復興
目まぐるしく過ぎた三ヶ月であった。
シンが言っていた通り、人は全て神に頼っており、そちらの指示も合わせると大変な処理の量であった。維心が共に来たので、王が二人居るようなもので、お陰で目覚ましい復興のスピードだった。宮は立ち直り、人数は少なくなったが、正常に機能するようになり、シンはやっと、自ら出て行かずとも、指示を出すのみで事足りるまでになった。
維心は、維月を置いて来た事を後悔していた。
忙し過ぎて最初はそうでもなかったが、段々と寂しくて心が荒んで来るのを感じる。気配すら感じ取れないこの異次元で、維心は月を見上げては維月を想った。せめて、念ででも話す事が出来たら…。維心はずっと、心の中で維月を呼んでいた。そして、唯一の繋がりである結婚指輪に触れ、ため息をついた。
次の日の朝、早くに目が覚めた維心は、ふと維月の気を感じた気がした。
そんなはずはない。
幻聴ならぬ、幻影の気まで感じるようになるとはと、維心は失笑すると起き出して、庭へと出た。
そこは、自分の次元の庭と、何ら変わりなかった。朝の清々しい空気と気を感じながら歩いていると、また、懐かしい気を感じた。維心は回りを見回した…遠く、女が一人歩いて来る。
維心は慌てて気配を消すと、木立に隠れた。あの姿…!
…維月…!
維心は心の中で叫んだ。それは、紛れもなく維月の気。そして、維月の姿だった。だが、これは龍だ。維心は息を潜めて、その姿を見守った。
シンは、維心が毎夜維月を呼んでいるのを知っていた。
自分でも驚いたことに、こちらへ戻ってから、維月を思い出す暇がなかった。しかし、あの維心は違うのだ。離れた維月を思い、毎夜月を見上げているのだろう。もうそろそろ宮も落ち着いて来たし、維心を解放してやっても良いのではないか…。
シンは思い、話をしようと維心の気を探ると、どうも庭に居るようだ。だが、気配を隠しているようで、微かな気だった。怪訝に思いながらも、シンは庭へと出た。
しばらく歩くと、シンは懐かしい気を感じた…まさか、ここは我の次元ぞ。シンはそう思いながらも、心が逸って足を早めた。まさか、維月…?!
向こうから、女が一人歩いて来る。ふと見ると、横に維心が身を隠していた。シンはそちらへ行こうとして、もう一度その女の姿を見やって…固まった。これは、維月ではないか…!
シンが絶句して立ち止まっていると、その女はシンに気付いて驚いた。明らかに慌てている。シンがただ呆然と立ち尽くしていると、洪が慌てて駆け込んで来た。
「また抜け出してこのような所に!」諌めるような声だ。そして、シンに気付いて慌てて頭を下げた。「王…!失礼を致しました。これ、主も頭を下げぬか!」
叱責されて、その女は慌てて頭を下げた。洪は弁解するように言った。
「王、申し訳ございませぬ。我の妹が人の世に嫁いでおったのは、ご存じでありまするか?」
シンは頷いた。
「維明よの。知っておる。」
洪は続けた。
「維明は先の崩壊で亡うなりました。これは、維明の娘の維月、人の世に居りましたが、身寄りもなくなり我が引き取りましてございます。しかし、何もわきまえぬゆえ、宮で行儀見習いをさせようと、連れて参りましてございます。ですがまだ人が抜けず、このようにフラフラとして、王のお目汚しでございまする。申し訳ございませぬ。」
洪は必死に謝っていたが、シンはそんなことは聞いていなかった。我の維月…龍か。そして、洪の姪か。その維月は真っ赤になって、ぶるぶる震えていた。シンは言った。
「表を上げよ。」
洪は驚いた。維月も驚いて、頭を下げたまま洪を見る。洪は頷いて、促した。維月は恐る恐る顔を上げた。
あの維月より、少し幼い気がする。だが、間違いなく維月だった。シンは微笑んだ。
