える力があるお前と、力しか持たない俺。どっちが、この世界で、意味のある存在なのか。ずっと、比べちまってた」
俺は、何と答えればいいか、すぐには言葉が出てこなかった。クロウの強さを、羨ましいと感じたことは、俺自身にもあった。攻撃力ゼロの自分と、圧倒的な剣技を持つ彼。互いに、互いの持っていないものを、見つめていたということだ。
「比べる必要、あるか」
俺は、ようやく、それだけ言った。
「お前の強さは、お前のものだ。門番に通用しなかったからって、それが消えるわけじゃない」
「慰めなくていい」
「慰めてない。ただ、お前が、一人で無茶をする理由がないだけの話だ」
部屋の中に、沈黙が落ちた。回復役のプレイヤーが、遠慮がちに、部屋の外へ出ていく。二人きりになった空間で、クロウの表情から、少しずつ、強張りが抜けていくのが分かった。
クロウは、しばらく、俺の顔を睨むように見ていた。それから、大きく息を吐いた。
「……悪かったよ。勝手に突っ込んで、心配かけた」
「謝る相手が違う。ギルドのメンバーにも、ちゃんと言え」
「分かってる」
その素直な返事に、俺は、少しだけ、拍子抜けした。だが、彼の表情には、まだ、拭いきれない何かが、残っていた。
「クロウ。これで、終わりにするなよ」
「……何がだ」
「自分の強さを、疑うのをやめろとは言わない。だが、疑った末に、一人で無茶をするのは、もうなしだ。お前が、それで消えたら、俺は、後味が悪すぎる」
クロウは、しばらく、黙っていた。それから、ふっと、小さく笑った。
「……お前に、後味悪い思いさせるのは、俺も嫌だな」
その一言で、張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ気がした。だが、完全に元通り、というわけじゃない。クロウの中にある、強さへの不安は、まだ、消えていない。俺の「比べる必要、あるか」という言葉も、見える側にいる人間の言葉として、クロウには、届ききらなかった気がする。俺との間にできた、その微妙な距離感は、簡単には埋まらないだろう。
俺たちは、互いに、違う種類の力を持っている。それぞれの力には、それぞれの限界がある。それを認め合うことと、素直に頼り合うことの間には、まだ、埋まらない溝がある。今日のことで、その溝が、完全になくなったわけじゃない。ただ、溝があることを、互いに、はっきりと自覚した。それだけでも、今は、十分な前進なのかもしれなかった。
「治療、ちゃんとしろよ」
「言われなくても」
俺は、ギルドホールを後にした。外に出ると、広場は、いつも通りの喧騒に戻りつつあった。だが、俺の中には、今日得た情報の重さが、はっきりと残っていた。
門番は、クロウの、トップランカーとしての実力を、片手で止めた。純粋な武力では、あの場所を突破できない。だとすれば、「名前を置いていけ」という条件は、力とは、まったく別の次元の話なのかもしれない。
俺は、白紙の書を開いた。
『警告:未知の存在との接触。安易な取引は推奨されません』
まだ、あの表示は消えていない。だが、俺の中で、確信が、また一段、強くなっていた。この先に進むためには、力でも、都合の良い記憶でもない、もっと別の何かが、必要になる。
時計塔の下で、俺は、しばらく、空を見上げていた。クロウとの間に生まれた、この小さな亀裂も、いずれ、きちんと向き合わなければならない。だが、今は、まず、目の前の謎と、向き合う時だった。
第14話を読んでいただき、ありがとうございました。
「お前が羨ましかったんだよ、正直」。見える力を持つセナと、力しか持たないクロウ。互いに比べていたものは、まだ埋まりきっていません。
次話、第1章の最終話です。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




