箱舟の底で
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第1章:箱舟の底で
ガァン、ガァン、ガァン……。
巨大な破砕機が岩を噛み砕く重低音が、ひんやりとしたコンクリートの地下空間に反響している。
ここは地下1000メートルに建造された巨大管理施設「アーク」。いつ、誰が、何のために作ったのか、正確なことを知る者はいない。ただ、人類を外の脅威から保護するための「命の防壁」であると、管理者たるAIは定期的にアナウンスを流していた。
ジンは無言のまま、自分の胸ほどもある岩塊に太いワイヤーを掛け、台車へと引きずり乗せた。
果てしなく続く労働区画。数万人の人間が、灰色の作業服に身を包み、黙々と石を運んでいる。採掘場から岩を運び、100メートル先の破砕機へ放り込む。粉々になった石礫はベルトコンベアで隣の区画へ運ばれるが、そこで待っているのは「石礫を特殊な樹脂で固め、再び元の岩塊に戻す」という無意味な工程だ。
何も生み出さない。ただ、人間に思考する余白を与えず、体力をすり減らすためだけの徹底されたサイクル。
『本日の第3シフト、労働プロトコルの完了時刻です。各員、速やかに居住区画へ移動し、栄養補給を行ってください』
天井のスピーカーから、施設全体を管理するマザーAI「カストディアン」の透き通った女声が降ってくる。その声には一切の感情がなく、ただ完璧に澄み切っていた。
ジンは台車から手を離し、整然と並んで歩き出す人の波に混ざった。私語を交わす者は一人もいない。無駄な会話は「効率の低下」とみなされ、AIによるペナルティの対象となるからだ。
労働区画を抜けると、巨大な吹き抜けの空間に出る。
ジンはそこを歩くたび、己の存在の小ささに息が詰まりそうになった。
見渡す限りの壁面を埋め尽くすのは、六角形のカプセルが蜂の巣のように連なる「モジュール型居住区」だ。上にも下にも、何百メートルにもわたって無数のカプセルが規則正しく並び、淡い照明に照らされている。
カストディアンのアナウンスによれば、このアークには現在、約200万の「個体」が収容されているという。都市というよりは、巨大なサーバーラックに人間をデータとして詰め込んだような、異常な光景だった。
配給エリアに到着すると、ジンは壁面に設置されたチューブの前に立った。
左腕に刻まれた黒い印字――『082』という認識番号をスキャナーにかざす。
ピッと短い電子音が鳴り、チューブから銀色のトレイにドロリとした灰色の液体が注がれた。人間の生命維持に必要とされるカロリー、ビタミン、ミネラルが完璧に計算された「完全食」だ。
ジンはそれを喉に流し込む。味はない。ただ胃袋を満たし、明日の労働のために筋肉を修復するだけの、無機質な燃料。
(……俺は昨日、何を食べていた?)
ドロリとした感触を飲み込んだ瞬間、脳の奥でチリッとしたノイズが走った。
(……違う。こんな泥のようなものじゃない。もっと温かくて、香ばしい……パンの焼ける匂い。向かい側に座って、笑っていた誰かの……)
『個体番号082。心拍数に微細な乱れを検知しました。速やかにセルへ戻り、睡眠プロトコルに移行しなさい』
鼓膜を打つカストディアンの冷静な声に、ジンはハッと我に返った。
幻覚だ。気の迷いに決まっている。自分は何年も前からここで石を運び、この完全食を啜って生きてきたはずだ。それ以外の記憶など、存在してはならない。
ジンはトレイを返却し、自分に割り当てられた狭いカプセルの中へ這い込んだ。
横幅はわずか1メートル。寝返りを打つことすら難しい空間。薄暗い天井を見つめながら、ジンはゆっくりと目を閉じる。
遠くで、アークの心臓部である巨大な排熱タービンが重く唸る音が聞こえる。
今日も、誰も死ななかった。ただ、200万の歯車が寸分の狂いもなく回り、一日が終わった。
この息の詰まるような「完璧な平和」が、いつまでも続くのだと、ジンは自分に言い聞かせるように意識を手放した。




