010
『引っ越してきたの、きっくん達だけじゃなかったんだ?』
美咲が一番最初に食いついたのは、やっぱりそこだった。
「みたい。俺もびっくりしたよ。……初日から盛大に遅れたことも含めて」
『何度も掘り返すんじゃありません。事情があったのかもしれないでしょー』
あるにはある。
寝坊という、これ以上ないくらいどうしようもない理由が。さすがに美咲にそこまでは言ってない。
東雲先生からは『無事に会えたよ』としか教えてもらえなかった。
だから、楽しみでもあった。どんな人なのか。
『それにしても、よく分かったね? その人も他所から来たって』
「先生が言ってたから。さすがにアパートは違うみたいだけど」
『そこまで一緒だったらホラーだから。きっくん、学校の寮じゃないんでしょ?』
「そうだけど、学生向けのところもそんなに多くないじゃん?」
本当、同じアパートなら声をかけに行くこともできたのに。
組織も変なところで融通が聞かないんだから。何もわざわざチームをバラバラにしなくても。
元からこっちに住んでる東雲さんのところはまだ分かるけど。
『でも……そっか、よかった。もう友達できたんだ』
「ん、ありがたいことに。いい人そうでよかったよ」
『いい人だからって、頼りすぎないこと。あんまり迷惑かけないようにね?』
おっしゃることごもっとも。
幼馴染みに心配されるようなことではない気がするけど、美咲だし。
……人のことをなんだと思ってるんだか。
「大丈夫だって。気を付けるから。……というか、そんな心配までするから母親みたいって言われるんじゃ?」
『言ってるのはきっくんだけでしょ。もー、いつも言ってるのに直さないんだから……』
「…………えっ?」
何をおっしゃっているのだろうか。
あれだけ一緒にいるのにまさか、まさかな。
まだ気付いてないなんてそんなこと、あるわけない。前に思いっきり言ってたんだから。
……とりあえず、今は隠しておかないと。
『今の『えっ』は何!? どういう意味!?』
「あっ、いや、別に……気のせいじゃない? 世の中には知らない方が幸せなこともあるっていうし」
『それでも知らなきゃいけないこともあるの! 誰っ、誰が言ったの!?』
そう、気のせい。美咲の気のせい。
今のはちょっとしたアクシデントだったということで、ここは一つ。
「な、なんでもない。本当に何でもないから……。美咲の聞き間違いじゃない?」
『ふぅん…………』
……やっべ。
やらかした。完全にやらかした。
今、明らかに声のトーンが下がった。
『じゃあ、あとで衣璃亜ちゃんに確かめてもいいよね? それとも今すぐ変わってもらう?』
「大変申し訳ございませんでした」
いつぶりだろう。全身から流れる汗が止まらないこの感覚。
故郷を出てからまだ一ヶ月もたってないのにもう懐かしい。
そして、できれば今すぐにでも忘れ去りたい。
『で、誰なの?』
「…………。……黙秘権を行使します」
『認められません』
そう言うと思ったよこんちくしょう。
言うんじゃなかった。あんなこというんじゃなかった。
喋っても、喋らなくてもろくなことにならない。
被害者が変わるだけ。そのくらい分かってたのに。
「そ、それより俺は美咲の話が聞きたいなー。そっちの高校がどうなのか知りたいしなー?」
『うん、そっちは後で聞いてもらうつもり。……だから、その前に教えて?』
優しい声がかえって怖い。
まるで子供に諭すような声。
それなのに、さっきから身体の震えが止まらない。
「今更そこまで追求しなくても、よろしいのではないかと、思いまして……」
『よろしくありません。早く言いなさい』
……ますますパワーアップしていらっしゃる。
こっちに着いたその日の電話は、こうじゃなかった。
これからへの不安みたいなものも、お互いあったと思う。
でもそれは、最初の数日間の話。
いつの間にか、この状況にお互いすっかり慣れてしまった。
「……あ、あー、充電が切れそうになって来たなー」
『さっき、充電したって言ってなかったっけ?』
見える。笑顔の美咲が。その後ろに佇む修羅の姿が。
気分は裁きの瞬間を待つ罪人。
美咲の合図ひとつですぐにでも刑が執行されてしまう。
『私はいいよ? きっくんがどうしてもって言うなら、今日じゃなくても。……時間なら、たっぷりあるんだから』
俺が、美咲に敵う筈がない。いろんな意味で。
「……相変わらずですね。あなたも」
「なっ、何が……!?」
できれば走ってるときに聞くのはやめてほしい。
いくら朝の空気が気持ちよくても、体力が劇的に増えるわけじゃない。
これでも、大真面目にやってるんだから。
「昨日の電話のことですよ。叱られている子供を見ている気分でした」
「いやっ、後半、ちゃんと話したから……っ!」
「そこに至る前の話をしているんですよ?」
「じゃあ、もうちょっと待って……!」
朝一番のランニング。当然、魔法の使用は全面禁止。
緩急をつけたり、坂道をコースに入れたり。
相談して決めたコースだけど、思った以上に体力を削ってくれる。
師匠が決めてくれたルートに身体が慣れていたから、余計に。
朝の風は、やっぱりまだ冷たい。
飛行用の魔法を器用に使いながら付き合ってくれるイリアには、本当に感謝してる。
それでも、とりあえず待ってほしい。今だけは待ってほしい。
行きのゴールまであと少し。走りながら喋るよりも、一度落ち着いてからの方がいい。
上り坂で勢いを落とさないように。逆に、下り坂では勢いをつけすぎないように。
魔法を使おうと思っても、結局は体力が必要になるんだから。
「……やはり、もう少し距離を縮めるべきではありませんか? 他にもまだやるつもりなんでしょう?」
「さすがに、このくらいは走らない、とっ……! 付き合ってもらうイリアには、申し訳ないけど……っ」
「……私に遠慮する必要はありませんよ」
「っ、そう……?」
変に遠慮してるつもりなんてないんだけど。
そんなことをしたら、イリアが余計に責任を感じるだろうし。
「あなたが決めたことなら、何も異論はありません。……無理をしない程度に調整するのは、私の役目ですから」
「それなら、安心――……っ、ふぅ、ふぅ――……」
いつもよりお喋り多めのランニング。
特に疲れたように感じる原因も、きっとそれ。普段と今日の中間が理想の疲労度。
どこかで、何か付け加えた方がいいのかもしれない。
最終的に慣れはしたけど、師匠のランニングコースのバリエーションは良くも悪くも豊富だった。
さすがに、魔法をバラまきながら山を追いかけてもらうことはできないけど。やりたくもない、
「……今日は早めに切り上げるべきではありませんか? 疲れ果てた顔で登校することになりますよ」
「賛成……さすがに、遅刻まではしたくない」
「あれの二番煎じにしかなりませんからね」
転居組同士、仲良くワンツーフィニッシュってか。誰がやるか、そんなこと。
「……今朝ばかりは、残りの内容も全てキャンセルすることになりそうですが」
――目の前で、炎が弾けた。
「っ……!?」
咄嗟に貼った氷の壁に阻まれ弾けた、炎の魔法。
こんなことをするのは、あいつらしかいない。




