030
俺達もこのまま奥に向かおう――気付けば、その言葉に三凪は頷いていた。
それが正解か否か、まだ分からない。
動き始めたばかりでは、判断のしようがない。
姉には心配をかけてしまうかもしれない。
着信こそないものの、二葉の手には三凪たちの居場所を確かめる術がある。
――戻ったら、怒られるかも……
その時は天条も、天上も、小城も――……全員一緒だろうと、思っていた。
誰か一人の責任とすることを、誰もよしとはしないに違いない。
この騒動が収集したその時、誰かが駆けている事など三凪は考えもしなかった。
予断を許さない状況であることに変わりはない。
それでも、その場にとどまり続けることはできなかった。
留まったところで、かえって危険。そのことだけは、はっきりしていた。
得体の知れない、ドロドロとした黒が波となって押し寄せていた――。
(さすがに、もうどこにもいないか……)
あの化け物でも黒い波の上を往くことはできないのかと、桐葉は小さく息を洩らした。
あの怪物でもそれを乗り越えることはできない――そんな、希望的観測が安堵をもたらす。
あの怪物ですら直接触れる事ができない――そんな、恐るべき可能性に一抹の不安が残る。
「足元、これで大丈夫そう? もう少し大きくしようか?」
「今のままでも大き過ぎるくらいですよ」
「そーそー、大丈夫だって。デカいの作りまくったら天条の魔力がやべーだろ」
魔力の心配をする必要は、ないんだけど。
そういえば、まだそこまで話していなかった。
話してもいいものか分からないから、そのままにしていた。
東雲先生なら多分、知ってるんだろうけど……微妙なところ。
別に、出し惜しみしようとは思わない。
「まあ、それはそうなんだけど……っ、と。東雲さんは? 平気ー?」
「だ、大丈夫……! こ、このままでお願い……!」
返ってきた声は、遠かった。
距離があるから仕方がないけど、さすがに遠い。
振り返ってみても、やっぱり距離がある。
一列に進まなきゃいけないからって、これは遠い。いくら最後尾だからって。
皆が先に言ってくれた方が安心できる――なんて言ってたけど、やっぱり小城に後ろへ回ってもらった方がよかったかも。
(次からもう少し、距離を縮めて……)
イリアや東雲さん歩幅に近付けようとしても、上手くいかない。
下手に感覚を縮めたりしたら、リズムが崩れる。
(……幅のある一本橋でも作れたらなぁ……ここに)
ジグザグに設置してみたけど、やっぱり道を歩くのとはわけが違う。
ただでさえ慣れない、台座のような土の足場。
両足を揃えて立ったりしたら、もうほとんどスペースは残ってない。
作っては消して、作っては消しての繰り返し。
足元の黒い波を避けようと思ったら、何かを用意するしかなかった。
イリアは余裕の表情。運動神経のいい小城も多分、大丈夫。
ここに慣れなきゃ、喋ることなんてできないだろうから。
「あんなこと聞くからてっきり飛ぶと思ってたのによー。準備も済ませてたのに」
「悪かったって。訊いたのは念のためだよ、念のため。あそこにあるっていう保証はないんだから」
「他にないならあそこしかなさそーだけどな」
売り場はできる限り見て回った。
お手洗いは見落としてしまっていたけど、それ以外はできるだけ見て回った。
前に、東雲先生に連れて行ってもらったショッピングセンターに比べたらかなり狭い。
俺とイリアの二人で見て回ったから、見落としたなんてことも多分ない。
残ってるのは『関係者以外立ち入り禁止』の区域だけ。
状況が状況だったから、後回しにしていた部分。
先生たちも、もしかしたら向こうから突入しているのかも。
「お喋りをしている場合ではないでしょう。急がないと追い付かれますよ」
「いや、それ味方。敵じゃなくて味方だから。追いつかれても何の問題ないから」
「せ、戦力的には、むしろ合流した方が……」
残念ながら、俺達には東雲先生の居場所を知る手段がない。
さすがにここには着いてるだろうけど、どれだけ待つことになるか分かったものじゃない。
鳥型の怪物なら、この状況でも動ける。
確かめている暇に少しでも奥に進んだ方がいい。
電話をかけたらきっと『動くな』って言われるに違いない。
危険性は承知の上で、それでも止まれと指示するに違いない。
余計な危険に飛び込むよりは、って。
「そんな心配すんなって。こっちには頼れるルーキーがいるんだから」
「まあ、否定はしないけど。自画自賛はほどほどにしておいた方が」
「そこまで自惚れちゃいねーよ。オメーのことだよ」
この先にどんなものがあるのか、俺にも分からなかった。
前に遭遇したこともないし、教えてもらったこともない。
こんな溶岩みたいな姿になるならそれこそ記録に残ってる筈。
安全かつ、確実に。
目的地がはっきりしているからこそ、慎重に。
(間違っても、誰かが怪我なんて――)
「あっ……そこ、左じゃなくて、真っ直ぐ行った方が……」
「……ぇっ?」
……確か、この辺りだったような。
走り回ってるとき、この辺りで扉っぽいものを見たような気がした。
でも実際、正面には何もない。
イリアを見ても、分からない。小城を見ても、分からない。
「あっ、その、どっちでもつけると思うけど……。本当に、本当に少しだけ……」
早いという一点を、東雲さんは頑なに譲らなかった。
この町に長く住んでいる東雲さんが。
俺達の中では誰よりもこの場所に詳しい東雲さんが、譲らなかった。
そういうことなら、直進安定。
「え、あの、戻るの……?」
「こっちの方が早いならそれがいい。……こっちなら、確実に着けるんだし」
なんか、一気に記憶に自信がなくなって来た。
多分、あっちからでも行けた気がする。……おそらく。
「……ほら、やっぱり『頼れるルーキー』は俺じゃないって」
「妙な開き直り方してんじゃねーよ。そんな理由で誰かに押し付けんなよ。重いんだって、その肩書き」
「だったらそもそも人に押し付けるなっての。俺だってほしくないし。こんなもの」
それより今は行かないと。
何を言われようと、足を止める時間だけはどこにもない。
「しっかし天条も変なとこ抜けてるよなー。走り回ったのに間違えるとか」
「アラームかけても寝坊したやつが何を言うか」
「おい待て今それ関係ねーだろ!?」
あるよ。大いにあるよ。
言われたらそりゃ言い返すよ。俺だって。
「……ここまで来てまだ雑談を続けるつもりですか。あなた方は……」
――でも、それもここまで。
「まさか。……そんな余裕、どこにもない」
何故か開き切った扉。
そこに見つけた。確かに見つけた。
その奥から、怪物と同じ黒が流れ出しているのを見た。