「維月と申すか。人の世に居ったのなら、焦らずともよい。直に慣れるゆえ。」と洪を見た。「主もあまり無理をさせるでない。そのように叱ってばかりだと、誰が味方になってやるのだ。しばし宮へ置くがよい。」
洪はポカンとしていたが、すぐに我に返って頭を下げた。
「はは!」
洪は、維月を連れて立ち去って行った。維月はこちらを振り返り振り返り、その場を後にした。
それを見送ってから、維心は茂みから姿を現した。
「…驚いたの。主の維月は龍ではないか。」
シンはハッとして頷いた。
「まだ数百年は待たねばと思うていたのに。しかし、主の維月と違って、人ではなかったゆえ、まだ成人しておらぬな。顔に幼さが残っておったわ。まさかこのような形で出逢うとは…。」
維心はフッと笑った。
「どうだ?やはり妃に迎えるか?」
シンは眉を寄せた。
「何やらピンと来ぬのよ。これが初めてであれば、すぐに妃にと思うたであろうが…主の維月の印象が強すぎる。もう少し様子を見なければの。」
維心は同じように眉を寄せた。
「まあ、我の維月は戦って来た女であったゆえの。印象は強烈であろうが、主にやるわけには行かぬゆえ。ゆっくり決めよ。洪の姪であれば、逃げはせぬわ。しかもあのように若ければなおのことよ。」
シンは頷いた。そして、思い出したように維心を見た。
「そうよ、主、もう戻りたいのではないか?」
維心は驚いた。
「なんだ、急に。」
「毎夜維月を呼ぶであろうが。」シンはからかうように言う。「気持ちは分かる。まあ、我はそこまで思い出さぬのも確かなのだ。復興に手一杯での。主より薄情なのかもしれぬな。」
維心は笑った。
「我にはあれしか居らぬが、主には臣下達が居ろう…気遣って来たゆえ、主をそこまで恐れて居らぬ臣下がの。我はな、臣下であろうと逆らえば斬り殺して来た王であったゆえ。本当の孤独とは、我であったと思う。ゆえ、維月に何より執着するのだ。我の維月は強いであろう?なぜなら、我が時にあれを強く責めるからよ。それすら受け入れられる維月でなければならなんだ。我と主は、やはり違う。我は非情の王と言われておったが、主は違うではないか…こちらに滞在して、それを知ったわ。」
シンは維心を見た。義明の死から分岐した、別次元の自分。維月の記憶の中では、父を殺してそれを癒される事はなかった。そして、逆らう種族は全て根絶やしにし、情けも掛けず、たった一人地を統治して行った…臣下すら信じてはいなかった。ゆえに気遣う事もなく、ただ道具のように…皆、その力ゆえに平伏し、維心はそれを知っていた。力で押さえ付けて世をまとめたのが、この維心。維月は、それゆえに強かった。時に軍神となって戦うほど…。
「…そうか、主の維月か。」シンは言った。「知らねばよかったかもの。物足りなくなるかもしれぬ。」
維心は少し眉を寄せた。
「…主の、我らが何も苦労なくここまで来たと思うてか。我の維月は大変ぞ…怒ると手が付けられぬ。何度宮を出て行って探し回ったことか。何度あれを失のうたと嘆いたか。しかも、月が共に居るしな。とにかく大変なのだ。かなりの我慢が必要ぞ。そのように穏やかな主には到底扱い切れぬぞ?」
シンは目を丸くした。確かに、あれは気が強い分扱いは大変であろう。
「…確かにそうだ。」シンは言った。「我は良い所しか知らぬしの。あまりに激しいと根を上げそうぞ。」
維心は頷いた。
「最近はまあ、穏やかになった方よ。それでもやりたいことに反対すると膨れるので、気が気でなくての。主はまだそこを見ておらぬゆえの。我の記憶を見たのなら、一度頭の中を確認してみよ。我の苦労がわかるであろうよ。」
シンは頷いて、笑った。
「しかし主は、毎日呼んでおるであろうが。」
維心はばつが悪そうに横を向いた。
