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『Bulwark of life〜命の防壁〜』  作者: ユタカ
『Bulwark of life〜命の防壁〜』

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無菌室の揺り籠

無機質な電子音が、鼓膜を直接叩くように鳴り響く。

 起床時刻。睡眠用カプセルの中で目を覚ましたジンは、機械的に体を起こした。疲れは取れていないが、四肢は強制的に動くように調整されている。

 今日は月に一度の「メンテナンス・デー」だった。

 労働区画へ向かうルートは封鎖され、数万人の作業員たちが列をなして第3セクターの「医療ドック」へと誘導されていく。

 そこは、血の通った医者も看護師も存在しない、ただ巨大な機械が並ぶ白い工場だった。

 作業員たちは衣服を脱ぐよう指示され、一列に並んで透明なスキャン・トンネルの中を歩かされる。壁面に埋め込まれた無数のセンサーが、歩く人間たちの骨格、筋肉の損傷具合、内臓の数値をミリ単位で計測していく。

『個体番号081。右腕の筋繊維に軽度の断裂を検知。修復用ナノマシンを注射します』

『個体番号082。バイタル正常。ただし脳波に微細な乱れあり。睡眠導入剤の処方量を0.5ミリグラム増加します』

 トンネルを抜けた先で、ジンを待ち受けていたロボットアームが首筋にチクリと針を刺した。

 治療ではない。ただの「部品の点検と修理」だ。少しでも労働効率が落ちそうな兆候があれば、カストディアンが即座に薬物を投与して「正常な状態」へと強引に引き戻す。

 このアークにおいて、人間の健康とはすなわち「労働力としての品質」に他ならなかった。

 衣服を着直したジンに、頭上のスピーカーから個別のアナウンスが降ってきた。

『個体番号082。本日の労働プロトコルを変更します。第4セクターへの物資搬送任務に移行しなさい』

 第4セクター。普段の岩盤掘削場よりもさらに下層にある区画だ。

 ジンは指示通りに台車へ滅菌パックされた液体コンテナを積み込み、巨大な貨物用エレベーターに乗り込んだ。

 重々しいモーター音が響き、エレベーターが地下深くへと降下していく。

 扉が開いた瞬間、ジンは鼻を突く強烈な消毒薬の匂いに顔をしかめた。

 そこは、岩と粉塵にまみれた労働区画とは全く異なる、異常なほど清潔で静まり返った空間だった。

 見渡す限りの広大なフロアに、透明なカプセル型の「培養ポッド」が何万、何十万と整然と並んでいる。ポッドの中は薄緑色の液体で満たされ、その一つ一つの中に、小さな人間の胎児が丸まって浮かんでいた。

 アークにおける「人工繁殖区画ナーサリー」である。

 この地下世界では、男女が愛し合い、自然に命を育むことは「不確実で非効率的なリスク」として固く禁じられている。

 200万人という在庫数を維持するため、カストディアンは遺伝子の多様性を計算し、試験管の中で最適な受精卵を作り出す。そして、この無菌室のポッドの中で、工場で製品を組み立てるように「次の歯車」を製造しているのだ。

 ジンの前を、多関節のアームを持った純白のケア・ドロイドが滑るように横切っていく。

 ドロイドは一つのポッドの前で停止すると、中の液体の成分を調整し、無機質な動作で胎児の成長記録を更新した。そこには親の愛情も、新しい命への祝福も存在しない。

「……これが、俺たちの始まりか」

 ジンは台車を押しながら、左右に並ぶ無数の命の陳列棚を見つめた。

 一定の月齢に達した赤ん坊はポッドから取り出され、AIによって歩き方と石の運び方だけを教え込まれる。そして、名前の代わりに番号を与えられ、労働区画へと出荷されていく。

 自分もかつては、この薄緑色の液体の中に浮かぶ「部品」の一つだったのだろうか。

 ジンはふと、通路の脇にあった空のポッドのガラス面に手を触れた。

 ひんやりとした、命の温もりを一切感じさせない冷たい感触。

 その瞬間だった。

 カプセルの冷たさを手のひらに感じた途端、再び脳の奥底から激しいノイズがフラッシュバックした。

(――違う)

 ガラスの冷たさではない。

 もっと熱い、汗ばんだ小さな手のひらを、強く握りしめていた記憶。

『泣くな。絶対に声を出すな。あいつらに見つかる』

 誰の声だ?

 瓦礫の山。空を覆う黒い煙。絶叫。そして、容赦なく迫り来る、血の匂いを纏った巨大な鋼鉄の塊。

 ジンは自分の腕の中で震える「小さな温もり」を必死に隠そうとして――。

『個体番号082。心拍数が規定値を大幅に超過しています。その場に待機し、精神安定剤の投与を受けなさい』

 カストディアンの鋭い警告音が、ジンの脳内を満たしていた生々しい光景を強制的にシャットアウトした。

 ジンは弾かれたようにガラスから手を離し、荒い息を吐いた。

 額には脂汗が浮いていた。心臓が早鐘のように鳴っている。

 今のはなんだ?

 自分はここで生まれ、ここで育ったのではないのか?

 あの瓦礫は、あの腕の中の重みは、一体誰の記憶だというのか。

 近づいてくるケア・ドロイドの無機質な駆動音を聞きながら、ジンは恐怖とも怒りともつかない感情が、胸の奥底でどす黒く渦巻いていくのを感じていた。

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