021
「おいおいおい、大丈夫なのかよ、あいつ……!」
桐葉が走り去っていった方に視線を向けつつも、一歩を踏み出すことができなかった。
突如響いた悲鳴の原因が、すぐには分からなかった。
そもそも、突然割り込んできた悲鳴に身体が固まってしまった。
まして、[創世白教]が動き出したなど、考えもしなかった。
そもそも、こんな時間に動き出すことはめったにない。
まして人混みの中にあの怪物を差し向けられるなど、思いもしなかった。
以前、例外としては聞かされていた。
しかしまさか、その例外に自分が直面するとは思っても見なかったのだ。
「大丈夫に決まっているでしょう。中途半端に偏った能力を持っていようと、関係ありませんよ。桐葉には」
「そりゃ、俺達よりは経験あるかもしれねーけど……!」
だというのに、桐葉は躊躇いなく走り出した。
それが教団に呼び出された怪物だということを確信した上で、走り出した。
直前の姿からは想像もつかないほど真剣な表情で、イリアに声をかけて駆け出した。
「それより早くあれらを逃がしますよ。巻き込まれてもいいんですか」
「ぜ、全員……? 警備員さんに言った方が……」
「いつ来るか分からないものを待っても仕方がないでしょう。――始めますよ」
それだけ言うと、イリアは何も言わずに手を掲げた。
「――ここから、立ち去りなさい。今すぐに。巻き込まれますよ」
並のような魔力が彼の中を通り過ぎたのは、その直後のことだった。
「これ、人払いの……」
「えぇ、その通りですよ。一人ひとりに声をかけるより、こうした方が早いでしょう? 叫び回るよりも確実ですから」
「じゃ、じゃあ、私も……」
「あなたはそれより姉に連絡しなさい。……向こうが気付くのを待っていても仕方がありませんから」
「は、はい……っ」
人払いの魔法が徐々に広がっていくのを、小城は肌で感じていた。
今の今まで悲鳴に気を取られていた人々が一人、また一人と去っていく。
誰に声をかけられるでもなく、そうすることが当然であるかのように去っていく。
それは小城にとって、不気味な光景でもあった。
大勢いた買い物客たちが、足を揃えてエスカレーターの方へと向かって行く。
たった一人の例外を除いて、こちらに向かって来ることはない。
「――た、助けて! 怪物が、怪物が……!」
怪物に襲われていた女性以外、誰も。
どうにか逃げ出してきたであろうその人こそが悲鳴の主。
そのことは、小城もすぐに分かった。
「っ……怪物がとだけ言われても分かりませんよ。少し落ち着きなさい」
「ぅっ……?」
最も近くにいた衣璃亜に縋りつこうとした女性は、その衣璃亜によって眠らされた。
それ以上は近付くなと言わんばかりに衣璃亜が手をかざすと、たちまち眠った。
「い、いいのかよ? そんな眠らせたりして」
「何か問題でも? 正当防衛ですよ。いきなり近付こうとするからです」
「逃げてきた相手に容赦ねーなオイ」
「……簡単に言ってくれますね」
服の一部は引き裂かれてしまっているが、大きな傷はない。
躓きそうになりながらも、走るだけの力は残っているらしかった。
「そこまで言うならこれの面倒はあなたが見なさい。……背も一番高いでしょう?」
「いや、いいけど背は関係ね――うぉっ!? 危ねーな!?」
そんな人物に、どうして衣璃亜があんな態度をとったか分からなかった。
目的は、桐葉と同じ筈だと言うのに。
「静かにしなさい。怪我をさせるとでも思いましたか?」
「怪我っつーか、今の渡し方はちょっと危なかったろ……」
衣璃亜がその人物に立ちして、特別嫌悪しているようには思えなかった。
どういう経緯であれ[アライアンス]に属しているのだから、そういう気持ちがないわけではない筈なのだ。
「――ごめん、遅くなった!」
その秘密を他に知るのは桐葉くらいのものだろうとも、感じていた。
「て、天条くん……よかった、無事で……」
見れば、この辺りの買い物客も離れた後。
途中で一瞬感じたイリアの魔力は、やっぱり人払いの魔法だった。
……どうしてさっきの女の人が眠っているのか分からないけど、一安心。
「……一匹だけでしたか」
「今のところは。多分、どこかにまだいるんだろうけど……」
仕留めた後に改めて周りを調べてみたけど、襲ってきた一匹の他には何もいなかった。
「ま、まだいるの……? 他に魔力なんて、感じなかったけど……」
「信徒がいなくても、発生装置を置けばいいんだし。問題はそれがどこにあるかだけど……」
「それを晒け出すほどの間抜けではないでしょうね、確実に」
そういうところではもっと堂々としてくれていいんだけど。
どうせ自分達の行いには自信を持ってるんだから。
あの化け物を見た人達はすぐに逃げただろうけど、このことを知らない人もまだ大勢いる筈。
それでも、さすがにあのまま先へ進むことはできなかった。
「東雲先生とはどう? 繋がった?」
「えぇ、ちょうど聞こうと思っていたところです。……あれは、なんと?」
「あっ、はい……!」
近くに部隊がいてくれたら、それが一番なんだけど。
この時間に出回っている舞台なんてほとんどない。
個人的な用事で一人くらいは近くにいるかもしれないけど、いるとしてもそのくらい。
「えっと、到着まで30分くらいかかるって、言われて……状況が分からないから、できれば、無理せずに皆も避難するように、って……」
東雲先生じゃなくても、そういう対応をとるだろうって思った。
(あの一匹だけなら、それでもよかったんだろうけど……)
まさかこれで終わりとは思えない。
信徒の姿も見当たらないけど、きっとあの化け物はまだどこかに隠れている。
多分、三〇分でもかなり早い方。
今からメンバーをかき集めて、その後で拠点を出ることになるんだから。
でも、それもこれも本当に三〇分以内に個々へ駆けつけられたらの話。
正直、三〇分以内に着くとはとても思えない。
(……やっぱり、大違いだな。色々と)
どんな距離だろうお構いなしにとひとっ飛びするのは、あの人だけで十分。
「……見捨てて逃げろというわけですか」
「言い方。東雲さんのせいじゃないんだから。……できるだけ多くの人を連れて避難しろってことだよ、きっと」
だから、今ここにいるメンバーで、今できることをやっていけばいい。
できるだけ多くの人の安全を確保するのが役目なんだから。
「ど、どうしよう……」
「どうするも何もありませんよ。……そうでしょう?」
「もちろん。――俺とイリアであの化け物をどうにかするから、二人は避難をお願い」
それでも人手不足、まだまだ足りない。
今のこの状況で動こうと思ったら、それ以外に手はない。




