001
「――そうか、また……」
持ち寄られた情報に目を通し、漏れた溜め息。
この場に呼び出された者達も、大なり小なり似た想いを抱いていた。
とても喜べるようなものではなかった。
「ここ数日だけでもう10件目ですか……。こうも多いと、ただの怪奇現象で片付けるのは難しいんじゃないですか?」
「だから言ったの。もっと部隊を動かした方がいいって。――いいんですか? このままじゃまた後手に回ることになりますよ?」
この前のように、とは誰も言わなかった。
先日、市内のショッピングセンターで起きた襲撃事件。
あの時のような事態に発展する可能性も、決してゼロではなかった。
かの事件があのように収拾したのは、幸運な偶然が重なったからこそ。
それが2943拠点に所属する者達の共通認識だった。
あの場に居合わせた4人でさえ、聴取ではそう語っていた。
「増やしていたとも。新しい情報が寄せられる度に、少しずつ。……それでも、手掛かりは見つからないままだ」
先の件から、まだ一か月も経っていない。
過去の事例を見る限り、この短期間でまた大きな動きを見せるとは考えづらい。
それでもできる限りの人員を調査に回していた。
万一に備え、一刻も早い発見を目指していた。
「隣の方は? こっちでこんなに目撃されてるなら、あっちでも……」
「向こうのやつに聞いたら、そんなの知らないって言ってましたよ。例の噂自体は聞いたらしいですけど」
「それなら本腰を入れて調べたらいいのに。騒ぎになってからじゃ遅いでしょ」
一度目は、質の悪い冗談。二度目は、奇妙な偶然。
しかし、たった数日の間に三度も起きた。
本来であればまず起る筈のない現象が、この短い期間に三度も起きた。
「他所は他所だ。あちらの判断に、我々が口を出す理由もない。今は、それよりも――」
誰かの意思が介在しなければ、あり得ない。
その『誰か』の候補として真っ先に名前が挙げられる者達は、彼らにとって無視する事の出来ない存在。
「――“光る蝶”とやらの正体を、突き止めなければならない」
集められた者達は、静かに頷き合った。
――突き出された拳を、桐葉は躱した。
腰から上を、ほんの少し逸らすだけ。必要最小限の動きで、桐葉はその一撃から逃れる。
対して小城は、勢い余って桐葉の右斜め後ろへと一気に遠ざかる。
「っ……!?」
小城の手にゴムボールが握られていることに気付いたのは、振り返ったその瞬間。
勝ち誇ったような笑み。時間にしてみれば、たった一瞬の出来事。
「もらいっ!」
「やらせるか!」
次の瞬間。直前まで桐葉が立っていたその場所で、二つのゴムボールがぶつかり合った。
衝突の反動が、二つのボールを持ち主の足元へと戻す。
二色のボールは小さく跳ねながら、それぞれの足元へと転がっていった。
しかし、足元へ転がって来たボールを、桐葉も小城も拾おうとしない。
「……うっそだろオイ」
「あ、危なっ……」
考えなしに仕掛けたところで、結果が変わらないことを二人は知っていた。
桐葉が後ろへ跳ぶ事を見越して小城が放った、赤いボール。
一直線に飛ぶそれの芯を、桐葉の青いボールは確かに捉えた。
決して隙を見せることなどできない。
相手の僅かな動きも見逃さないよう、睨み合う。
「――そろそろ、終わりにするべきではありませんか?」
膠着を破ったのは、桐葉でなければ小城でもなかった。
二人の模擬戦を静かに見守っていた、衣璃亜だった。
言われて二人も、大きく息を吐き出し構えを解く。
額に浮かぶ汗の量には、埋めようのない差があった。
「ちっくしょ、どうしてアレに当てられんだよ。オメー未来でも見えてんの?」
「そんな力があったら苦労しないっての」
ため息交じりに桐葉は言った。
未来視の力があれば、この前の襲撃を事前に防ぐことも不可能ではなかったと思ってしまったからだ。
