第8話 出自
「母が……婆ちゃんの拾い子……?」
その言葉は、カルカの根底を静かに、けれど激しく打ち砕いた。
十五年間、アンダ村で自分を育ててくれた祖母。世界でたった一人の肉親だと信じて疑わなかった人と自分の間に、血の繋がりなど無かったのだ。
すっかりと口を閉ざし、足元を見つめたまま動かなくなったカルカに、ロピアーナは申し訳なさそうに眉をひそめた。
「……すまない。ショックだったろう」
「……」
「けど、勘違いしないでほしいのはね、カルカ。あのヒルミーユが十五年間お前を育て上げたのは……紛れもない事実だってことさ。血の繋がりなんて、あの人には最初から関係なかった。……それは君が一番、身をもって実感しているんじゃないかな」
カルカは膝の上の拳をぎゅっと握りしめた。
脳裏に浮かぶのは、熱を出した夜にずっとおでこを撫でてくれた、カサカサとした温かい手。昔話を読み聞かせてくれた優しい声。
(血が繋がっていようがいまいが……あの人が僕の『婆ちゃん』だ。そこだけは、絶対に変わらない)
胸の奥に渦巻いていた冷たい塊が、すっと溶けていく。カルカは袖で目元を強く拭うと、まっすぐにロピアーナを見つめ返した。
「……大丈夫です、師匠。話を……続けてください」
少年の瞳に宿った芯の強さに、ロピアーナは小さく安堵の息を漏らした。
「……よし、話を続けよう。……私たち三人は、ヒルミーユの下で本当の姉妹のように育った。ゼニカは私と違って圧倒的な才能の持ち主だったよ。……世界に愛されるとは、ああいうのを言うんだろうね」
「母さんが……?」
「ああ。ゼニカには『魔力効率上昇』という生まれ持った『加護』があった。資質も桁外れでね、幼くして風の魔術を極めていたよ。……私には『天詛』なんていう逆の体質があったから、余計に羨ましかったさ」
ロピアーナは大きな革張り椅子の近くに立つと、腕を捲ってみせた。そして「ふんっ!」と声を張り上げて持ち上げようとしたが、椅子はピクリとも動かない。
「これが私の『天詛』さ。筋肉量に関係なく、一定以上の重さの物が持てないんだ。身の回りは全部魔法頼りになって、おかげで運動不足だよ」
苦笑混じりに再び椅子へ腰掛け、ロピアーナは遠い目をした。
「……双子の妹のようなゼニカと、三個年下のレダ。……私たち三人は、バランス良くやってたと思うんだ」
楽しげな思い出を語っていたロピアーナの瞳が、ふっと深い陰りを帯びる。
「だが……今から六十年近く前、『四種族戦争』が起きた。人族、妖精族、龍族、魔族による、土地と生存をかけた決戦だ。当時の記憶は妖精族の術で歴史から消されているが……戦いは凄惨を極めた」
お伽話のような戦争が、自分の知らない過去に起きていたなんて。カルカはゴクリと息をのんだ。
「人族は五十人の少数精鋭で前線を維持していた。私たちも参加したよ。……侵略の意思がない人族にとっては防衛戦だったから、十年以上死者をほとんど出さずに済んでいたんだ」
「『四種族戦争』と言うからには、もっと大きな戦いかと……」
「四つ巴の戦争で、相手の陣地に深く踏み入れない私たちは攻め込まれる機会が少なかった。……それに戦争に参加した五十人全員、冒険者なら皆S級を超える英傑ばかりだったからね」
カルカが真っ先に思い出したのは、ジョウから聞いたS級冒険者「双黒剣」ダルファスのことだった。一人で一国の軍隊に匹敵する実力。それが五十人。それほどの怪物たちが揃って守りに徹していたのなら、前線が維持できていたのも頷けた。
だが、ロピアーナの顔はさらに悲痛に歪んでいく。揺らめく灯火の炎が、彼女の感情に呼応するようにメラメラと大きく揺れた。
「……だが終戦の年、味方の三十四人が死んだ。……その過半数を殺したのは、『三人の魔女』の一人――レダだ」
「え……!? 仲間を、ですか……!?」
「彼女の本意じゃない! ……妖精族に脳を操作されたんだ。必死に抗った結果、レダは精神を壊し、敵も味方も関係なく破壊した。……隙を見せた人族に三種族の牙が一斉に人類に向けられ、世界の均衡が崩れかけた時、ヒルミーユは……」
ロピアーナの拳が、机の上で震えていた。
「レダの魔力の九割を縛り……肉体ごと彼女を『封印』したのさ」
「そんな……! 洗脳を解く方法はなかったんですか……!?」
「探したさ! 死に物狂いで探した!!」
切叫のようなロピアーナの叫びが、静まり返った研究塔に響き渡った。彼女はハッと我に返ると、力無く首を振った。
「すまない……。でもね、見つからなかったんだ。……暴走する妹を前に、ヒルミーユには封印するしか選択肢がなかった。……そしてレダを封印した後、ヒルミーユは皆を無理やり逃がし、一人で戦場に残ったんだよ」
「一人で……!?」
「……戦争を、力ずくで終わらせるためにね」
カルカの胸が、はち切れそうなほど強く脈打つ。
