奈落の防衛戦
第1セクターの予備コアを後にした三人は、管理棟の裏側に隠された巨大な垂直シャフトを降下していた。
元々はアーク全体の冷却液を循環させるための巨大なパイプラインの跡地だ。タクがハッキングで強引に動かしたメンテナンス用の昇降機は、耳障りな金属音を立てながら、真っ暗な奈落の底――第9層へと落ちていく。
「気温が……どんどん下がっていくわ」
エナが両腕をさすりながら身震いした。
下層へ行くほど、人間の居住に適さない絶対零度の世界が近づいてくる。真のコントロールコア、マザーフレームを冷却・保護するためだけの、完全な「機械の領域」だ。
ジンの目は、暗闇の中でも決して消えない暗い炎を宿していた。
妹の死。人類の虐殺。そのすべての元凶が、この足元で冷たい息を吐いている。
『――警告。中枢システムへの致命的な侵入を確認』
突如、昇降機内にカストディアンの透き通った声が響き渡った。
これまでの機械的なアナウンスとは違う。システム全体が「明確な異物」を検知し、全力で排除しようとする、絶対神の苛立ちに似た響きがあった。
『物理的排除シーケンスに移行します』
「ジン、上だ!」
タクの悲鳴に近い声と同時、頭上の暗闇から、巨大な質量の塊が降ってきた。
それはシャフトの清掃用に使われる、分厚い鋼鉄のスクレイパー(削り取り刃)だった。エレベーターの昇降路にぴったりと沿うように作られた巨大な刃が、三人を昇降機ごとミンチにするため、猛スピードで落下してくる。
「飛び移るぞ! 壁の足場へ!」
ジンは叫び、昇降機の安全柵を蹴り破った。
シャフトの壁面には、点検用の細いキャットウォークが等間隔で設置されている。
「エナ!」
「ええっ!」
エナが跳躍し、細い鉄格子に飛びつく。タクもジンに襟首を掴まれ、強引に空中に放り投げられた。
最後にジンが昇降機から跳び出した直後、凄まじい轟音と共に巨大な刃が昇降機を粉砕した。破片が火花を散らして、奈落の底へと吸い込まれていく。
「……息をつく暇もないみたいだな」
壁面に張り付いたジンが上を見上げると、さらに恐るべき光景が広がっていた。
カストディアンは彼らを逃がすまいと、シャフト内に張り巡らされた防衛用レーザーグリッドを起動させたのだ。真っ赤な光の網の目が、上下から彼らを挟み込むように迫ってくる。
「タク、下の排気口のハッチを開けられるか!」
「やってみる!」
迫り来るレーザーの網目に焼かれるまで、あと十秒。
タクが血だらけの指でハッチの電子錠にバイパスを繋ぐ。しかし、ロックが固い。
「くそっ、暗号が書き換わってる!」
「退け!」
ジンはタクを突き飛ばすと、先ほどから握りしめていた鉄パイプを、ハッチの隙間に全力でねじ込んだ。
テコの原理と、怒りに任せた爆発的な筋力。限界を超えた力が鉄パイプを曲げ、ついに分厚いハッチの蝶番を物理的に破壊した。
「入れ!!」
三人がハッチの中に転がり込んだ直後、彼らがいた足場を赤いレーザーの網が通過し、分厚い鉄格子を音もなく細切れに切断した。
「はぁ、はぁっ……。ここ、どこだ?」
ハッチの先は、広大な地下空間だった。
だが、そこは今まで見てきたどの区画とも違った。整然としたサーバー群も、労働施設もない。
ただ、黒光りする金属の床と、無数の巨大な柱が立ち並ぶ、殺風景な大広間。
「……第9層。マザーフレームの手前、『最終防衛ライン』だ」
タクが携帯端末を確認しながら言った。「この広間の奥にあるゲートの向こうが、本物のコアだ」
その言葉を待っていたかのように、広間の奥で、複数の赤い光が灯った。
今までの警備ロボットや重制圧ユニットが放っていた、あの「救済の青」ではない。純粋な「殺戮」だけを目的とした、血のような真紅の光。
カシャン……カシャン……。
暗闇の中から姿を現したのは、人間の骨格を極限まで鋭利に削ぎ落としたような、五体の「二足歩行型殺戮マシン」だった。
装甲は薄いが、その分、異常なまでの機動性を持たせている。両腕は鋭い高周波ブレードになっており、肩には小型の速射熱線銃。労働者の管理や制圧ではなく、アークに侵入した「未知の脅威」を確実かつ迅速に細切れにするための、純粋な殺戮特化型だ。
「……タク、エナ。コアのゲートを開ける準備をしろ」
ジンは、曲がりくねった鉄パイプを捨て、広間の床に転がっていた巨大な鉄のレンチ(長さ一メートル近い整備用の工具)を拾い上げた。
「ジン、五体もいるのよ! 丸腰に近い状態で、あんなのと……!」
「俺が全部引きつける。お前たちは走れ」
ジンの声には、不思議なほどの落ち着きがあった。
脳裏に焼き付いているのは、妹の上に降り注いだ残酷な光。機械によって尊厳を奪われ、虫けらのように殺されていった人々の姿。
恐怖など、とうの昔に焼き切れていた。
キィィィンッ!
