二人の維月
維心は、後悔していた。
この北の宮をシンに任せて、やはり帰ればよかった。北の宮は維月との思い出が多い宮だ。いつも、侍女達に邪魔されず二人きりになりたいと思った時は、この宮へ来て、本当に二人きりで寛ぐのだ。
それが思い出されて、維心はもっと維月に会いたくなった。
それで、龍の宮へと帰る前に、あの月の宮の場所に開いた次元の戸の所へ、せめて念だけでも感じ取れないものかと、維心は一人飛んだ。
そこには、三か月前に到着したまま、戸が木々の間に隠れるように開いていた。維心はそれを見上げて、維月を想った。声を出すと、碧黎が感づいてしまう。こんな理由でここへ来たことを知られたくはない…。
何も言わない戸に向かいながら、維心は切なくなった。維月に会いたい。今すぐに。
そう思い詰めてまた戸を見上げると、戸が明るく光り輝いた。維心はびっくりした。
《受け止めよ!維心!》
碧黎の声がする。何事かと思っていると、その戸から何かが落ちて来た。
維心は慌てて手を差し出して、それを受け止めた…それは、着物を着こんだ維月だった。
「…維心様…。」
維心は呆然と維月を両手で受けた状態で立ち尽くした。…維月が、落ちて来た。
《ほんにこやつがあまりにも頼むものでの。》碧黎の声がする。《娘の頼みには弱いわ。仕方なく主の所へやる約束はしたものの、そちらは今、月に力がないであろう。なので落下のことを考えると困っておった所へ、主がそこへ来てぼーっと立っておった訳よ。助かったわ。では、頼むの。》
碧黎の気配は消えた。維心は維月を見た…本物の、維月だ!
「おお」維心は言った。「なんと我が願いが叶のうたか!おお維月、会いたかった!我は主を連れてこなんだことを、どれほどに後悔しておったか…!」
維月も維心に抱きついた。
「ああ維心様!一か月もお帰りにならないから、お父様に頼んで頼んで、やっとこちらへ送ってもらいましたの。私もお会いしたくて…。」
維心は維月を見た。
「…なんと。我はこちらで三か月も居ったのに。そちらではまだ一か月と申したか。」
維月は頷いた。
「はい。でも、とても長ごうございましたわ。」
維心は微笑んだ。
「そうか。よしよし、宮へ行こうぞ。ここの宮はの、我に将維の対を使わせてくれておるのよ。まだ、ここには将維が居らぬゆえの。」
維月は落とされないように、しっかりと維心の首につかまった。
「落とさないでくださいませね。」
「落としはせぬ」と維月が着物を何枚も重ねているのを見て、眉を寄せた。「…にしても、なぜにそんなに厚着であるのよ。」
維月はきょとんとした。
「こちらが冬であるからでございます。私は月の力を使えぬのですから、暖を取ることも叶いませぬ。ゆえに、まさかを考えて、このように着込みましたの。」
維心は苦笑した。
「これでは我は苦労しそうであるの。」と襟元を数えた。「五枚も重ねたのか。」
維月は頷いた。
「実は寒がりですの。」
維心はため息をついて、この次元の龍の宮へと飛んで帰った。
宮へ着くと、シンが驚いたように維心を見た。
「維心!」と維月を見て、「維月?」
維月は微笑んだ。
「維心様!ご無沙汰致しておりまする。」
維心は言った。
「次元の戸を見に参ったら、維月が上から落ちて来たのだ。」
維月は微笑んだ。
「はい。だって、ここでは力が全く使えぬのですもの、飛べなくて。でもどうしても維心様にお会いしたくて。」
維月は傍らの維心を見上げる。維心は維月に頬を摺り寄せた。
「おおよしよし、愛い奴よ。我の借りておる対へ参ろうぞ。」
維月は維心に身を摺り寄せた。
「はい。」
シンは眉を上げた。
「またえらく厚着よの。」
維月はシンを振り返った。
「寒いのは苦手なのです。気が使えないし、このように。」
維心が維月の肩を抱いた。
「もう大丈夫であるぞ。我の気で包んでやるゆえに。さあ、早よう部屋へ。我も待ちかねておったのだぞ。」
急かせる維心に苦笑した維月は、頷いて、維心と共にその場を去って行った。
シンはその後ろ姿に思っていた…しかしこれで、宮には維心が二人に維月が二人になってしまったではないか…ややこしい。
思った通り、洪が仰天して維心と維月を見た。
「では…あちらの世では、それが維心様の妃であられると?」
維心は頷いた。
「そうよ。子も六人おるぞ。」
維心は誇らしげだ。シンは言った。
「この維心はの、1800歳であるのだ。我より400歳ほど年上ぞ。ちなみにこの維月は100歳、月であるのだ。こちらに月の力は無いがの。」
維月は、洪が自分を忘れている事実に驚いた。しかし、黙って維心達の会話を聞いていた。
「しかし…王よ、こちらの維月は我の姪でありまして…こちらの維月様より幼いようでございまするな。」
シンは頷いた。
「そうよの。ここに居る間、この維月に面倒を見てもらえばどうか?この維月は人であったのだ。それが月の命を宿して月になった。ゆえ、人のこともよく分かるのだ。」
洪はパアッと明るい表情になった。
「なんと、あちらの王妃様に面倒を見てもらえるのなら、これ以上のことはございませぬ!」と維心を見た。「いかがでありましょうか…?」
維心は維月を見た。維月はえ?という顔をしたが、うんうんと頷く。維心は、洪を見て頷いた。
「では、そのようにしよう。我も日中は復興に忙しくしておるのでの。維月に何かすることがあるのなら、それに越したことはない。」
