031
「……意識を失っているだけか」
その言葉に、誰もが胸を撫でおろした。
ピクリとも動かないその姿に一抹の不安を覚えるのは、当然のことだった。
そこにいたのは、毛布代わりにシンプルなシャツをかけられた男性だった。
声をかけても、返答はない。
しかし、息はある。決して穏やかとは言えないものの、男性の呼吸が止まることはなかった。
「しかし……どうしたものか。勇敢過ぎるのも考えものだ」
しかしその近くに、本来そこに居なければならない三凪たち四人の姿は見当たらない。
全員がこの場所に揃っていないことは、二葉も分かっていた。
小城の携帯電話の反応だけが、この場所から動かなかったからだ。
他の三つの点の動きは、明らかに奥へと向かっていた。
飛翔しているとは思えないほど、緩やかなペースで進んでいた。
A班がこの場所に着いた時にはもう、4人は更なる捜索を開始した後だった。
状況から、そうとしか判断のしようがなかった。
「1つだけ残しておけば、我々が放っておくことはないと思ったわけだ。……なるほどな」
「感心してる場合じゃないですよ。B班も足止めを食らっているんですから。あの子達、普通に電話すればいいのに……」
「言えば止められると思ったんじゃない? ……単に電話に出られない状況なのかもしれないけど」
それもこれも、先程までのこと。
どれだけ二葉が目を凝らしても、その背中は見えてこない。
立ち入り禁止区域に当たる位置で、三つの点はほとんど動きを止めている。
(三凪……皆……なんてことを)
丁寧に保護された男性と、手足の自由を封じられた信徒。
三凪の言葉から二葉が思い浮かべた通りの『対応』がとられている。
「君。あちらの男性を外に。君は向こうの信徒の見張りを頼む」
「「了解」」
さらに続く『対応』も、想像に難くない。
二葉達から迎えにいなかなければ、撤退も困難を極める。
「東雲君は――……いや、待て。総員、戦闘準備」
その時、不思議なことに、波打つ黒がその動きを止めた。
フロアの大部分を侵食してしまった、ドロドロとした黒。
不可解な変化を繰り返すそれに怪訝な視線が集まった、その瞬間。
「今度はいったい何を……ぉおっ!?」
埋め尽くす黒は、突如として煮えたぎるマグマのように活発化した。
「――フォーメーション、2-1! 後ろの男性に近付けさせるな!」
浮かび上がるように、次々怪物が姿を現した。
蠢くソレを目の前にした桐葉は、思わず舌打ちした。
開きっぱなしになっていた扉の向こうの景色を、桐葉はこの世のものとは思えなかった。
(……やっぱり)
彼らの足を鈍らせていた、不気味な黒。
恐ろしく思えるそれが、湯水のように湧き出しているのを桐葉は見た。
少しずつその勢力を伸ばし、床をも呑み込んでしまった黒。
その発生源たるこの場所は、桐葉が手を付けられないほど黒に埋め尽くされていた。
即席の足場も、これまでの大きさではすぐに呑まれてしまう。
四人全員が同時に立つことのできる小さな舞台に避難するのがやっとだった。
桐葉が少し手を伸ばせば、天井に手が届きそうな高さ。
しかしそれも、いつまで持つかは分からない。
「おいおい、マジかよあれ……。デカすぎんだろ……」
「こんなもの……どうして……」
そして、更にもう一つ。
黒が噴き出す真上。そこに彼らは、不気味という他ない巨大な塊を見つけてしまった。
宙に浮かぶそれは、つい先ほど桐葉が引きちぎった奇妙な物体によく似ていた。
二回り以上大きいことを除けば、ほとんど同じ。
(こんなに大きくなって……まともなものじゃない、よな。さすがに)
来るべきその時を待ちわびているようだと、桐葉は感じた。
肥大化したそれは、今にも破裂しそうな勢いだった。
内側で眠る何かによって、いつ破られてもおかしくない状況にあった。
