修復
次の日、維月に見送られてシンと維心は龍の宮を飛び立った。シンは何度も維月を振り返って、見えなくなるまでそれを繰り返した。維心は言った。
「たった300年ぞ。もう二度と会えない訳ではないゆえ。」
シンは頷いて、そっと懐に触れた。維心は怪訝そうにそれを見る。シンは、それに気付いて仕方なく言った。
「…人の世の写真というものがあるであろう。」と袱紗にくるまれた一枚の写真を撮り出した。「一枚もらったのだ。これで離れて居っても、顔だけは見れるゆえ。そのうちに我の維月が現れてくれることを祈る。」
維心は苦笑した。
「主は我と同じであるな…少しでも離れたくないのだろう。わかっておるよ。我も維月とそう長く離れておれと言われたら、気が狂いそうになるわ。なので、その写真は持って行くのを許そうぞ。主の気持ちはわかるゆえの。」
シンは微笑してその写真をまた懐に仕舞った。そして、月の宮へと急いだ。
月の宮の応接間の一つには、もう蒼も十六夜も碧黎も到着していた。碧黎は目を閉じて何かに集中しているようだ。十六夜が言った。
「遅いぞ、維心。早くオレ達をこの壁の補強から解放してくれ。」
維心は手を振った。
「なんだ、数刻ぐらい。安心せよ、すぐに楽にしてやるゆえ。だが、我らはまた疲れるのであろうがの。」
碧黎がこちらを向いた。
「…着いたか。準備は出来ておるぞ。約した通り、その維心の次元は真隣に配置されておったわ。その隣に引きちぎられた次元の欠片が浮いておるのが見える。主らはただ我に力を集中せよ。我がここを修復するゆえ。ただ、気が尽きそうになったら申せ。十六夜に代わらせる。」
維心達は頷いて手を前に出した。その手から、光が碧黎に向けて流れ込んで行く。碧黎は眉根を寄せて集中し始めた。
どんどんと流れ込む維心達の力は、碧黎を通してどこかへ飛ばされているようだった。あれだけの気が流れ込んでいるのに、一向に碧黎の体は気が充満しないからだ。蒼はじっとそれを見ていた。自分が十六夜の力を振り分けて押さえている箇所が、少しずつ解放されて来る。楽になって来るのを感じるたびに、そこが継ぎ当てられて行くのが分かった。
十六夜が隣りで息を付いた。かなりの力が解放されて、楽になって来たのだろう。それとは対照的に、二人の維心は眉根を寄せて、二人とも同じように額に汗を浮かべている…力を吸い取られている状態なのだ。
それを見た十六夜が、維心達の後ろへ回って、両方の維心の肩に手を乗せた。
「力を貸すぞ。もう補強は必要ねぇ。」
十六夜から月の力が維心達に流れ込む。途端に二人はホッとしたような顔をした。蒼は思った…維心様二人分の気でも賄いきれないほどのエネルギーが必要なんだ…普通なら出来ない。
「今少しぞ。」碧黎が目を閉じたまま言った。「少し待て、戸を作る…。」
戸?蒼も維心も十六夜もそう思ったが、聞き返す余裕がなかったので黙っていた。それからまたしばらく黙っていたかと思うと、碧黎は目を開いた。
「よし、出来たぞ!」
ドンっと音がしたかと思うと、そこに丸い光の輪が浮いて出来た。碧黎もホッと息を付いた。維心達ははーっと息を吐くと、手近な椅子にドカッと座った。
「もう、こんなことは良い。」維心が言った。「使う力の規模が違うわ。もう無理よ。」
シンも頷いた。
「二度とこのような事はしとうないよの。気が遠くなったわ。」
十六夜が苦笑して二人を見、そして碧黎に問い掛けた。
「親父、この輪はなんだ?」
碧黎は頷いた。
「次元を行き来するのに、その度に穴を開けておったら壁が破損するゆえの。こうして始めから戸を付けてあったなら、ここから出入りすれば済むことであるから。」とその輪の回りを結界のようなもので囲った。「こうして置けば、我の許しなくこれを使うことは出来ぬであろう?落ちることもない。苦労したのよ、この戸の作り方もの、あの大きな意思から学んだことであって…」
十六夜は手を振った。
「ああわかった。とにかく、この次元で唯一の次元の出入り口をここに作っちまったってことだな。」と蒼を見た。「…だそうだ。月の宮は次元の出入り口まで管理させられることになったみたいだぞ。」