「仕方があるまい。それでも愛しておるのだから。」と踵を返した。「我はまだ帰らぬ。北の宮の再建を任されて、まだ途中ではないか。あれが終わったら考える。」
維心は立ち去った。その背中を、シンは苦笑して見送ったのだった。
維心が北の宮へ行ききりなったので、シンは宮で臣下達の報告と次の指示と忙しくしていた。ふと一息つくと、庭にまた維月の気がするのがわかる。どうしようか迷ったが、良く知らねばならぬと思い、シンは一人庭へと出て行った。
思った通り、維月は庭の池の辺りに居た。そう言えば、向こうの次元の維月もよくここへ鯉のエサをやるのだと出ていたな…。シンはそう考えて、苦笑した。なぜに先にあの維月に会ってしまったのだろう。何かを考えるたびに思い出されてならぬ…。
近付いて行くと、この次元の維月はこちらに気付いて慌てて頭を下げた。シンは手を振った。
「良い。」と歩み寄る。「洪に許しは得たのか?またあれはうるさく言うのではないのか。」
維月は下を向いた。
「叔父様は、私があまりに神とは程遠いので、きっと持て余していらっしゃいます。どうか、王のお力で、私を人の世へ帰すように申してくださいませんでしょうか?私は…やはり人なのですわ。」
維月の声は、少し高くて若かった。シンは苦笑した。
「我のことは維心と呼べ。」シンは言うと、ため息を付いた。「帰ってどうするのだ。主は独りで生きて行けると言うのか?」
維月は首を傾げた。
「わかりません。でも、なんとかなるものですわ。働きますし、龍なので力も、人の女よりはあります。なんでも出来ますもの…でも、ここでは何も出来ません。侍女になるにも、宮の決まり事も何もわからないのですもの…。」
維月もまた、ため息を付いた。シンはまじまじと維月を見た。確かに似ている。この物の考え方や、話し方がそっくりだ。…同じ維月なのだから、おそらくそうなのだろう。
「うむ。主には神の世界は合わぬと申すのだな。」
維月はシンを見て、慌てて言った。
「神の世が悪いと申しておるのではありません。私は人としてしか生きたことが無く、この30年参りました。確かに歳を取らないのはおかしいなとは思っていたけど、母も若かったからさしておかしくも思わなかったし。これより先は、姿をもう少し人に合わせて老いた形に変え、生きて行くつもりでおります。どうか維心様、私をこの宮よりお出しくださいませ。」
維月は本気で言っているようだ。シンは困った。このまま人の世へ帰してしまったら、我は維月を交流出来なくなる。そうなると、探し出すのもまた面倒になるし、何よりこの次元で、我のためにこの維月を出現させてくれたのか、見極めることが出来ぬではないか。
「そうよの…龍として成人するのを待ってはどうか。主はまだ半人前ぞ。我らから見るとの。焦るでない。」
維月は下を向いた。
「…叔父様と同じことをおっしゃいますのね。私…本当にどうしたらいいのかわかりませぬわ。」
維月はくるりと踵を返すと、こちらの許しも得ずに足早に立ち去って行った。おそらく、許しを得なければ辞してはいけないことをまだ知らぬのだろう。シンはため息をついた。確かにこれは…妃に迎えるとしても長き道ぞ。シンはそう思って、空を見上げた。あの維心の記憶の中の維月は、確かに最初とても人だった。だが、維心と共に居るうちに段々と振る舞いを覚え、決まり事を覚え、そして我が出逢った維月に成長していた…ひとえに、あれはあの維心の手柄なのだ。我もそうせねばならぬのか。だが、成長した後の維月を知って、無理にあのこちらの維月を妃に迎えた所で、そこに愛情がないのに、歩み寄る努力が出来るのか疑わしい…。
シンはまた、ため息をついた。なるようにしかならぬ。困ったものよ…。