「ヒルミーユは、己の未来の分も含めた『生涯の魔力』を賭して、大大陸そのものを叩き割った。……そうして無理矢理に陸地を引き裂き、戦争を強制終了させたんだ」
「未来の魔力を……全部……」
「そう。だからヒルミーユは魔法が二度と使えなくなった。若さを保つ魔術も使えず、ただの人間として……老いていくしかなかったんだよ」
カルカの目から、ポロポロと大きな涙が溢れ落ちた。
なぜ大魔導師だった祖母が、東の果ての田舎村で病床に伏していたのか。
すべては世界を救い、そして封印して大大陸の中心に置いてきた弟子レダをそばで見守り続けるためだったのだ。
「……じゃあ、母さんは……? 母さんはどうなったんですか!?」
袖で涙をぐっとぬぐい、必死に問いかけるカルカに、ロピアーナは慈しむような眼差しを向けた。
「……ゼニカは元々、戦うための魔法が好きじゃなかった。『三人の魔女』の中で最も才能に溢れていた彼女が宮廷魔術師を継ぐと誰もが思っていたが、彼女はそれを拒んだ」
「それで、師匠が……」
「うん。……晴れて二代目さ」
ロピアーナは静かに言葉を重ねる。ヒルミーユから託された、語り手としての任を全うするために。
「ゼニカは人が好きだった。昔から明るい子で、よく街へ下りてはいろんな人と笑い合っていたよ。……素質を持ちつつもヒルミーユのようになれなかったのは、魔術よりも優先したことがあったからだろうね」
「優先したこと……?」
「ごく人間的な理由さ。……恋ってやつだよ」
「……恋」
「オウム返しするんじゃないよ」
カルカの中でどこか記号のようだった「母親」という存在に、鮮やかな人間味が宿っていく。自分のルーツを知りたい。本当の母親がどんな人だったのか知りたい。その切実な想いが、少年の胸を満たしていく。
「好きな人ができたと語るゼニカは、本当に可愛らしかったよ。……その頃から、ゼニカは王城で暮らすのをやめたんだ」
「では、どこで暮らしていたのですか?」
「さあね……。次に会ったのは十五年前。その頃には、赤ん坊だった君を抱いていた」
自分の出生の核心。カルカの息が自然と深くなる。
「赤ん坊だった僕……? ち、父親は誰だったのですか?」
「それも知らない。……オウムの子かもね」
ロピアーナは少しおどけて見せたが、その表情はすぐに痛々しい陰りに包まれた。
「運命は、彼女を母親のままでいさせてはくれなかった。彼女はヒルミーユに君と指輪を託し、そのまま旅立ったんだ」
「指輪って……」
カルカは背中の鞄に手を伸ばし、銀色に光る指輪を取り出した。母から与えられた、唯一の形見。よく見れば、ロピアーナの右手にも全く同じ装飾の指輪が嵌められていた。
「この指輪は私たち『三人の魔女』へ、ヒルミーユが贈ってくれたものさ。特殊な魔導具らしいけれど、詳しい効果は私も知らない。……ただ、私たちにとって大切な絆だった」
ロピアーナは二人の義妹へ思いを馳せるように、自身の指輪を愛おしそうになぞった。銀の指輪は、散り散りになった三人の繋がりを証明する数少ない形見だった。
「……ゼニカはそれきり帰ってこない。行き先はきっと大大陸だ。その目的も……私には分からないんだよ」
「そんな……。どうして……どうして母さんは、僕を置いていってしまったんですか……」
その問いに、ロピアーナは答えることができなかった。 沈黙が落とす重みに耐えかねたように、カルカの瞳から再びポロポロと涙が溢れ出す。
理由も告げず、自分を置いて姿を消した母親。自分は愛されていたのだろうか。それとも――。
目の前で体を小さく丸めて泣く少年が不憫でたまらなくなり、ロピアーナは静かに立ち上がると、カルカの小さな肩を強く抱きしめた。
「カルカ。……ゼニカはお前を愛していた。……きっと世界のどこかで、お前と会える日を楽しみに待っているはずさ」
「うっ……うああああっ……!」
カルカは声を上げて泣いた。 自分をただの孫として愛し育ててくれた祖母を、自分を残して去っていった顔も知らぬ母を想い、ただただ泣きじゃくった。
自分は何者なのか。どこへ行けば救われるのか。 胸を覆う孤独の暗雲は、容易には晴れてくれなかった。今はただ、アンダ村へ帰りたい。自分を抱きしめてくれた温かな祖母のそばへ戻り、自分は愛されているのだと確かめたかった。
窓の向こう、夜が少しずつ明け始め、研究塔に淡く青白い光が差し込んでくる。
涙を拭い、顔を上げたカルカの青い瞳には、一つの静かな決意が宿っていた。
「カルカ。レルベス国王陛下の言う通り、冒険者を続けなよ。お前なら鍛錬を積めばA級くらいすぐ上がれる。……そうすれば、いつか大大陸へ渡ってゼニカを探す機会も――」
「いえ、師匠。……僕、……アンダ村に帰ろうと思います」
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