第1話|祠を壊した
――死にたかったはずの男が、見知らぬ森で目を覚ましたのは、雨が降り出す直前だった。
薄い灰色の雲が空を覆い、木々の間を抜ける冷たい風が、まるで死に損ねた男を嘲笑うかのように吹き抜けていく。
主人公――三島ユウトは、ぼんやりと空を見つめていた。
視界は滲み、鼓動は弱く、指先ひとつ思うように動かせない。
(……生きてるんだ、俺)
喉の奥が焼けつくように乾き、倒れ込んだ地面の感触だけがやけに鮮明だった。
青々とした草と伸びきった茂みは、自身の有様とはあまりにも対照的だ。
ここがどこなのか。
どれほど時間が経ったのか。
ユウトにはわからない。
ただ、身体に走る痛みだけが――自分が“まだ死んでいない”という事実を、否応なく突きつけていた。
「……ここは、どこだ?」
確かに、死んだはずだった。
アパートの屋上の縁に足をかけたとき、胸を満たしていたのは絶望だけで。
落ちる感覚と同時に、世界が遠ざかっていく――あの瞬間。
そこで記憶は途切れている。
だが、身体は生きている。
痛みもある。
腕には、落下の衝撃とは明らかに異なる生傷がいくつも走っていた。
湿った土の匂い。
草の青臭さ。
見知らぬ森。
ここは、日本ではない。
それだけは、はっきりしていた。
ふと視線を上げると、苔むした石の祠が立っているのが目に入った。
刻まれた文字は読めず、大人の背丈ほどの小さな祠だが、年季を重ねたそれは、禍々しいほど濃い気配を纏っている。
幻覚か。
死後の世界か。
それすら判断できない。
ただ――今の状況を理解したい。
その一心で、動かない身体を無理やり起こし、ふらつきながら祠へと近づいた。
「……誰か、いないのか?」
返事はない。
静寂の中、ぽつりと雨粒が落ち、首筋を冷たく濡らす。
諦めかけた、そのとき。
祠の中の石板が、わずかに光を放った。
思わず、手を伸ばしてしまう。
――それが、この瞬間。
この世界にとって、最悪の選択だったことも知らずに。
⸻




