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第7話 三人の魔女

 王城研究塔、夜。静まり返った室内を、ぽつんと灯された小さな火が柔らかく照らしていた。


 自身の炎魔術を灯り代わりに、分厚い魔導書をめくっていたロピアーナは、静かに吐息を漏らした。宮廷魔術師という地位に就いて久しいが、彼女の探究心が揺らぐことは一度としてない。


「ふああ……」


 ひとつ欠伸を噛み殺すと、ロピアーナは読んでいた本を本棚へと戻した。


 寸分の狂いもなく綺麗に並べられた本棚は、彼女の真面目な性格をそのまま映し出している。身支度を整え、自室へ戻ろうとしたその時だった。


 研究塔の周囲に展開していた探知魔術が、かすかな波紋を描く。来客だ。その波は、自らの愛弟子であるカルカのものだった。


 扉の前で一瞬ためらうような気配ののち、トントン、と控えめなノック音が響く。


「師匠。夜遅くにすみません」

「いいよ。入っておいで」


 返事をしながらも、ロピアーナの胸の奥はざわついていた。 正直に言えば、彼女にはまだ「心の準備」ができていなかった。あの素朴で真っ直ぐな少年に、残酷で壮大な真実を告げる覚悟が。


 だからこそ、研究室に入ってきたカルカに向け、あらかじめ用意しておいた「時間稼ぎ」の台詞を口にした。


「二年前言ったろう? 『一人前の冒険者』って。登録したばかりの『E級』は見習い扱いだ。……街の掃除でもしておいでよ」


 ロピアーナ自身、この少年をどこか不憫に思っていた。肝心な真実を口にしないまま逝こうとしている師・ヒルミーユ。そして、田舎の羊たちに囲まれて育ったカルカは、世間知らずで人を疑うことを知らず、生い立ちを隠し続ける自分に二年間も健気に師事してくれた。


 一刻も早く真実を伝えてやりたい想いと、それを先引き延ばそうとする罪悪感。加えて、幼いカルカと暮らしていたヒルミーユが何も語らなかったことには、何か深い意図があるのではないかという葛藤が、ロピアーナの心を揺らし続けていた。


(学徒がE級からD級に上がるには、早くても二週間はかかるはずだ……)


 派手な討伐実績を上げにくい「学徒」の依頼は、昇級に向かない。今朝、初任務だと息巻いて城を出ていった少年の背中を見送りながら、ロピアーナは「私に残された猶予はあと二週間か」と、先延ばしにしてきた導火線の火を眺めるような憂鬱さに包まれていたのだ。


 だが――。


「師匠。これを」


 カルカが胸元から取り出し、机の上にそっと置いた金属片を見て、ロピアーナは息をのんだ。


 くすんだ銅ではなく、鈍い光を放つ鉄のプレート。 それは持ち主が正真正銘、『D級冒険者』であることを示していた。


「な、なんで……!? なんでプレート持ってるの!? ……盗んできちゃったの!? だ、ダメじゃないか盗みは!!」


 取り乱したロピアーナの口から、脈絡のない言葉が飛び出す。カルカが盗みなどするはずがないと頭では分かっていても、動揺を抑えきれなかった。


 カルカは苦笑しながら、今日の討伐依頼で起きた出来事――ロポリーズとの出会い、C級フリーカパンサーの撃破、そして昇格の経緯を静かに説明した。


「約束通り、『一人前の冒険者』になりました。……師匠が知っていること、全部話してください」

「ま、待ってくれ。心の準備ってやつが――」

「僕は二年前からできていますよ」

「私のだよ!!」


 真っ直ぐな青い瞳で自分を見つめてくるカルカに、ロピアーナはまたしても亡き友――カルカの母の姿を重ねた。


 カルカはもう、守られるだけの子供ではない。躊躇しようとする弱さを振り払い、ロピアーナは深く深く息を吐き出した。


「……どこから話したものかな。……まずは、私の師匠、ヒルミーユからにしようか」


 ロピアーナは頭の中で記憶の糸を手繰り寄せながら、静かに語り始めた。


「ヒルミーユが歴史の表舞台に初めて登場したのは、二百年以上前だ。……コンフィ王国が建国された年、初代宮廷魔術師に就任している」

「に、二百年前……!?」


 カルカは青い目を丸くして絶句した。ロピアーナが嘘をついているとは微塵も思っていない様子だが、あまりに現実離れした数字だった。


「そこまで驚くことじゃないさ。……太古の治癒魔術を応用して、自身の身体を若く維持していたんだよ。……私だって、似たようなことをしている」


 カルカは思わず、目の前に立つロピアーナの美しい顔をまじまじと見つめ直した。


「……師匠は今年で何歳なのですか?」

「老いた女性ばかりと関わってると、デリカシーまで無くなっちゃうのかい?」

「えっ、どういうことです?」

「……女はね、重ねた年月を隠したい生き物なんだよ。田舎者には難しいかな?」


 ロピアーナの眉間に皺が寄り、周囲の空気が急速に冷え込む。


 カルカの頭にはアンダ村の祖母とリルーが浮かんだ。ふたりとも自分の年齢など気にしていなさそうだったが、目の前の師匠の気圧に押され、「そういうものなのか」と素直に納得した。


「……失礼しました」

「ふん。分かればいいのさ」


 ロピアーナは少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと、灯りの炎をふわりと机の中央へ移動させた。そして本棚の奥から、羊皮紙の古く大きな紙を一枚引き出し、机の上に広げた。


 ゆらゆらと揺れる火の光を頼りに、カルカは目を凝らす。


 それは世界地図だった。だが――カルカが本で知っていた世界の形とは、まるで違っていた。


「カルカ。現在、この世界はいくつかの独立した大陸で形成されている。……だがね、ほんの五十年程前まで、すべての陸地は『ひと繋がりの大大陸』だったんだ」

「大陸が……つながっていた……?」

「うん。……私たちが今いるラーウ大陸は、五十年前の大大陸においては遥か西の果てに位置していた。……それが理由でヒルミーユは『西の魔女』と称えられてきた」


 カルカは息をのんだ。


 机の上に広げられた巨大な大大陸の地図。その西の端の輪郭と、自分が知っているラーウ大陸の形を重ね合わせると、驚くほど完璧に一致した。


 かつてアンダ村を訪れたレルベス国王が、祖母を慈しむように「西の魔女」と呼んだ意味。それが一瞬にして氷解していく。


 自分が生きてきた小さな村も、見上げていた王都の空も、世界全体から見ればほんの欠片に過ぎなかったのだ。


「そしてね、カルカ。ヒルミーユは三人の子供を各地で拾ってきたんだ。後に彼女たちは大大陸で『三人の魔女』と呼ばれるようになる」


 ロピアーナは地図の西の端を指で優しくなぞり、カルカの瞳をまっすぐに見つめた。


「水を統べる、レダ。火を統べる、ロピアーナ。……そしてもう一人、君の母親であり、誰よりも風に愛された、ゼニカ――」

最後までお読みいただきありがとうございました。

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