第13話 名前を置いていけ
第13話です。
記録庫を疑うと決めた二人が、最初の手がかりに立ち返ります。兄の最後のログイン場所、削除都市ギルガメシュへ。
答えは出ないまま、俺たちは、時計塔の下に立っていた。
「セナさん」
ユイが、先に口を開いた。
「記録庫が信じられないなら、私たち、他に、何を手がかりにすればいいんでしょうか」
その問いは、俺自身、ずっと考えていたことだった。記録庫が、都合の良い記憶を見せる場所だとしたら、そこで得た情報を土台に進むのは、危険だ。だとすれば、もっと前、記録庫の存在すら知らなかった頃に立ち返る必要がある。
俺は、白紙の書を開いた。ページを一枚ずつ、時間を遡るように、めくっていく。記録庫での出来事、クロウとの読み合い、ヨハの警告。それらを一つずつ通り過ぎ、最初期の記録に行き着いた。あの夜、ユイの兄のアカウントが、突然、自動ログインした瞬間の記録。
『最終ログイン場所:削除都市ギルガメシュ』
その一文を見た瞬間、俺は、はっとした。
「セナさん?」
「……そうだ。俺たちは、最初から、これを見てた」
ギルガメシュ。あの夜、俺たちが最初に得た、蒼太に繋がる手がかり。記録庫の存在に気を取られて、いや、違う。行けない理由を並べて、俺は、この場所を避けていた。
「記録庫は、俺たちが見たいものを、見せてくれる場所だった、のかもしれない。だが、これは違う。記録庫に入る前に、記録庫とは無関係に見たものだ。それに、これはお前の画面にも出ていた。俺一人が見たわけじゃない」
記録庫へ案内したのは、シオンだ。だが、シオンを疑う気にはなれなかった。少なくとも、あいつは「開いた先に、何があるかは、私にも分かりません」と言っていた。
ユイの目に、また、光が戻り始めた。
「じゃあ、ギルガメシュに、行ってみましょう」
「ああ。今度こそ、俺たちの意志で、確かめに行く」
---
翌日、仕事の合間、俺は何度も、ギルガメシュという単語を、頭の中で繰り返していた。あの夜、意味も分からず見過ごしていた地名。今になって、それが、これまでの全ての遠回りの果てに、ようやく辿り着いた、確かな手がかりのように思えてきた。
夕方、俺たちは、ギルガメシュについての情報を集め始めた。攻略掲示板を漁ると、断片的な記述がいくつか見つかった。
「ギルガメシュ? 未実装エリアだろ、あそこ。行っても何もねえよ」
「入り口はあるけど、門番NPCに追い返されるって話」
「門番に『名前を置いていけ』って言われた。意味分からんから帰った」
「クリア報告、見たことねえな」
具体的な攻略情報は、ほとんど出てこなかった。誰も、まともに踏み込んだことがないらしい。書き込みの多くは、入り口に辿り着いたところで撤退した、という報告ばかりだった。門番に追い返された、何も反応がなくて諦めた、という声が目立つ。
それが、逆に、俺たちの確信を強めた。あそこには、まだ、誰も辿り着いていない何かがある。
「セナさん、危なくないですか、そんな場所」
「危ないだろうな。だが、記録庫よりは、少なくとも、嘘をつかれる心配はない」
ユイは、少し不安そうな顔をしながらも、頷いた。
情報屋の店にも、念のため立ち寄った。フードの男は、「ギルガメシュ」という単語を聞いた瞬間、珍しく、表情を強張らせた。
「あそこか。俺の客でも、行ったって話をする奴は、ほとんどいない。行っても、収穫なしで帰ってくるのがオチだ、ってな」
「何か、知ってることは」
「門番がいる、ってことくらいだ。それ以上は、俺も知らん。悪いが、今回ばかりは、力になれそうにない」
情報屋の口が重いのは、珍しかった。それだけ、あの場所が、この世界の中でも、特異な位置づけにあるということなんだろう。
---
ギルガメシュへの道は、これまで歩いたどの場所よりも、荒涼としていた。地図上では、初心者の森からさらに北。記録者らしき人影が消えたという噂の、ノースリーチとも違う方角に位置している。整備された街道は途中で途切れ、俺たちは、剥き出しの岩肌が続く荒野を、黙々と歩いた。
途中、ユイが、メニューを開いて、小さく声を上げた。
『兄の足跡を辿れ』
初めて会った日に、ユイが受けていたクエストだった。目的地を示す矢印が、まっすぐ、俺たちの進む先、北を指している。
「……ずっと、ここを指してたのかもしれませんね」
ユイの声は、少しだけ震えていた。
木々も、モンスターの気配も、ほとんどない。ただ、風の音だけが、耳につく。まるで、この世界の「作り込み」そのものが、この先で、途切れているような感覚があった。
「セナさん、なんだか、寒気がします」
「気温設定の問題じゃないだろうな、これは」
ユイが、自分の腕をさすりながら、周囲を見回した。旧世代機の彼女にも、この場所の異質さが、はっきりと伝わっているらしい。歩を進めるごとに、白紙の書が、これまでとは違う、低く重い周波数で、微かに震え始めていた。
やがて、荒野の先に、崩れかけた石造りの門が見えてきた。かつては、立派な都市の入り口だったんだろう。今は、風化し、蔦に覆われた、廃墟の残骸でしかない。
門の前に、一つの人影があった。
大柄な体格。無骨な鎧を纏い、両手には、これまで見たどんな武器とも違う、巨大な石の斧を携えている。表情は、感情の読めない、能面のような静けさをしていた。全身から、他のNPCとは明らかに異なる、静かな重圧のようなものが漂っている。プレイヤーが作ったモデルというより、この場所そのものが生み出した何か、という印象を受けた。
「セナさん、あれ、NPCですか」
「多分な」
俺たちが近づくと、その人影は、ゆっくりと、こちらに顔を向けた。
「……何者だ」
