020
「……終わった」
戻って来た少年の姿を見て、全てが上手く言っているのだと確信した。
怪我どころか、呼吸が乱れた様子もない。
もともと変化を顔に出さない性質ではあるが、今回は本当に何もなかったのだろう。
「さすが、早かったね。誰にも見つからなかったかい?」
「……眠らせた」
「……まあ、顔を見られてないならよしとしようか」
訂正。何もかもが計画通りというわけではないらしい。
時計を改めて確認して、むしろ早過ぎたのだと理解した。
本来であれば、定期巡回もやり過ごすことができる筈だった。
([アライアンス]の反応には焦ったけど……この調子じゃ、気付かれてないだろうね。間抜けなもんだよ。まったく)
それが一体誰なのかまでは分からない。
しかし、現時点で4つ。確かに自分達以外の魔力の反応があった。
調査のために訪れたとは思えない。
今回も、それを避けるために準備を進めてきたのだ。
(この前だって、あんなところで見つからなけりゃあ全部上手くいったっていうのに……)
何より、4人の魔力の持ち主の動きが調査にしては妙だった。
まるで遊びに来たように右へ左へ、上へ下へと移動を続けている。
カモフラージュの可能性も、まだ捨てきれそうにない。
4つの反応の内、1つは周りの3つを覆い隠せるほどに大きかった。
同年代でこれほどの差が開くことがあるだろうかと、疑ってしまうほどだった。
感覚だけでは、魔力の持ち主の年齢を判断することなどできない。
ひょっとすると、学生の中にベテランが付き添っているかもしれないのだ。
(もしもの時は人質を取ればいいけど、できれば避けたいね……)
そこに、良心の呵責などというものはない。
不必要に騒ぎを大きくしてしまうと、それだけ大きなリスクを背負うことになる。
ただ、それを嫌っただけのことだった。
(近付こうともしない……魔力だけ育てたやつでもいたのかね……)
種は蒔いた。誰にも気付かれることのない魔力の仕掛けは、じきに動き出す。
もう、引き返す以外に何かをする必要はない。
顛末を報告し、来るべき時を静かに待ち続けるだけでいい。
「んー……んん……?」
だというのに、不思議そうに首を傾げていた。
ショッピングモールを見上げながら腕を組み、考え込んでいた。
「いや、気のせいかなぁ……なんか、店の中が騒ぎになってるんだけど……」
訊ねて、帰ってきた答えについ首を傾げてしまう。
真似をするつもりなど微塵もなかったというのに。
「……なってる。騒ぎに。声が聞こえる」
どこから聞こえて来たのかという疑問は、なかった。
たとえ壁の向こうであっても、三階の声であっても、正確に聞き取ることができるだろう。
今問題視するべきは、そこではない。そんなものはどうでもいい。
「なんでさ。あれはまだ動かすなって言っておいたよね?」
「…………。……手違いか」
「『手違い』じゃないよ! アンタのミスだよ!? 行く前に確認も下じゃないか!」
「……そういうこともある」
「あってたまるか! ……あぁもう、計画がメチャクチャだ……!」
巻き込まれた人達の安全など、欠片も気に留めていなかった。
「っ……!」
叫び声に引き寄せられるように、桐葉は走り出した。
これまでの日々を通じて、その行動は彼の身に沁みついていた。
「イリアはそっち、よろしく……!」
「えぇ、下にでも行かせておきますよ。……あなたも、気を付けて」
「当然っ」
やや歳を重ねたであろう、女の悲鳴。
切羽詰まった叫び声は、次第に言葉とも言えそうにない絶叫へと変わる。
何事かと足を止める人の間をすり抜け、駆け抜ける。
声のした方へ近付くにつれ、彼の方へ人が駆け寄ってくる。
(あいつらは、また……! なんだって、こんなところに!)
同時に、感じていた。忌々しい怪物の気配を、はっきり感じ取っていた。
これまで何度も相対した、黒い身体に紅眼の怪物。
その気配を感じ取れるよう教え込まれた桐葉が、これだけ近付いて間違う筈もない。
――追って、どこかの誰かを押し倒した怪物の姿を捉えた。
「ふんっ、くぬ……っ!」
名前も知らない誰かに馬乗りになったそれの前足を、桐葉は掴んだ。
たとえ自らの握力でそれがつぶれてしまったとしても、関係ない。
押さえつけられたその人から引き剥がすべく、力任せに引っ張り上げた。
遠距離から魔法を当てることは、できなかった。
怪物の頭部が、身体が、押さえつけられている女性に近すぎたからだ。
どれだけ正確にコントロールしても、巻き込みかねない。
怪物を一撃で仕留められるだけの威力を放つのであれば、確実に。
故に桐葉は、怪物との力比べを選んだ。選ばざるを得なかった。
「――っ、はぁ……!」
そうして桐葉は、ほんの数秒の――それでいて、片時も気を抜くことのできない力勝負を制した。
微かに浮かび上がった怪物の身体を、できるだけ遠くへ投げ飛ばした。
買い物客も店員も逃げ去ったブースへと、投げ飛ばした。
(重い。あいつ、他のやつより絶対に重い……。あれ、防御型……?)
道理で引き剥がすのに手間取るわけだと、桐葉は自分の中で結論付けた。
少なく見積もっても、他の犬型の三倍以上の重量。
投げ飛ばすにせよ、引き剥がしたままの体勢で強行したのは失敗だった。
「ひっ……!?」
そして、自身へと向けられる恐怖の表情が、もう一つの失敗を桐葉に悟らせた。
他に方法が思いつけなかったことなど、言い訳にもならない。
得体の知れない怪物を投げ飛ばしたという事実がどのように映ってしまうのか、想像できないわけではない。
「エレベーター!! 向こうのエレベーターの方に、早く!」
「は、はいっ……!?」
――だからこそ、桐葉は叫んだ。
女性の視線が再び怪物に向かうより早く、あえて大声を上げた。
向かうべき方角だけを示し、行かせた。
一度は桐葉に投げ飛ばされた怪物も、当然のようにその背を追おうとしていた。
「《流穿》!」
その頭部を目がけ放ったのは、水の魔法。
細く渦巻き、より貫通力を高めた水の魔法だった。
目の前に割り込んだ異物に、怪物は一瞬だけ足を止めた。
「お前は、こっちだって……のっ!」
――その一瞬は、桐葉にとって十分すぎるものだった。
一気に詰め寄り、今度は胴を掴んで投げ飛ばす。
より人のいない方へ転がる怪物に、そのまま雷の魔法を撃ち込んだ。
(連中……また、変な弄り方しやがって……)
一瞬で投げ飛ばしたおかげで、抵抗はなかった。それでも、決して軽くはない。
犬型に似ているようで、何処かが違う。
肥満体系とも呼べそうな、大型犬サイズのそれを正面に見据えて、桐葉は思わず毒づいた。
(一体どこから入り込んで来たんだ? こいつ……)
疑問は尽きない。
少なくとも、正面から堂々と入ってきたわけではない。
(……いや)
どのような経緯であれ、やるべきことに変わりはない。
「焼き尽くせ――《熱線》!」
一瞬の灼熱が、たちまち怪物を呑み込んだ。