蒼は顔をしかめた。
「まあ、誰かが管理しなきゃならないなら、仕方ないけど。」
碧黎は腰に手を当てて言った。
「そのような。これは貴重なものであるぞ。この次元を傷つけずに他の次元に抜けることが出来るのであるからな。」とシンを振り返った。「で、これを一番最初に使うのが主という訳よ。」
シンは頷いた。
「そうであろうな。もう少し待て。我も今、かなり気を消耗しておっての…補充中だ。」
維心も頷いた。
「我もよ。碧黎、我はちょっとこの維心を手伝いに向こうへ行って来るゆえ。我が帰って来られるように、帰り方を教えて置いてくれぬか。」
十六夜が驚いたように維心を見る。
「なんだって?お前、向こうの復興を手伝って来るのか!オレも行こうかな。」
碧黎は首を振った。
「維心はともかく、主は駄目だぞ、十六夜よ。月が空だと言っただろうが。あちらでは飛ぶことも出来ぬわ。」と維心を見る。「よし、維心。開いて出た場所を覚えておけ。そして、帰りたくばそこから我を呼ぶが良い。」
維心はまだ椅子に身を預けたまま頷いた。
「わかった。」
その様子に、碧黎が少しイライラしたかのように言った。
「気の補充に手間が掛かるの。全く。」と両手を上げると、宙から何かを掴むような仕草をした。「さあ、受け取るがよい。」
碧黎は、掴んだ何かを維心達二人に投げ付けるような動きをした。周囲の宮の壁がビリビリ震えたかと思うと、維心達は、う、と腹を押さえた。何かの衝撃をそこに受けたようだ。維心が顔をしかめて碧黎を見た。
「…あのな、確かに手っ取り早いが、体に悪いではないか。」
シンが呻いている。
「…このような補充の仕方は初めてよ。繰り返すと命を縮めそうだがな。」
そしてフラフラと立ち上がる。碧黎は言った。
「我も忙しいゆえ。ゆっくり待ってられぬのだ。さ、早よう門の前へ。」
維心は通りすがりに十六夜にボソッと呟いた。
「主らは似ておるの。己の都合ばかりよ。さすが親子ぞ。」
二人が門の前に立つと、碧黎は腕を上げて結界を消し、門の中に念じた。
「隣ゆえに道はすぐよ」と、門の向こうを指した。「ほれ、見えるであろう?」
門の中には、所々崩れた土地が見えた。蒼は横から覗き込みながら、あれがパラレルワールドの景色なのだと珍しげにため息をついた。シンは、険しい目でそれを見つめている。…全く無傷な訳ではないのだ。
「では、参るのだ。維心、戻る時には呼ぶのだぞ。我の結界をまたここに張っておくゆえ、我には聞こえる。」
維心は頷いて、シンを見た。シンは維心に頷き掛けて、二人はその門に飛び込んで行った。
それを見送った十六夜が伸びをしながら言った。
「さあて、邪魔者は居ないし、維月を連れて来よう。二人でゆっくり出来るなんて何年ぶりだろうなあ。」
十六夜はぶらぶらと応接間を出て行った。碧黎はまた門に結界を張り、月の宮を飛び立って行った。
維心とシンは、並んで龍の宮へ向けて飛んだ。出た場所は北の領地、つまり元の世界の月の宮の場所であった。維心は飛びながら、回りを見て驚いていた。まったく同じ配置…他の神の王の気を読んでも、やはり同じ場所で同じように統治していたのだ。違うのは、まだ鳥の宮も虎の宮も存在し、そこに虎の気や鳥の気がすることであった。400年前の勢力図を思い起こすと、やはり同じであった。
前から、龍の気がする。シンは止まってその場に浮いた。維心もそれに倣って止まる。前から来たのは、義心を中心に4人の龍達であった。義心の死の前まで時は巻き戻っていたのだ。
「王!」
義心は叫んだ。そして、目の前に膝を付くと、言った。
「王の気がしたのでもしやと思い…ご無事で何よりでございまする!」と隣の維心を見て戸惑った。「こちらは…?」
シンは言った。
「隣の世の我よ。我はこれに助けられて生き延びたのだ。維月は連れて来ることが叶わなんだが…。」
義心は不思議そうな顔をした。
「維月…?どなたでございまするか?」
シンと維心は顔を見合わせた。この崩れ具合からすると、崩壊が始まって少しした時間から、時の巻き戻しは止まったはずであるのに。維月を知らぬ?
