三話 《初めての旅》
いつも通り訓練を終えて僕は昼食の席についていた。
僕の向かいの席に座る父と母の顔を見る。
二人ともいつもと変わらず普段通り、だけど僕の心はいつもと違う。
「父さん、母さん」
二人がいつも通りの優しい笑顔でこちらを見る。
僕が今思っていることを口にして怒られるとは思っていない。でも何故だか少し緊張していた。それでも意を決して二人に打ち明けた。
「あのさ、僕、外の世界を見てみたい」
二人が食事の手を止め昼食中の食卓に静寂が落ちた。
父の顔は優しい顔からやがて訓練中のような真剣な顔を浮かべ、何かを思案するように沈黙した。
母はそのまま固まってしまい驚いた顔をしていた。
しばらく誰も喋らない。
やがて父が静かに口を開いた。
「……なぜですか」
怒ってはいない。だけどとても真剣な声色だ。
「アルの話を聞いたんだ」
「外の世界のですか?」
「うん、僕は今まで森しか知らなかった。でも世界には色んな場所があるんだよね⁈」
「……海もあって。大きな街もある。見たことのない草花もあるかもしれない。僕はそれを自分の目で見てみたいんだ!」
父が黙って話を聞いてくれて、僕は言葉が止まらない、生まれて初めて両親にわがままを言った。
父は目を閉じ母も困ったような顔をしている。
やがて父は首を横に振った。
「駄目です」
父の言葉に胸が少し痛んだ。でも、なんとなく予想はしていた。
「外の世界はヴィリが思っているより危険です」
「でも――」
「強い魔物もいますし盗賊もいます」
父の声は穏やかで、だからこそ重かった。
「お前は外の世界を知りません」
僕は知らないからこそ自分の目で世界を見たいんだ!と心の中で反論したが――
だけど何も言い返せなかった。
その通りだからだ。
父は知りたがる僕を心配してくれている。
僕は森しか知らない。
世界を見たいと思ったのだって昨日のことだ。その為の準備を僕は何も出来ていない。
それ以上は話が進まなかった。
僕は落ち込んだまま家を出た。気付けば広場まで歩いて来ていた。
「どうかしたのか?」
「ん、あぁ、アル.....」
とぼとぼと広場を歩く僕に声を掛けたのはアルだった。
「どうしたんだよ、何があったのか?」
「んー、お昼にちょっとね」
僕とアルは揃って木陰に移動して座り込み、昼時のことをアルに向かって説明した。
父に反対されたこと。
外へ出たいこと。
世界を見てみたいこと。
全部。
アルは最後まで黙って僕の話を聞いてくれた。
「それ、俺の父さんに相談してみるか?」
「え、マルロさんに?」
マルロさんに話してどうするの?と思いつつアルに連れられマルロさんの所に二人で向かった。
日暮れ時、僕とアルはマルロさんのところでさっきアルに話した内容をもう一度マルロさんに説明していた。
話を聞いたマルロさんは腕を組む。
「ふむ」
しばらく考え込んでいたが、やがて笑った。
「もしかしたらだが、許して頂けるかもしれない」
「え?」
「いきなり世界を旅する必要はない」
僕は目を瞬かせる。
「まずは私たちの村に来ればいい」
「村に?」
「そう、村なら安全だ。人間の暮らしも学べる」
確かにそうだ。いきなり旅に出るより現実的だ、マルロさんはさらに言葉を続けた。
「村で暮らしてみて、自分に向いているか、やっていけるか考えればいい」
その夜にマルロさんの提案は父たちに伝えられ、家で改めて話し合いが行われた。
父。
母。
僕。
そしてマルロさんとアルもいた。
昼間とは違い今度は僕の代わりにマルロさんが具体的に話してくれた。父も母も長い間考え込んでいた。
僕はただ静かにエイクさんの話術を信じて待つ。
やがて父が口を開いた。
「ヴィリ」
「はい」
「本当に行きたいのですか?」
呆れたような困ったような、そんな顔で父は確認するように問いかけて来たが、僕はその問いに迷いはない。
「うん、世界を見てみたい!」
どうしても自分の目で見てみたい、確かみたいと力強く返事をした。
父は僕の目を見つめ、そして小さく息を吐く。
「はぁ、昔からお前は何にでも真っ直ぐで、何にでも興味を持つ好奇心の強い子でした」
やがて父さんは聞き分けのない僕に根負けしましたと言わんばかりの溜息と言葉を漏らす。
「新しい技の組み合わせを思いついたと言って何日も掛けて試したり、綺麗な草花を見つけたりすると人に聞いたり調べたりと...」
少しだけ笑っていた。
優しいいつもの父らしい言葉だった。
「きっといつかそんな事を言い出すかもしれないとは思っていましたよ」
驚いて顔を上げた。
僕の向かいに座る父さんと母さんは顔を向け合い困ったように苦笑していた。
二人とも気付いていたらしい。
僕が気付くよりもずっと前から。
