90.鼠狼
「それじゃあ始めようか」
「よろしくお願いします」
準備運動を終えた僕と父さんはお互いに拳を握りながら向かい合う。
父さんはジャブで距離を測りつつ前蹴りで牽制してくる。
僕はだいぶ慣れてきて押し込むような蹴りとフェイントを多く交えて戦っていく。
そして僕は距離が縮まったタイミングでアッパーを囮にお父さんの首の後ろに手を回す。
僕が教わっている武術はムエタイで今の状況は首相撲と呼ばれる状況だ。
お互いに膝蹴りや肘打ち、投げの択を迫っていく。
「っ!しまっ!」
父さんが僕の手を抜いたタイミングで膝蹴りのフェイントにかかり上体を逸らしたところに顎への肘打ちが本来なら入った。
「まだ首相撲で迷ってるね。それと肘打ちはもっと見せておきな」
肘が顎に触れた瞬間に前もって置いてあったクッションと入れ替わった父さんはそう口にする。
「あんまり肘打ちは好きじゃないんだよ。リーチも短いし反撃をショルダーで受ける形も気持ち悪いし」
僕が口を尖らせてそう言う。
「どうして父さんがムエタイを教え始めたか分かる?」
それは僕が〈強奪の勇者〉だと確信したからだと思っているが違うのだろうか?
「父さんは教えようと思えば暗殺術や殺人術だって教えられる。でもまだ教えない、教える準備としてムエタイを教えているんだ」
父さんはそう言うと鋭い瞳を向ける。
「ムエタイには総合格闘技などの多数の格闘技で禁止されている肘打ちが許可されている。じゃあ何故肘打ちは禁止されているんだろうか?」」
「それは肘は身体の中で最も硬い部位だから」
「その通りだ、当たり所が悪かったら一撃で死ねる。じゃあ何でムエタイでは許可されているんだろう?」
「……ムエタイは元々タイの軍隊で取り入れられてた実践格闘技だから」
「それも重要な背景だが不正解だ。正解は当たり所が良ければ殺せるからだ」
父さんはそう言うとクッションを手に持つ。
「ムエタイは戦士と評される。賭けの対象で見世物なのがムエタイで戦士達は日々を生きるために勝ってお金を稼ぐんだ。そんな生きるか死ぬかの世界だ」
父さんはそう言うとクッションを下に落としながら腕を曲げて振るう。
すると一瞬の内に僕とクッションが入れ替わり顎の寸前で肘打ちが止められる。
「危機感を持つんだ大成。今教わっているのは殺し合いの領域に踏み込んだものだと」
今まで教わってきた蹴りやパンチは相手を倒すことは出来れど人を殺すまでいくかは少し怪しかった。
父さんがここまで言うのは力を付けないとこの先危険だということ。
それに〈セーブ&ロード〉によって危機感が消えているのも事実だ。
「肘打ちを当てても大丈夫なの?」
「あぁ、殺す気で来な」
それから僕は見事にボコボコにされた。
「ちょっと散歩に行ってくるね」
夕食を済ました僕はそう言って家を出る。
「はぁ、父さんに勝てるイメージが湧かないな」
僕は能力を使わない純粋な殴り合いなら強い自信があるがそれでも父さんは圧倒的な格上だ。
言ってしまえば父さんは師匠であるから勝てなくて当然かもしれないが〈入れ替えの勇者〉無しでボコボコなのは少し凹む。
いつか勝てる日が来るのだろうか?
「……多分来ないな」
そう思わされる程僕と父さんには壁がある。
生きている時間軸が違うという表現がふさわしいだろうか。
僕も反射神経は優れている自信があるが父さんは桁が違う。普通は拳や肘が当たったことは打ち終わってから感触を感じる。
だが父さんは当たった瞬間に入れ替えを発動する。
〈入れ替えの勇者〉はオートで発動する能力ではない。入れ替えると意識して発動する。
つまり父さんは当たったことを自覚して入れ替えを発動している。
当たるタイミングを予測しているとも考えたが百発百中すぎて違う気がした。
「はぁ、英雄は能力無しであそこまで強くないといけないのか」
そんな諦めの言葉を呟くと正面から一際目を引く白髪の男が歩いてくる。
「こんばんわ、大成君」
「はい?」
爽やかな笑顔で挨拶をされたと思えば不意に名前を呼ばれる。
「ノエルがお世話になってます」
「……あなたは?」
「自分の名前は鼠狼って言うんだ」
「鼠狼?」
聞いたことのある名前に反応する。
確か神光宗の人で海外との強いパイプを持った男だ。
「そう、鼠に狼って書くんだ。どう?かっこよくない?」
第一印象にあった品のある雰囲気は消えておちゃらけた感じで笑う。
「ノエルは真面目で頑固な子で学校に通うよう言っても聞かなくてさ。反抗期の娘を持った父親ってこんな気持ちなんだね」
その気持ちは違う気もするが言葉にはしない。
「何とか説得して学校に行かしても楽しめなかったら意味がない。だから大成君には感謝しているんだ」
