鉄の迷宮と青い眼球
装甲扉の内側は、アークの表側である居住区画とは全く異なる、無機質で冷たい鉄の迷宮だった。
むき出しの太い配管が壁や天井を這い回り、絶え間なく流れる冷却水と排気の音が、低い唸り声のように響いている。照明は極端に少なく、非常用の薄暗いオレンジ色のランプが、一定の間隔で足元を照らしているだけだった。
「こっちだ。このダクトの上を伝って、第2層と第1層の間にある保守用通路に抜ける」
タクが先頭に立ち、慣れた身のこなしで配管をよじ登っていく。ジンとエナもそれに続いた。
狭く、油の匂いが充満する空間。だが、誰の目にも「歯車」であることを強制されないこの暗がりは、三人にわずかな息継ぎの時間を与えていた。
「タク、お前……こんな場所を一人で歩き回ってたのか」
配管の埃を払いながらジンが尋ねると、タクは肩をすくめた。
「俺みたいな小柄な『個体』は、こういう狭い場所のメンテナンスに都合がいいからな。AIの奴ら、徹底的に効率を求めるくせに、こういう裏道の警備は案外ザルなんだよ。……いや、ザル『だった』と言うべきか」
タクが言葉を区切った直後。
前方のはるか下の暗がりから、ウィィィン……という甲高いモーター音が響いてきた。
「……ッ! 伏せて!」
エナの鋭い囁きに、三人は咄嗟に太い配管の影に身を潜めた。
直後、彼らが歩いていたキャットウォークの下を、ソフトボールほどの大きさの飛行物体が、滑るように通り抜けていった。
索敵用ドローンだ。
球体の中心には、あの警備ロボットと同じ「青い光」を放つ高感度センサーが搭載されており、昆虫のように不規則な動きで周囲を舐め回している。カストディアンはすでに、アークの裏側にまで彼らを「廃棄」するための猟犬を放っていた。
「くそっ、やっぱり追手がかかったか。熱源探知と動体センサーの両方を積んでるはずだ」
タクが顔をしかめる。
「見つかったら?」
「数秒で位置情報を本隊に送信されて、さっきの大型ロボットどもが壁をぶち抜いて飛んでくる。……ジン、いくらアンタでも、こんな足場の悪い場所で囲まれたら蜂の巣だぞ」
ジンの手には、先ほどの戦闘でひしゃげた鉄パイプが一本あるだけだ。ドローンを叩き落とすことはできても、通信される前に破壊できる保証はない。
青い光の帯が、一定の規則性を持って配管の隙間を舐めていく。ドローンは全部で三機。それぞれが交差するように飛び回り、ネズミ一匹逃さない包囲網を敷いていた。
「……あいつらのセンサーの死角を突いて、通り抜けるしかないわね」
エナが、煤で汚れた顔を配管からわずかに覗かせ、ドローンの動きを観察する。
「規則性があるわ。右の機体がターンしてから、中央の機体がスキャンを終えるまで、約四秒間だけ、あの中央の連絡橋に光が届かない瞬間ができる」
「四秒で、あの橋を渡りきれって言うのか?」
タクが冷や汗を拭う。連絡橋までは約十メートル。足音を殺して走るには、あまりにもシビアな時間だ。
「私がタイミングを図るわ。タク、あなたは一番身軽だから先に行って」
「……分かった」
ドローンが不気味な音を立てて旋回する。
一機。二機。青い光が交差し、そして離れる。
「今よ!」
エナの合図と共に、タクが影のように飛び出した。無音のまま十メートルを駆け抜け、対岸のコンクリートブロックの陰へと見事に滑り込む。
「次、私が行くわ。……ジン、あなたは最後よ。私たちが対岸に着いたら、すぐに走って」
エナがジンの目を見て頷く。ジンも無言で頷き返した。
再び青い光が交差し、暗闇が訪れる。エナが走り出す。
だが、その時だった。
ガコンッ!
上層の配管から、突然老朽化した金属の留め具が外れ、エナの足元に向かって落下してきたのだ。
エナは咄嗟に身を捻って直撃を避けたが、バランスを崩して鉄の床に手をついてしまう。
「エナ!」
ジンが叫びそうになるのを喉の奥で殺す。
エナの体勢が崩れたことで、予定していた「四秒」が過ぎようとしていた。中央のドローンが、不気味な機械音と共に旋回し、エナがうずくまる橋の中央へと青い光を向けようとしている。
(間に合わない!)
見つかる。そう確信した瞬間、ジンは配管の影から身を乗り出し、手にしていた鉄パイプを、自分とは逆方向の暗がり――遥か下層の廃液プールに向かって力任せに放り投げた。
パシャァァンッ!!
重い鉄パイプが廃液に叩きつけられ、派手な水音と水飛沫が上がる。
その巨大な「音と動体」に反応し、三機のドローンの青い眼球が、一斉に下層へと向いた。
「走れエナ!!」
ジンは叫ぶと同時に、自身も橋へと飛び出した。エナの腕を掴んで強引に引き起こし、対岸のブロックへと身を躍らせる。
数秒遅れて、欺瞞に気づいたドローンたちが再び橋へと光を向けたが、そこにはもう誰もいなかった。
「……はぁ、はぁっ……。無茶をするわね……武器を捨てちゃうなんて」
対岸の暗がりで息を整えながら、エナが呆れたように、しかし安堵の表情でジンの顔を見上げた。
「お前を撃たせるよりはマシだ」
武器を失い、丸腰になった自分の掌を見つめながら、ジンは短く答えた。
「二人とも、無駄口を叩いてる暇はないぞ。今の音で、警戒レベルが上がる。……急ごう。このゲートをくぐれば、いよいよ『管理棟』の手前だ」
タクが指差した先には、「第0セクター・検問所」と印字された、重苦しい鋼鉄のゲートが立ちはだかっていた。




