第10話|最初の代償
「ユウトくん?」
村長の声が、沈みかけていた意識を現実へ引き戻した。
「すいません、ちょっと考え事してまして……」
シチューの中に転がるウサギ肉をすくい、口へ運ぶ。
まろやかな味と素朴な旨みが広がった。
「美味しいですね、このシチュー」
「……無理しなくていい。ここに来てまだ日が浅いんだ。慣れないのは当然だよ」
村長はそう言って、穏やかに目を細めた。
「だがな……人は誰かの中に居場所を作るものだ。互いに信頼し合って生きていく。村というのは、そういう場所なんだよ」
(……居場所、か)
胸の奥が、ざらりと軋む。
横からリリナが肩を軽くつついた。
「ね、お兄さん。明日は私も手伝うから。畑も、生活も……一緒に覚えよ?」
軽い声だったが、不思議と強さがあった。
母を失いながらも前を向こうとする少女。
その真っ直ぐな言葉に、胸が小さく痛む。
「……ああ。頼むよ、リリナ」
リリナは嬉しそうに笑った。
(いつまでここにいられるのかは、わからないけど)
ここでなら――もしかしたら、生きる理由の“種”くらいは見つけられるのかもしれない。
だが、その思いを嘲笑うように、胸の奥で微かな違和感が蠢く。
魔王。
今は沈黙しているが、何を企んでいるのか分からない。
(……俺は、このままここに居ていいんだろうか)
夜空は静かで、どこまでも穏やかだった。
だがその裏で、確かに何かが動き始めていた。
⸻
翌日。
ユウトはリックや村人たちに囲まれながら畑仕事を手伝っていた。
「ユウトくん、そこ固めすぎだよ」
「え、これじゃダメなんですか?」
「ダメダメ、苗が死んじゃうって」
「す、すみません……」
「私が教えてあげる! ほら、こうやって」
リリナが小さな手で土をほぐし、丁寧に整える。
ユウトは額の汗を拭いながらため息をついた。
「……ほんと、向いてねぇな」
「大丈夫だよ。最初はみんな失敗するんだって」
「そうそう。ワシなんか最初は畑を全部ダメにしてな。畑を壊す者と呼ばれとったくらいじゃ」
エルドが胸を張る。
「エルドさん、その話するたび異名増えてません?」
「むむ……き、気のせいじゃ……」
笑い声が広がる。
その輪の中に自分がいることが、まだどこか信じられなかった。
居心地が良すぎて、少しだけ怖い。
この村で生きることに、早く慣れたい――そう思った、その瞬間だった。
地面が揺れた。
「……ん?」
「なんだ今の……?」
ざわめきが広がる。
揺れはすぐに止んだ。だが次の瞬間――
――ガルルルルル……ッ。
獣の低い唸り声が、森の奥から響いた。
「お、おい……森の方だ……!」
リックが叫ぶ。
「魔物だッ! 子どもたちを避難させろ!!」
一気に緊張が走る。
「警報はどうした!? こんなの初めてだぞ!」
「今はいい! とにかく避難だ!」
村人たちが一斉に走り出した。
「魔物……?」
状況が理解できず、ユウトは立ち尽くす。
リリナが腕を掴んだ。
「お兄さん! 危ないよ、離れちゃ――」
その瞬間。
森の影から、灰色の狼のような魔物が飛び出した。
赤黒く光る目。
唸り声。
明らかに普通の生き物ではない。
「デカすぎんだろ……」
足が動かない。
思考が凍りつく。
「花が……」
エルドの声で、我に返った。
「……花が危ない」
「エルドさん?」
彼の視線は魔物ではなく、花畑だけを見ていた。
「うちの花畑に手出しはさせん」
「ダメだ! エルドさん!」
止める間もなく、エルドは走り出す。
そして――
魔物の足が振り下ろされた。
グシャリ、と。
紙でも潰すように、簡単に命が消えた。
「エルドさぁぁぁん!!!」
理解が追いつかない。
死が、突然目の前に現れた。
「リリナ、ユウトを連れて下がれ!」
リックが飛び出す。
「でも――!」
「いいから! 俺が負けるわけないだろ!」
だが次の瞬間、リックの体は弾き飛ばされ、森へと叩き込まれた。
魔物が遠吠えを上げ、こちらへ向き直る。
足が震える。
頭の中で声が響く。
――やっと死ぬ理由ができたじゃないか。
『お前が死ねばよかったんだ』
父の言葉が蘇る。
(違う……俺は、生き延びて変わるんだ)
リリナを守るために。
ユウトは地面に転がっていた鍬を握った。
「くそ……武器なんて握ったことねぇのに!」
怖い。
それでも逃げる選択肢はなかった。
魔物が突進してくる。
「うわあああぁぁぁぁ!!」
鍬を振るう――が。
衝撃と共に、体が吹き飛んだ。
「ユウト!!」
地面に叩きつけられ、呼吸ができない。
(……動けねぇ……)
視界が滲む。
だが魔物は止まらない。
その牙は――リリナへ向いた。
「……やめろ……そっちに行くな……俺を見ろ……!」
少女が震えながら後退る。
その瞬間。
胸の奥で、黒い靄が蠢いた。
――力が欲しいか?
魔王の声だった。
――選べ。少女の命か、貴様の心か。