そんなものがあればどれだけよかったことか。ないものねだりだとしても、桐葉はそう思わずにはいられなかった。
話題を逸らしたのも、そんな気持ちを消そうとしたからに他ならない。
「それを言うなら小城の方こそ。最後の一発。俺が逃げる方向が分からなきゃ、あんな風には投げられないだろ」
「お、おう。まぁな? 何回かやりあってる内に分かったっつーか? そーいうもんだよ」
しかし、桐葉が小城の一発に驚かされたのも嘘ではなかった。
まだボールが小城の手元にあることは、桐葉も覚えていた。
拳が突き出された時にはまだホルダーに収められていたそれが飛ぶとしたら、もう数瞬後のことだと彼は考えていた。
しかし、実際には違った。
不安定な姿勢でありながら、小城は正確に、かつ桐葉の回避先を予測し放った。
そんな小城がしどろもどろになっているのを、桐葉は見逃さなかった。
「……もしかして、勘?」
「うぐっ……。ち、近いけどよ、そこは第六感って言ってくれてもいいじゃねーか」
言われて桐葉は、心の内でやっぱりと呟いた。
ふとした拍子に発揮される勘の鋭さ。小城のそれは模擬戦に限られたものではなかった。
先日の一件以降、桐葉はそうした場面を何度か見てきた。
時として、あまりにも的外れな結論に辿り着くところまで含めて。
「へぇ。じゃあ、今後はそれを頼りにさせてもらおうかな」
「決めんの早ぇよ。そんなことでいいのかよ、リーダー?」
「いやいや、俺はただ、メンバーの長所を活かそうと思って」
決して、本気で言ったわけではない。
小城も桐葉のその提案が単なる冗談だと分かっていたからこそ軽く返す。
衣璃亜の呆れのため息も、諸々を察した上でのものだった。
「……その顔では説得力がありませんよ、桐葉。嘘でも真面目な表情をしたらどうですか」
「わざとだよ、わざと。説得力があっても困るし」
それもこれも承知の上で釘を刺した。
不服そうな表情を浮かべながらも、言わないという選択肢は衣璃亜になかった。
「……もうちょっとくらい頼りにしてくれてもよくね?」
「時間割を思いっきり間違えたやつが何を言うか」
「今さら拠点の中で迷いかけた天条にゃ言われたかねーよ」
それもこれも、つい最近の出来事。
桐葉も小城も、鼻を鳴らすように小さく笑う。
桐葉が迷いかけたのは、トイレ掃除のために何度も行き来した筈の通路。
そして小城は、前の曜日と勘違いした。前日その授業を受けたばかりだったというのに。
「そんなことで言い争っても仕方がないでしょう。――そろそろ帰らないと、間に合いませんよ?」
「あぁ……確かに」
言われて桐葉は、小城へと視線を向けた。
トレーニングをしない日ほど遅くなる小城を、桐葉は見た。
「オメーもだよ。なに自分は関係ないみたいな顔してるんだよ」
「まさか。ただ俺は小城を心配してるだけで」
「朝練やって遅れたことねーだろ!?」
「……普通は逆でしょう」
何もない月曜日と木曜日ばかり、小城の登校時間は大きく遅れる。
二葉が『平日は毎朝トレーニングをしたらいい』と言い出すほど、何もない日に限って遅れる。
「解せませんね。どうしてこういう日に限って遅れないのか」
「まだ三回しか遅刻してねーよ。それに一限には間に合ってるだろ」
桐葉も拒む理由はない。
小城のアパートに近い広場でのトレーニングに、何ら不都合はない。
走る距離も、これまでと大差ない。
そういう意味でも、桐葉にとってこの場所は非常に都合がいい。
「じゃなくて。そっちは出ないんだろ? 朝食。そんなゆっくりしてていいのかよ」
「いいも何も、もう済んでるし」
「帰ればすぐにでも行けますよ。私も桐葉も」
「……早過ぎんだろ」
そんな中で二葉の提案を拒み続けていたのは、他でもない小城だった。