洪は深々と頭を下げた。
「ありがとうございまする。それでは、我は姪の維月を連れて参りまするゆえに。」
洪は嬉々として下がって行った。それを見送りながら、シンは維月に言った。
「我の維月であるらしい者が出現したのであるがな、我はどうもピンと来ぬのよ。」
維月は目を丸くしてシンを見た。
「それは…まだ最初でありましょう?この維心様も、最初から私を望んでおられた訳ではありませぬ。初対面では、珍しい女、ぐらいの印象で。ほんと最悪な出逢い方でしたから。」
維心は慌てたように維月を見た。
「まだそのようなことを。あれは十六夜が居ったゆえ…、」
維心が弁解するように言うのを、維月は遮った。
「責めておるのではありませぬ。つまりは運命であっても、最初は気付かずに居ることがあるということですのよ。共に居るうちに離れられなくなってのでございますから。」
維心は伏し目がちに言った。
「…まあ…そうであるが。」
シンは首を振った。
「しかし、我は主は一目で惹かれた…最初、主の「気」にあてられて我も義心も己の気を抑えるのに苦労したほどよ。」
維心が元気よく顔を上げた。
「おお、それはなぜかわかるぞ。これが、維月の完成形であるからよ。」維心は得意げだ。「最初、維月の気はこれほどに大きくなかった。まだ人が抜け切れておらなんでの。傍へ寄れば感じたものの、一目見ただけではこの気を感じることはなかったのだ。共に暮らすうちにこのように神に近くなって参って、それに伴って気が大きくなって…今のようになった。」
維月は横で頷いた。
「そうですわね。結婚当初はそうでもなかったのに、龍の宮で長く暮らすうちに、回りの神様達が妃に妃にと言い出して…こうなったのですもの。それにしても、維心様は私がまだ人っぽかった時からこうして大切にして下さって…。」と維心を愛おしげに見た。「思えば、維心様が神としての私を育ててくださったのですわね。」
維心はそれを聞いて驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「おお、そうよ。主が美しく慕わしくなったのは、我が主を大切に愛して教えて来たからぞ。」と維月に頬を寄せた。「我のためにそのようになった。おかげで他の奴らが横取りしようと煩くて敵わぬが。のう維月。」
シンはそれを見て苦笑した。自分と同じ姿の維心が維月を溺愛している様は、見ていて恥ずかしくなる…が、きっと我もそうであったろうし、何も言わないことにした。
「…そうか。我は主の努力の結晶を見て、一目で惹かれたのだな。つまりは、我も努力せねばならぬのか。」
維心は維月を腕に抱いたまま、頷いた。
「維月は磨けば光る逸材ぞ。あの維月も、気はこの維月と同じ色をしておったしの。きっと我らと同じように60年もすれば、こうなるであろうて。」と維心は維月をじっと見た。「しかし我の維月ほどになるかどうかは主の腕次第であるがの。」
シンは頷いた。確かにそうかもしれないが、先に完成形に出逢ってしまうなど…我は運が良いのか悪いのか分からぬ。
「主が作ったなら、主好みであって当然よの。なので我の好みであって、そして神の王達の好みであるのだ。維月は言う通りにしていただけであろうに。主も罪な男よの。」
維心は心外な、と言う顔をした。
「別に我が強制したわけではないぞ。維月が我を愛して我の心に寄り添ってくれたからこそこうなったのだ。たまに意見の衝突もあるのだからな。人形のように言うでない。」
シンが何か言い返そうとした時、洪が戻って来て頭を下げた。皆が一斉にそちらを見る。洪は、この次元の維月を連れてそこに立っていた。維月はその姿を見て驚いた…あれは、高校生の時の私だわ!
茫然としている維月を見て、維心は苦笑して肩を抱き寄せた。維月はハッと我に返って姿勢を正した。
「お言葉に甘えまして、我の姪の維月を連れて参りました。」と洪はその維月を振り返った。「まだ30歳と幼いのでございまするが、何卒よろしくお願い致します。」
維月はゆっくり頷いた。維心に、あまりちゃきちゃき動いてはならぬと言われていたのを思い出したからだ。洪はそれを見て満足げに微笑むと、維月を前に出した。見た目高校生ぐらいの維月は、緊張して固まりながら、頭を下げた。
「よろしくお願い致します。」
その声まで自分にそっくりだ。維月はただただ驚いていた。そして、立ち上がって言った。
「では、我が王の対へ参りましょう。我が王も、そしてこちらの王も、これよりお仕事でありましょうから。」と維心を見た。「よろしいでしょうか…?」
わざと王妃らしくそう言うと、二人の維心達はびっくりしていたが、ただ頷いた。そしてこの次元の維月を連れて、優雅に歩き去って行く。洪はそれを満足げに見送っていた。
「さすがは王妃であられまするな。我の姪も、これで少しは神らしくなってくれれば…。」
洪がそう言っているのをしり目に、シンは維心にコソッと言った。
「…維月は、普段はああではないな?」
維心は頷いた。
「あれは外向きの姿よ。やれば出来るのだが、普段からやると疲れると申しての。ものすごく気位の高い女にもなれるぞ。我は見たことがあるがの。」
シンは頷いた。女とは、わからぬ。女性不信になってしまいそうなのは、我が未熟であるからか…。