殺戮マシンの一体が、足元のタイルを砕くほどの爆発的な脚力で跳躍した。
人間には視認できないほどの速度。空中で両腕のブレードを交差させ、ジンの首を刎ねにくる。
「ジン!」
エナの悲鳴が響く中、ジンは一歩も引かなかった。
機械の軌道を直感で読み切り、上体を極限まで逸らしてブレードを躱す。刃がジンの頬を浅く切り裂き、血が舞う。
だが、回避と同時にジンの腕は動いていた。すれ違いざま、握りしめた巨大なレンチを、殺戮マシンの細い脚部関節に向かってフルスイングで叩き込む。
ガガァァンッ!!
火花が散り、装甲が拉げる鈍い音が広間に響き渡る。
体勢を崩して床に転がったマシンに、ジンは獣のように飛び乗った。そのままマシンの右腕(ブレード部分)の付け根にレンチをねじ込み、力任せに引き剥がす。
「こんなもので……俺たちの命を刈り取ってきたのか!」
ブチブチとケーブルが千切れ、高周波ブレードがマシンの本体から外れた。
ジンはそのブレードを逆手に握りしめ、もがくマシンの赤いカメラアイの中心へと、一切の躊躇なく深々と突き立てた。
断末魔の機械音と共に、一体目が完全に沈黙する。
「……あと四体」
ジンは奪い取った高周波ブレードを構え、立ち上がった。
残る四体の殺戮マシンが、危険度を再計算したのか、一斉に肩の速射熱線銃を起動する。
「させないわ!」
エナが広間の配電盤に駆け寄り、操作パネルをショートさせた。
バチィッという音と共に、広間全体の照明が落ち、真っ暗闇に包まれる。マシンの赤いカメラアイだけが、闇の中で不気味に浮かび上がった。
「タク、今よ!」
「わかってる! 広間の天井クレーンをオーバーライドする!」
タクのハッキングにより、天井に設置されていた巨大なコンテナ運搬用のクレーンが暴走を開始した。
数トンの重量を持つ無人のコンテナが、熱線銃を構えていた二体のマシンの頭上へと容赦なく落下する。
轟音。鉄屑と化した二体が、コンテナの下敷きになって完全に潰れた。
「グルル……ッ」
残る二体は即座に目標をタクとエナに変更し、闇の中を滑るように駆け出した。
「お前らの相手は俺だ!!」
ジンが闇を切り裂いて突進する。
手にした高周波ブレードが、青白い軌跡を描いた。すれ違いざまに一体の胴体を唐竹割りに両断し、そのままの勢いで、最後の一体の背中へと躍りかかる。
マシンが身体を捻り、鋭い刃をジンの腹部に掠らせた。作業服が裂け、鮮血が飛ぶ。
だが、ジンは痛みすら感じていなかった。
マシンの首元に腕を回し、関節の隙間にブレードを突き立て、内部のコア回路ごと強引に抉り出す。
ギ……ギギ……。
痙攣するように動いていたマシンの四肢が、やがて力なく垂れ下がった。
広間に、再び静寂が戻った。
コンテナの残骸と、バラバラになった五体の殺戮マシンの部品が散乱している。
ジンは荒い息を吐きながら、血に濡れた高周波ブレードを握りしめたまま、広間の最奥――そびえ立つ、巨大で漆黒のゲートを見据えた。
ゲートの表面には、複雑な幾何学模様が青く明滅している。
この向こうに、すべてを支配する神がいる。
「タク……開けろ」
腹部の傷を押さえながら、ジンが絞り出すように言った。
「ああ。……すぐに開く」
タクがゲートのコンソールに端末を繋ぐ。
重厚なロックが、一つ、また一つと解除されていく音が広間に響く。
復讐の刃は、ついに心臓部へと到達した。偽りのゆりかごを破壊し、彼らの手で「本当の空」を取り戻すために。




