002
「ん……んんっ……」
聞けば分かる、眠そうな声。
東雲先生……というより組織の皆様の“配慮”で右隣になったイリアの欠伸を聞くのは今日だけでもう五回目。
「どーしたってんだよ。ここ数日、なーんか衣璃亜ちゃん、とんでもなく眠そうじゃね?」
となれば当然、目撃されやすくもなるわけで。
「実はその、私も少し気になっていて……。もしかして、また何かあった……?」
俺たちとは少し席が離れているとはいえ、こんなに分かりやすい反応を小城や東雲さんが見逃す筈もなく。
「それが俺にもさっぱりわからなくて。それとなく聞いてみたんだけど……」
「答えはなし、ってか? おいおい、しっかりしてくれよなー?」
「けど、衣璃亜ちゃんの様子があれだけ変わっちまうんならまぁまず天条関係だろ」
俺もそれは思った。
最近はいい方向に向かってくれてるみたいだけど、それとこれとは別問題。
イリアがそういう風に考えてくれてると思うと、嫌な気はしない。
ただ……。
「別に私はいつも通りですよ。体調も何も変化などありません。全く微塵も」
やっぱり、イリアの回答が一変するようなことはない。
どうしてもわからなくて思い切って訊ねてみた。
最近――2811との試合以降、様子が変わったように見えたその原因を。
その時も――
『別に、あなたにふまんがあるというわけではありません。ですから、いいんですよ。そんな心配はしなくても』
なんて言われてしまった。
(寝たふりをして、夜中に何かをやってるみたいだけど……)
危険なことでもなさそうだし、問いただすのも何か違うような気がする。
今のところは、機織りの音が聞こえてくるなんてこともなかったし。
「とか言って、実際はなにかあったりするんじゃねーの? そんで衣璃亜ちゃんが拗ねちまったとかよ」
「まだ言うか」
「それはさすがに、天条くんのことを疑い過ぎだと思う……」
多分だけど、怒っているわけじゃない。
拗ねてるなんてこともないと思う。
そこまでは俺にもわかる。
東雲さんから見た印象も多分、似たり寄ったりのもの。
納得していないのは小城くらいのもので――
「いやいや、分かんねーだろ。よくあるじゃねーか。記念日を忘れてたって」
「結婚三年目かっての」
「そ、それはそれで、ちょっと偏見が入ってるような……」
うちの両親は……どうだっただろう?
俺や美咲に関することはこれでもかってくらいに覚えていてくれたけど。
(自分たちのことはそこまででもなかった……ような)
おじさんやおばさんも含め、そんな感じだった気がする。
(まあ何にしても、今のイリアの様子とはぶっちゃけそこまで関係なさそう――)
「ぃっ!?」
背筋が、凍った。
右隣から襲ってくる季節外れの猛吹雪。
そのおかげで、今にも氷漬けにされてしまいそう。
「――…………」
ものすごい形相のイリアを見ていると、そのまま心臓まで氷に帰られてしまいそうな気さえした。
「い、衣璃亜……ちゃん? ど、どーしたってんだよ。急に」
小城に向けたその目に、温かさなんてものはまるでない。
「どうしたか、ですか……。まったく、おかしなことを聞きますね?」
逃げようにも逃げられない。
「っつーことは……俺、やっぱ何かやらかしちまったんだよ……な?」
小城の声は、震えていた。
「さぁ、どうでしょう。あなたが行った度の発言のことを指しているのか、私にはまるでわかりませんから」
「は……ははっ。そりゃそーだよな。俺、天条じゃねーんだし」
「えぇ、桐葉ではありませんから」
衣璃亜が頬を緩めたら、その分だけ小城の額に浮かぶ汗が増える。
絶体絶命。万事休す。地獄の淵。
この状況を丸く収める方法なんて、俺も知らない。
あるなら今すぐにでも教えてほしい。
「(マジ・頼む・助けて)」
「(ム・リ)」
必死の表情と奇怪なダンスで助けを求められても、応えられそうにない。
「そりゃねーだろ思い出してくれって! 何かあるだろ、何かさぁ!?」
「そ、それなら、その……これ以上余計なことを言わない方が、いいような……」
「いっ――」
何を言っても、どう取り繕っても、今更感が拭えない。
「えぇ、確かに。的確な助言だと思いますよ? ……口を滑らせる前であれば」
どの発言かは分からないけど、とっくにアウト判定を食らってる。
ただやっぱり、何が原因なのかは考えても考えても思いつかない。
「で、でも、天条さん……小城くんもきっと、悪気が合ったわけじゃ……」
「東雲……!」
その正体がわかればまだ止められないこともないのに、本当に心当たりがまるでない。
特に最近は何かをお願いされた覚えもないし。
「それは勿論、分かっていますよ。……この反応からして、知らないのは間違いないでしょう」
「だ、だったら――」
「だからこそ、このような事態が再発しないように努めるべきでしょう。お互いのためにも」
「……そ、それは…………確かに……?」
「東雲ぇ!?」
イリアが躍起になって隠そうとする理由の手がかりさえ、未だに何も浮かんでこない。
「オイオイオイ、なんとか言ってくれよ天条! このままならオメーのことも巻き込むかんな!?」
「お前の意思かよ」
「そこは普通、『巻き込まれる』って言うところじゃあ……」
人が真面目に考えてるタイミングにとんでもないことを言ってくれやがる。
なんて恐ろしい。
油断も隙もあったものじゃない。
「それにそもそも、状況的に当事者筆頭じゃん。俺。今さら巻き込むも何も」
「天条くん、そこまで分かって……。そんな、どうして……」
「筆頭だからこそ口を挟まない方がいいこともあると思って。特に今とか」
「あ、あまり……そういう風には……」
東雲さん的には微妙に納得いかないみたいだけど、こればかりは仕方がない。世の中そういうことだってある。
小城に関してはもう自業自得ということで、ここはひとつ。
何かしらの発言が原因なのは間違いないんだし、まあそれでよし。
「呑気に話してる場合じゃねーんだって。マジ。もうちょっと助けようとしてくれてもよくね!?」
「東雲さんにあんなに援護してもらったのに? 欲張りな」
「そん時しれっと見守ってたヤツがいたろ。ソイツがなんとかしなきゃ収まりつかねーだろ。コレ」
別に見守ってたわけじゃないのに。
口を挟まないようにした理由も今言った。
東雲さんに言ったとはいえ、小城に聞こえていないわけがない。
「いやいやいや、そうは言うけどイリア的には俺に気付いてほしくないみたいだし」
「その優しさの一割だけでいいからこっちに向けてくれよぉ……マジで……」
「そんなことしなくても小城ならきっと大丈夫だって、俺は信じてるから」
「オメーいっぺん目ん玉洗ってこいやコラ。じゃなきゃ冷水ぶっかけんぞ」
「あ、それなら夏によろしく」
「今の流れでよくそんな贅沢言えるなオイ」
「な、夏ならいいんだ……」
……多少話が逸れたら、なんとなく有耶無耶にできるだろうし。
小城にはちょっと申し訳ないけど、もう少しだけ頑張ってもらおう。