「条件があります」
「条件?」
「まずはマルロさんの村へ行くこと」
不意にこちらに向き直り条件付きだと言う父さんに僕は息を呑む。
「商業都市へ行くのはその後です」
「……!」
それは。
つまり。
「行っていいの?」
父は静かに頷いたあと、付け加えるようにその後の約束をしてくれた。
「えぇ」
「それと、商業都市まで行って帰ってきてからも同じように旅をしたい、世界を旅したいと思うなら、その時はまた家族で話をしましょう」
母も苦笑している。
「ちゃんと帰ってくるのよ?」
「うん!」
気付けば立ち上がっていた。
嬉しかった。
信じられないくらい。
僕の横ではアルも小さく喜び机の陰で拳を握っていた。
胸が高鳴る。
世界への扉が少しだけ開いた気がした。
話し合いの夕食後、僕はアルとマルロさんを広場まで送っていた。
アルが笑いながら言った。
「よかったな!」
「うん!」
「俺も来年には十五歳だ」
僕は頷く。
人間の成人年齢。
もうすぐだ。
アルは夜空を見上げる。
「そしたら俺は冒険者になる」
その目は真っ直ぐだった。
それは昔話の英雄に憧れる少年の目。
「俺は世界中を旅して、有名になるんだ!」
僕は思わず笑った。
アルらしい。
「ヴィリも来いよ!」
「え?」
「一緒に冒険者になろうぜ!」
アルの誘いに少し考える。
正直、僕は有名になりたいわけじゃない。
強くなりたいわけでもない。
だけど。
「冒険者なら色んな場所へ行けるんだよね?」
「あぁ!」
「色んな景色が沢山あるんだよね?」
「あぁ、冒険者は世界を旅するもんだからな!」
アルは胸を張った。
「行くんだよ、世界中どこへだってな!」
その言葉を聞いて、僕はアルと同じように空を見上げた。
夜空の向こう。
まだ見ぬ世界。
まだ見ぬ景色。
まだ見ぬ花。
その全てが僕を呼んでいる気がした。
「じゃあ考えておくよ」
そう答えると、アルは不満そうに笑った。
「絶対来いよ!」
アルの勢いに負けて僕も笑う。
◇
マルロさんたちの村へ行くと決まって数日が経った。
一度も森の外へ出たことがなかった僕が旅に出る。
少し前の自分なら想像もしなかった。
後悔はないがやっぱり不安が少しあった。
でも毎日が待ち遠しかった。
朝起きるたびに、
あと何日だろう?と考えてしまう。
そんな僕とは裏腹に里のみんなから毎日声をかけられて驚かれた。
「ヴィリ、聞いたぞ!里を出るんだってな!」
「ヴィリなんかあったのか、里を出るなんてどうして⁈」
なんでみんなはそんなに心配するのか?里を出るエルフはたまに居ると聞いた事もあったけどやたらと心配されていた。
不思議に思って僕は修行中、改めて父さんに聞いてみた。
「里を離れて外の世界で暮らすエルフは居るには居ます。しかしその殆どはあまり里には帰って来ませんし、最近帰ってきたのも私の従姉妹、ヴィリにとっての叔母が五十年ほど前に一度、十年ほどは里に住んでいましたがまたどこかに行ってしまった」
「叔母さんも旅に出たの⁈」
「えぇ、しかし何故皆んな心配するのか、それは里を出る者の大半は百歳を超え、やることがなくなり、外に刺激を求めて旅に出る、ヴィリのような三十代ではまず出ない」
父さんの説明でみんなの反応に納得した。
それで言えば僕はまだ三十代、里のみんなが驚いて心配するのも当然だ。
里の皆んなの反応と違い意外にも父さんと母さんは年齢での心配していないらしい。
エイクさん曰くエルフは長寿故に修行もゆっくり進めている。そして僕はエルフにしては珍しく何にでも興味を持つ性格だった事もあって二十歳の頃には必要なことは教え終わっていたらしい。その後の修行はこんな僕を見越し鍛練し続けてくれていたとのこと。
◇
修行を終えて昼食時にも考えてしまう。
もうすぐ旅に出てアルの村に行って、その後は人間の都市、しかも商業都市も見に行ける。
僕の見たことのないモノがすぐそこまで来ている。未知へのワクワクが止まらず想いを馳せている。
そんな僕を見て母は楽しそうに笑っていた。
「本当に楽しみなのね」
「え!なんで...?」
「だってー、そんなに楽しそうな顔してたら...ねぇー?」
少し恥ずかしかった。
だけど否定はできない。
楽しみなのは本当だからだ。
旅立ちの日が近づくにつれ、僕は少しずつ荷物をまとめ始めた。
着替え−よし
筆記用具−よし
植物を記録するための手帳−よし
薬草採取用の小さなナイフ−よし
狩猟、解体用のナイフ−よし
母が用意してくれた保存食−よし
気付けば荷物は思ったより多くなっていた。
「あら、そんなに持って行くの?」
僕が一生懸命に荷物を詰めてパンパンになった大きめのリュックサックを見て母が苦笑する。