「よい」シンは言って、飛び始めた。「この維心は、こちらの復興を助けてくれるために共に参った。宮へ参るぞ。」
「は!」
二人は義心に先導されて、龍の宮へと急いだ。
宮の上空に着くと、思ったよりも修復が必要な状態であった。基盤の部分は強かったようで持ちこたえているが、上の方は半分以上が崩れている。
義心が言った。
「一か月かかってここまででございまする。なんとか宮の中は過ごせるまでになっておりまするが、まだ完全普及まではお時間が掛かるかと。」
シンは黙って頷いて、宮へと降り立った。
「王!」洪が駆け寄って来る。「おお、なんと嬉しきことか!もはやお命がないのかと、どれほどに…。」
洪は涙を流して喜んでいる。維心はそれを見て思った…洪が若い。確かに400年前だ。シンは言った。
「心配を掛けたの。我は隣の世の我…この維心に助けられて生き延びたのだ。して、臣下は。」
洪は暗い顔をしながら言った。
「公李が、落ちて来た梁の下敷きになって死んでおるのが見つかりました。兆加は足を一本亡くしましたが、命は取り留めましてございます。他、宮の半数は死して、葬儀を済ませた所でございます。」
シンは険しい顔で頷いた。
「全ての被害を我に。居間へ戻っておるゆえ。」
「はい。」
洪は頭を下げて、下がって行った。
王の居間は、無事であった。おそらく最奥の一番安定した地盤の上にあるので、持ちこたえたのであろう。念の為奥の間も見に行って、さらに奥に設えさせたはずの維月の部屋を探したが、そこには何もなかった。居間へ戻ってそこの定位置にシンは腰掛け、維心を前の椅子に促した。
「座ってくれ。」
維心は頷いて、腰掛けた。
「…維月が、居なかったことになっておるようだの。」
シンは頷いた。
「維月がここへ来てから三か月経っておったのに。維月の部屋も、まるで最初からそこに何もなかったかのようよ…どういうことであろうか。」
維心は椅子に深く腰掛けて考え込んだ。
「やはり、まだ早かったのであろうな。主の維月が現れるのに、あれの記憶が皆に残っておっては不都合もあろうて。歴史の修正というものであろう。」
シンは、懐から袱紗にくるまれた写真を出した。懸念したが、そこには鮮やかに写る維月が微笑んでいた。シンはホッとして、また大事そうにそれを懐へ仕舞った。
「よかった。何もかもなかったことになるのかと思うたわ。」
維心は苦笑した。
「ほんに主も…己の維月が現れたら、そのようなもの思い出しもせぬのであろうが。」
シンは少し黙って、首を振った。
「一番つらい時を共にしたのは、この維月だ。」と胸に触れた。「我の維月とは、出逢ってからまた共に記憶を紡いで行かねばならぬ。それが、主の維月を越えることがあるのだと信じておるがの。」
維心はふふんと笑った。
「我の維月は天下一ぞ。」と胸を張った。「我にとっては、超えるものなど現れぬ。だが、主には主の維月が居る…きっと、主にとって、その維月が天下一であろうぞ。」
シンは呆れたように頷いた。
「そう願うがの。」
そして、臣下達が入れ替わり立ち代わり訪問を始め、二人は復興へ向けて意識を切り替えた。