「あ、こちらこそ」
急に真面目な顔になった鼠狼に戸惑いながらも差し伸べられた手を取る。
「っ!」
「これからも頼むよ」
鼠狼は爽やかな笑顔を向けてそう言うと軽く手を振って去っていく。
「……いろいろ変わるもんだな」
僕は握手した手に残った何回も折られた紙に視線を落としながらそう口にする。
どうするか迷った結果近くにある公園に向かってベンチに座る。
そして渡された手紙を開く。
「現在のアメリカに神光宗に所属する〈改造の勇者〉、〈毒の勇者〉、〈振動の勇者〉の潜伏を確認。また牧場とそれに連なる実験施設も多数発見されていてテロが起こる可能性が高い。このことに対処するため〈愛の勇者〉は日本に介入出来ない」
渡された紙にはそう書いてある。
三人の勇者がアメリカに潜伏しているなんて聞いたことがないが事実ならまずいな。
「要するにフレヤ・アレグサンダーは神光宗に関して手出し出来ない状態ってことか」
それにしても手紙の中に挙げられている三つの能力は歴史的に嫌われてきた能力だ。
〈改造の勇者〉は生き物を改造してキメラを作って町に放ち、〈毒の勇者〉は毒をばら撒き、〈振動の勇者〉は大規模な地震を起こす。
テロ行為で使われる能力の代表格である三つだ。
これらに対処するとなったらどれだけの人と時間がかかるだろう。
「はは、思っていた以上に凄い規模だな。勇者のオンパレードだ」
あまりの規模感に思わず笑ってしまう。
今の僕じゃ到底太刀打ち出来ない次元だ。
強化系の能力があれば話は違ってくるのだが。
「……はぁ、何考えてんだか」
変なことを考えていることを自覚した僕は頭を抱える。
「帰ろう」
これ以上悩んでいるとまずいと思った僕は手紙を細かく破いて立ち上がり家に帰る。
そして家に着く直前ので街灯に照らされた黒マントを見つける。
そのまま真っ直ぐ進むと動く気配を見せなかった結月は急に目の前に飛び出してマントを外す。
「こんばんわ、こんな時間に一人?」
「……?」
僕がわざとらしく挨拶してみると結月は何が起きたか分からないようで首をかしげる。
「な、何で石にならないの……」
「石?」
僕がそう聞いてみると結月は疑うような目を向ける。
「何の能力を使ったの!」
「能力は一切使ってないよ」
「わ、私知ってるんだから!あなた〈強奪の勇者〉なんでしょ!」
「〈強奪の勇者〉ってどういうことかな?悪いことした記憶はあまり無いんだけどな」
「間違えた、言っちゃダメだった」
結月はそう言って口を押さえる。
「こんな所でどうしたの?」
「……迷子なの」
結月は絞り出すようにそう言う。
「迷子か、どうしようか」
「一応携帯は持ってる」
結月はそう言うと携帯を取り出して連絡する。
「それなら最初から連絡したらいいんじゃ……」
「う、うるさい!」
一応少しは疑っておかないと違和感を持たれかねない。
「お父さんには連絡したから待てば来ると思う」
「……お父さんが来るまで一緒にいようか?」
僕がそう言うと結月は勢いよく頷く。
「僕は出雲大成って言うんだ。君は?」
「私は結月」
「よろしくね結月」
僕は結月の目線まで下がって手を差し出す。
「あ、うん。よろしく」
結月は戸惑いながらも手を掴む。
「待ってる間暇だし結月は何かしたいことはある?」
「じゃ、じゃあさ!」
結月は嬉しそうに跳ねるとスマホのアプリを指差す。
そのアプリに見覚えがあり、確かたくさんのミニゲームが出来るアプリだった気がする。
そんな事を考えながらアプリをインストールして一緒に遊ぶ。
「ふっふっふー、次は何を――」
しばらく遊んでいると結月の後ろから足音が近づいてくる。
結月はいそいそとサングラスをつける。
そして視線を向けると近づいてきている人物が淳史だと分かる。
「こんばんわ」
試しに挨拶をしてみるが返事はない。
「……本当に石化してないのか」
「石化ですか?」
「あぁ、結月の目を見た相手は石になるはずなんだがな。それが〈メデゥーサ〉の力なはず」
「そうだったんですか。それにしても目が合わせられないって辛い事ですね」
僕はそう言いながら結月の目を正面から見る。
「お父さんもそう思いませんか?」
「……そうだな」
淳史は少し驚いた様子でそう呟く。
「お父さんも来てくれたみたいですし自分はここで」
僕がそう言って立ち去ろうとすると結月が分かりやすく僕と淳史を交互に見る。
前回と違って母さんはいないがどうなるのだろう。
「結月は楽しかったか?」
その問いに結月は迷いながらも頷く。
「……そうか」
どんな表情でそう言ってるか分からないがとても穏やかな声だった。