(いるかどうか分かれば、まだやりようもあるっていうのに……)
歪な物体の中に何があり、誰がいるのか。外から見ただけでは分からない。
そのことだけが、桐葉は気がかりだった。
確かめる手段も限られる。
何より安全の確保が困難な方法でしか、桐葉から確かめることはできない。
「念のために言っておきますが、さっきと同じ手は使えませんよ。いくらなんでも規模が違い過ぎます」
「分かってる。――削ぎ落してから、調べた方がいい」
――何もなければ、その時は宙に浮かぶ塊を破壊する。
湧き出す溶岩のような黒と、静かに浮かぶ巨大な黒塊。
形状こそ大きく異なっていたものの、色は怪物のそれと変わらない。
いつ破裂してもおかしくないそれを、放っておける筈がなかったのだ。
その衝撃によって、眠る怪物を目覚めさせてしまうとしても。
「……賛成はできませんね」
その時、キリハのことを呼び止めたのは衣璃亜だけだった。
最優先で調べなければならないのは、人質の有無。
同時にそれは、巨大な黒塊の正体を確かめる上で大きな意味を持つ。
「……言うと思った」
「当然でしょう。並大抵の火力でどうにかできるとは思えません」
「同感。あれだけ大きいなら、さっきのやつよりも頑丈になってるだろうし」
そのためにも、外壁を破らなければならない。
それだけの威力を持った攻撃が、内部に届くことになる。
「そこまで分かっていながらやると言うんですか。あなたは」
「やる。……助けるにしても、ぶっ壊すにしても、そろそろ限界が近そうだし」
全てを理解した上で、桐葉はそう言った。
そんな姿を見た衣璃亜がため息をつくのは、当然のことだった。
「確かに、内部も見えるようになるでしょう。ですが、もし当たり所が悪ければ――」
「それも含めてなんとかする。俺達の使う魔法で、怪我なんてさせない。絶対に」
それもこれも承知の上で、教団の置き土産を桐葉は睨んだ。
ゼロに近付く時限爆弾は、それにも構わずそこに在る。
「……厳しいと判断したら、無理矢理にでも退かせますよ」
「こっちからお願いしたいくらい。――じゃあ、そういう方向で」
ただそれを眺めるためにこの場所へ足を運んだわけではない。
(切り裂く剣……あの異物を切り裂く、一振りの剣……)
巨大な炎を叩きつけたところで、目的を果たすことはできない。
凍てつく氷に閉ざしたところで、その場しのぎが限界。
「――《魔力剣》!」
故に桐葉は、魔力の剣を手に取った。
(やっぱりまだ、不安定……っ)
柄を握る感触が柔らかいことに、桐葉はすぐに気付いた。
少しでも力を込め過ぎてしまうと、たちまち形が歪みそうになる。
形を保っているように見える刃も、桐葉が思い浮かべたものとはやや異なっていた。
「小城も、東雲さんも! どんな小さなものでもいいから、何か見つけたらすぐに教えて!」
それだけ伝えて、桐葉は飛び出す。
自らが作り上げた足場を頼りに、魔力で編んだ翼を広げて飛んだ。
「バカっ、なにやってんだ!? ひとりで突っ込むなって!」
「様子見! 大丈夫、無理はしない! それよりそっち、よろしく!」
「よろしくっつったって……!」
小城の声を背に、桐葉は迫る。
翼をはためかせ、標的へ一気に詰め寄る。
(よくもまあこんなものを……!)
近付くにつれ、その大きさを思い知らされる。
今では人ひとりを呑み込んだ先程の塊すら、小さく思えた。
二回りどころではない。
(……? これ、もしかして)
しかし、どれだけ近付いても桐葉が過剰な熱を感じることはなかった。
どれだけ距離を詰めようと、迎撃行動に移ることはない。
本当に、ただそこにあるだけ。
(迎撃される心配を、しなくていいなら)
――両手でしっかり、魔力の剣を握ったまま。
「――切り裂けッ!」
ありったけの力で、斬り裂いた。