「だって必要かもしれないし....」
「半分くらいはいらないと思うわよ?」
僕の隣でリュックサックの中身を覗く母さんにそう言われて見直してみる。
確かにそうかもしれない。
結局、母さんと一緒に荷物を整理することになった。
旅の経験などない僕より母の方が頼りになる。
◇
その日の夕方。
父に呼ばれて向かった先はいつもの広場だった。
夕日に照らされた広場には父が一人立っている。
その手には長い布に包まれた何かがあった。
「父さん?」
「ヴィリ、そばに来なさい」
言われるまま近付く。
父は静かに布を差し出した。
「開けてみなさい」
僕は首を傾げながら布を解いた。
中から現れたのは一本の弓だった。
淡く白色の木材で作られた美しい弓。
木肌には葉を思わせる繊細な彫刻が施されている。
見た瞬間にわかった。
良い弓だ。
それも、とても。
「これ……」
渡された弓を見つめて思わず言葉を失う。
父さんは穏やかに頷いた。
「お前のために作ってもらったモノです」
「僕の?」
「ええ」
弓を両手で持つ。
驚くほど手に馴染んだ。
僕が長年使っていた弓は一体何だったのかと思う程だった。
父は少しだけ笑った。
「一応名前もあります」
「名前?」
「ラウフヴィンドル」
聞き慣れない古い響きだった。
「若葉の風と言う意味ですね」
父さんは微笑みを浮かべて弓に手を添える。
「木々を揺らし、森を渡る風という想いが込められています」
僕は弓を見つめた。
夕日に照らされた木肌が優しく輝いている。
「綺麗だ……」
弓を見た感想が自然と口から零れた。
「ありがとうございます」
父は何も言わなかった。
ただ少しだけ嬉しそうだった。
その日から出発までの数日間、僕はラウフヴィンドルを使って訓練した。
驚くほど扱いやすい。
矢が真っ直ぐ飛ぶ。
魔力の流れも良い。
今まで使っていた訓練用の弓とはまるで違った。
◇
そして旅立ち前日。
父と二人で森の外れを歩いていた。
夕暮れの森はとても静かだ。
木々の隙間から赤い光が差し込んでいる。
不意に父が足を止める。
「覚えていますか」
「え、何を?」
「森の出入り口です」
僕は頷く。
里へ続く道は特殊で結界が張られている。
知らなければ辿り着けない。
目印もなく、道では無いところも含めて順番に通らなければ元の場所に戻ってきてしまう。
「他人に教えてはいけません」
父の声は真剣だった。
「森の掟です」
「うん」
「信頼できる相手であってもです」
「わかってる」
父は僕に念を押すように確認し、その度に返事をする僕の顔を見て満足そうに頷くと再び森の中を歩き出す。
しばらく沈黙が続き森を抜ける風の音だけが聞こえる。
すると再び父が口を開いた。
「ヴィリ」
「なに?」
「今回のことはお前にとっての良い機会です」
僕は父を見る。
父は前を向いたままだった。
「多くのことを見て出来るかぎりの経験をしなさい」
静かな声だった。
草木を踏み歩く音が混ざる。だけどはっきりと聞こえた。
「たくさん学びなさい」
それだけだった。
だけど気持ちの沢山こもった父らしい言葉だと思った。
僕は父の背に向けて答える
「うん、行ってくるよ」
◇
翌朝。
ついに旅立ちの日がやって来た。
空は雲ひとつない快晴。
荷馬車の準備も終わって里の入口にはマルロさんとアルが待っている。
里の人たちも集まって僕らの出発を見送りに来てくれた。
皆んなに言葉を貰って少し照れくさい。
母は最後まで服装を気にしていた。
「忘れ物はない?」
「ん、たぶん」
「たぶんじゃ困るわ」
「大丈夫だよ」
すると僕の肩に誰かが手を置いた。
振り返ると父がいつものように穏やかな顔で僕を見ている。
「気を付けて行ってきなさい」
その言葉を聞いた瞬間。
少しだけ胸が苦しくなった。
もっと寂しそうな顔をすると思っていた。
引き留められるかもしれないとも思っていた。
だけど父も母も笑っていた。
僕の背中を押してくれている。
「行ってきます」
自然とそう言葉が出た。
マルロさんが荷馬車を動かす。
僕の隣でアルが手を振る。
僕も釣られて振り返る。
父と母が並んで立っている。
二人とも笑顔で母が小さく手を振ってくれていた。
その姿を見て、改めて思う。
本当に優しい両親だ。
少しだけ我儘を言ってしまったかもしれない。
心配もかけているだろう。
それでも送り出してくれた。
感謝しなければいけない。
そう思った。
けれど。
里が少しずつ遠ざかるにつれて。
胸の奥から別の感情が湧き上がってくる。
期待。
好奇心。
高揚感。
知らない世界への憧れ。
不安はあったけど、それ以上に。
僕はとてもワクワクしていた。
僕の旅が、今ようやく始まったのだから。