低く、地の底から響くような声だった。俺は、一歩前に出た。
「セナだ。ここに、探しているものがある」
「探しているもの、か」
門番の視線が、俺から、白紙の書へと移った。何かを、値踏みしているというより、確かめているような、そんな目だった。長い沈黙が流れた。ユイが、俺の背後で、息を潜めているのが分かった。
門番は、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「この先に進みたければ、名前を置いていけ。忘れられたくないなら。」
「……どういう意味だ」
「言葉通りだ。お前の名前を、ここに置いていけ。それが、ここを通る条件だ」
掲示板で見た、あの書き込みと同じ言葉だった。だが、俺は、その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。名前を置いていく、というのが、比喩なのか、それとも、この世界のシステム的な何かを指しているのか。頭の中で、記録庫の警告表示が、ふと重なった。あそこも、都合の良さの裏に、何か対価が潜んでいたのかもしれない。今度は、その対価が、もっと直接的な形で提示されている。そんな気がした。
「名前を置いたら、どうなる」
「知らん」
門番は、それだけ言うと、両手の石斧を、静かに構え直した。会話を打ち切る、という意思表示のようだった。
「セナさん、これ、どうしますか」
ユイが、緊張した声で聞いた。その声には、期待と不安が、半々に混じっていた。俺は、白紙の書を開いた。ページに、新しい表示が浮かんでいた。
『警告:未知の存在との接触。安易な取引は推奨されません』
俺は、その警告を、じっと見つめた。名前を置いていく、という言葉の重さが、はっきりとは分からないまま、それに応じるのは、あまりにも危険だった。記録庫での経験が、俺に、そう判断させていた。よく分からないものには、簡単に飛びつかない。それが、今の俺が、身につけた数少ない教訓だった。
「……今日は、退く」
「え?」
「意味も分からず、名前とやらを差し出すのは、無謀すぎる。まず、これが何を意味するのか、調べる必要がある」
ユイは、少し悔しそうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「分かりました。でも、少なくとも、確かに、ここに、何かがあるってことは分かりましたね」
「ああ」
門番は、俺たちが背を向けても、追ってはこなかった。ただ、その場に立ち尽くしたまま、俺たちの背中を見送っていた。振り返ると、その視線は、まだ、こちらに向けられたままだった。敵意はない。それでいて、決して見逃さない、という強い意志だけが、そこにあった。
荒野を戻りながら、俺は、頭の中で、今日得た情報を整理していた。ギルガメシュという場所は、確かに実在する。門番がいる。名前を置いていけ、という、謎めいた条件がある。記録庫のような、都合の良い幻想とは、明らかに質が違う手応えだった。
都合よく望みを見せてくれるわけではない。むしろ、こちらに、何かを差し出すことを要求してくる。その厳しさが、逆に、俺には、信頼できるものに感じられた。優しさの仮面をかぶった不確かなものより、はっきりと対価を求めてくるものの方が、まだ、向き合いやすい。
俺たちは、荒野を抜け、見慣れた街道へと戻っていった。頭上に広がる、作り物めいた星空を見上げながら、俺は、この先に待っている何かへの緊張と、それでも進むしかないという確信を、同時に噛み締めていた。
「セナさん、名前を置いていく、ってどういう意味だと思いますか」
ユイが、歩きながら、ふと聞いた。
「分からない。だが、いくつか、可能性は考えられる」
「たとえば?」
「文字通り、ハンドルネームや、キャラクター名を、何らかの形でシステムに預ける、という意味かもしれない。あるいは、もっと比喩的に、自分が何者であるかという情報そのものを、差し出す必要がある、という意味かもしれない」
「どっちだとしても、ちょっと怖いですね」
「ああ。だからこそ、今日は、退いた」
俺たちは、しばらく無言で歩いた。街道の明かりが、少しずつ、視界に戻ってくる。あの荒野の静けさとは対照的な、賑やかな喧騒が、遠くから聞こえ始めていた。
「セナさん、次は、いつ行きますか」
「調べてからだ。名前を置く、という条件の意味が分かるまでは、迂闊に踏み込まない」
「情報屋さんも、あまり詳しくなさそうでしたね」
「ああ。だから、別の手を考える必要がある」
俺の頭に、真っ先に浮かんだのは、ヨハの顔だった。記録庫のことを聞いた時も、彼は、何か知っていながら、はぐらかす態度を見せていた。ギルガメシュについても、同じように、何か知っているかもしれない。
「今度、ヨハにも聞いてみるか」
「はい。セナさんの昔の先輩ですよね。私も、一度会ってみたいです」
広場に戻ると、時計塔の明かりが、いつも通り、静かに石畳を照らしていた。俺は、白紙の書を、そっと胸に押し当てた。今日得たものは、記録庫で得たものとは、明らかに質が違う。都合の良さに寄りかからず、自分の足で確かめた手応え。それだけで、少しだけ、前に進めた気がした。
第13話を読んでいただき、ありがとうございました。
ついに辿り着いた、削除都市ギルガメシュの門。そこに立つ門番は、「名前を置いていけ」と告げました。名前を置くと、何が起きるのか。セナは、まだ答えを持っていません。
次話、セナが聞いたこの言葉に、ヨハが初めて顔色を変えます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




