003
「んっ……! くぬっ……!」
――その人はつま先立ちまでして、手を伸ばしてた。
それでもまだ届いてない。
イリアや東雲さんよりも背が低いんだから、届くわけがない。
昇降口の掲示板は、校内の中でも一番大きい。
誰もが必ずと言っていいほど通るおかげで、枠の取り合いも激しいとかなんとか。
「ぉや……っ?」
……こうして困る人が実際にいるんだから、何か対策を取った方がいいと思うけど。
近くを見たけど台座もない。
いっそ、上下スライド式のものに変えてしまえばいいのに。
「……なかなか感心な若者もいたものだね?」
「若者って。あなたもこの学校の生徒でしょうが」
背は低いけど、多分先輩。
まだ五月の連休も終わってないこの時期に、そこまでアグレッシブな同級生がいるなんて思えない。
制服を着た教職員なんて奇妙な存在の噂も聞いたことがない。
どう考えても若者扱いはおかしい。絶対に。
「気にもなりますよ。あれだけ悪戦苦闘してる人を見たら」
「君の友人達は静観を決め込むようにしたようだよ?」
「触らぬ神に祟りなしってやつじゃないですかね」
後ろに軽く目を向けてみると、いた。確かにいた。
イリア達以外にも数人。俺達のことを不思議そうに眺める生徒がいた。
見向きもしない人の方が多かったけど、様子を窺っている人も実際にいた。
おかげで、名前も知らない先輩が面白そうに目を細めていることにすぐ気付けなかった。
「隣人愛溢れる新入生だと思ったら……なかなか言うじゃないか」
「そう思われるならならまずはご自身の行動でも振り返ることろから――……」
……この人、今なんて? そこまで話したっけ?
「……どうして分かったんですか? 俺が新入生だって」
「そうだね……。色々あるけど、あえて言うなら君が私を先輩だと判断したのと同じような理由だよ」
人の頭の中を覗き見できるんだろうか。この先輩。
先輩・後輩に関しては俺の態度からなんとなく察したとして、だ。
理由なんて一言も言ってない。絶対に言ってない。
「あとは、制服かな。在校生でここまで真新しいものを身に着けている生徒はほとんどいない」
「買い換えたってこともあるでしょうに」
「まあね。制服はあくまで君が一年生だと推測した根拠の一つに過ぎないよ」
……気付かなかった。
そこまで観察されていたことに、言われるまで気付かなかった。
本人は平然とした表情で言っているけど、簡単なことじゃない。
最初からそういうつもりがない限り、そこまで確かめようなんて思わない。
崖っぷちに追い詰められてしまった犯人のような気分。
そんな俺の反応を楽しむように、小柄な先輩は小さく笑った。
「身もふたもない話をすれば、他に手を貸そうとする人がいるとは思えなかったんだよ。変わり種の新入生以外にね」
――そして、さも当然のことのように先輩はそう言った。
「失礼な。それじゃあまるで手伝いに来た俺がもの好きみたいじゃないですか」
「客観的に見れば君は変わり者だよ。十分すぎるほどにね」
「自分のことを棚に上げてよくもまあ言えますね、そんなこと」
あまりに簡単に言うから、思わず聞き逃すところだった。
一人で悪戦苦闘していた理由を更に追及しようだなんて、とてもじゃないけど思えない。
先輩自身が平然としているから、逆に聞きづらかった。
それでもと思って、模造紙をしっかり握った。
「……おや、いいのかい? 変わり者の称号を手にしてしまっても」
「えぇ、どうぞお好きに。今さら辞めるくらいなら声なんてかけませんよ。最初から」
下手に気を遣うより、貼る手伝いをした方がいいと思った。
先輩の表情は変わらない。声の調子も、違いなんて分からない。
本気でからかおうとはしてないことしか、分からなかった。
「無理をしてまで上に貼る必要なんてないでしょうに。破れますよ? その紙」
「そういうわけにもいかないんだよ。隅に貼ったって、誰も見ないからね」
「これだけ派手なら目立つと思いますけどね。どこにあっても」
内容に目を通して、改めてそう思った。
おかげで、それが手作りの新聞だということはすぐに分かった。
運動部の成績や学食の期間限定メニューが、写真付きで紹介されている。
気になったのはやたらと自己主張の激しい吹き出しくらい。
「派手とはなんだ、派手とは。少しでも人目を引くように色々と工夫を凝らしたからであって、色の配置にも――」
「分かりました。分かりましたよ。謝りますってば」
ただし、複数。
どういう理屈でこんな風に配置したのかまではさすがに分からない。
「……それで、いいんですね? あそこに貼れば」
作った本人が決めたことに口を出せる筈がない。
上の方に目を向けると、確かに丁度いい空きスペースもあった。
人目を引くという先輩の言い分も、まあ分かる。
「んっ、と……!」
少し右に――行きすぎて、今度は左に。
指示通り高さや向きを調整している内に、後ろから聞こえて来た会話の声も消えていった。
「――うん、完璧だ」
そうして貼りだされた新聞を見て、先輩はうんうんと頷いた。
「協力感謝するよ。後輩くん。お礼に一つ、いいことを教えてあげよう」
「いいこと……次の発行日とか?」
何の気なしに言ってから、しまったと思った。
「驚いた……。そんなにやる気があるとはね」
先輩は笑顔だった。
分かりやすいくらいに悪い笑顔を浮かべていた。
「やる気があるのはありがたいね。そういうことなら、後輩くん」
「丁重にお断りいたします」
「まだ何も言っていないじゃないか」
その顔を見れば、さすがに分かる。
エスパーじゃなくても、次に言おうとしてることくらいなんとなく分かる。
「申し訳ないですけど、入部はできません。放課後は色々とやることがあって」
「今の部員は私一人。怖い先輩もいないんだよ それでもかい?」
「はい、それでもです」
組織も、部活動禁止の命令なんて出してない。
東雲先生に至っては、積極的に推奨しようとしていた。
そんなことでいいのかとイリアがぼやいていたのを覚えている。
入部しても最悪、幽霊部員になりかねない。
そんな態度じゃ、真剣に取り組んでいるこの人に失礼――
「…………えっ、三号?」
……マジで?
「何か気になることが? 号数に偽りはないよ」
「だから驚いたんですよ。さすがに早過ぎません? まだ四月なのに」
「四月だからさ。積極的な活動をアピールするにはこのくらいで丁度いいんだよ」
……やっぱり断っておいて正解だった。
さすがに無理。面倒とかじゃなく、申し訳ない。
まさかここまでとは思わなかった。
「……そこまで言うなら仕方ないね。例の件もあるから、人手が欲しかったんだけど――……」
そこまで言いかけて、急に先輩は黙った。
「……んっ?」
いきなり目が合ったかと思えば、驚いたように目を丸くして。
「んん、ん~……?」
何故か俺の顔を見たまま、口を開こうともしなかった。
それから俺の肩を叩いてみたり、背中に回り込んでみたり。
身長差を確かめた挙句、人の顔を前後左右から眺めて物思いにふけり出す。
「なるほど、なるほど……。まさかこんな偶然があるなんてね……」
「あの……何か? もしもし、もしもーし? 先輩、聞こえてますか??」
ようやく喋ったと思ったら、今度は自分で勝手に納得していらっしゃる。
何がなんだかわからない。
次に目が合った時にはもう、
「大したことじゃないよ。――ただ、君とはすぐにまた会うことになるかもしれないね、後輩くん?」
「はっ? 先輩、それどいいう――」
すぐに訊き返したけど、その答えが返ってくることはなかった。




