第6話 初陣
王都の西門を出た乗合馬車の中。ガタゴトと揺れる荷台の上で、ジョウは腰の剣を自慢げに叩いていた。
「へへっ、ついに草拾いや側溝掃除の雑用から脱出だぜ! 『ロポリーズ』の本格的な冒険者としての第一歩ってわけだ!」
「ふふ、ジョウ。さっきから浮かれすぎだよ」
赤茶色の髪をなびかせ、シャンが呆れたように微笑む。巨漢のダルクも頼もしく頷いていた。
「ねえ、ジョウたちって、今までどんな魔物を討伐してきたの?」
カルカの素朴な問いに、ジョウは誇らしげな笑みを浮かべたまま胸を張った。
「討伐なんて初めてに決まってんだろ!」
「……え?」
あまりに堂々とした答えに、カルカは思わず絶句した。
「まあ任せときな! 『マナラット』は体長二十センチくらいのネズミで、E級モンスターだぜ。魔術を使ってくるらしいけど、俺たちなら余裕だって!」
頼もしいんだか危なっかしいんだか分からないリーダーだが、その屈託のない明るさにカルカは少し緊張がほぐれるのを感じていた。
やがて馬車は街道沿いの森の入り口で止まった。
最近、この西側の街道ではマナラットが大量発生し、通過する行商人を脅かしているという。通常は森の奥深くに潜んでいるはずの魔物が、なぜか人里近くにまで溢れ出していた。
森の中に足を踏み入れると、ひんやりとした静寂に包まれる。
カルカは無意識のうちにすっと息を整え、右手に握りしめた牧杖へ魔力を通した。
(――少し、覗いてみよう)
ロピアーナとの修行で身につけた、風を使った周辺の感知。目に見える景色だけでなく、木々を吹き抜ける風の揺らぎ、葉の擦れ違う音、そして生あるものが纏う「気配の乱れ」が、まるで立体図面のようにカルカの脳内に浮かび上がっていく。
(見つけた……『マナラット』の群れだ。……少し、様子がおかしいけれど)
かつてアンダ村で羊を一頭も逃さず管理していたカルカにとって、広い空間の動力を把握することは、骨の髄まで染みついた「習性」だった。
「来るよ! マナラットの気配が三つだ!」
カルカの低い声に、ジョウたちが一瞬にして武器を構える。
茂みをかき分け、赤く光る目を持った巨大なネズミ――マナラットが一匹飛び出してきた。口を開くと、そこから小さな火球が放たれる。
「ダルク、そのまま盾で受けて!」
「――っ!」
カルカの即座の指示に、ダルクが反射的に巨大な盾を滑り込ませる。バチンッと火球が弾けた。
「ジョウ、そいつに攻撃! 踏み込みすぎないで!」
「任せな!」
ジョウの剣が閃き、カルカの指示通りに火球を放った直後のマナラットを一撃で切り伏せる。
「シャン、左の茂みの根元へ『マッドペイント』!」
「えっ、えっ! ま、『マッドペイント』!」
シャンが杖を振ると同時に、茂みから飛び出そうとした二匹のマナラットの足元に泥の粘着液が広がった。二匹は完全に動きを封じられる。
「ジョウ! 右を!」 「もう一撃!」
踏み留まっていたジョウが右のマナラットにとどめを刺す。左のもう一匹には、カルカの牧杖が向けられた。
「『ウィンド・カッター』!」
澄んだ風の刃が走り、あっという間に三匹のマナラットの討伐が完了した。
まさに完璧な連携だった。カルカが空間全体を支配し、未来の動きを予知するかのように指示を飛ばす。
近接のジョウ、大盾のダルク、土魔術のシャン。三人の特性を無駄なく運用することで、ロポリーズの動きには一切の無駄がなくなっていく。
「しゃあ! てかカルカ、お前ほんとに初討伐かよ!?」
「めちゃくちゃ上手くいく……! 指示が正確すぎるよ!」
ジョウとシャンが興奮気味に叫ぶ。カルカも少し得意げだったが、羊の群れの動きを読むことに比べれば、ずっと単純なことだった。
そこから十匹ほどのマナラットをあっという間に狩り集めた時――カルカの肌に、風の強い不協和音が走った。
(……おかしい。マナラットの群れの動き……これ、『襲ってきている』んじゃない。『逃げてきている』んだ)
風を伝って、森の奥から押し寄せる密度の濃い絶望的な気配が伝わってくる。マナラットの大量発生は人里を襲うためではない。森の奥の「何か」から逃げ出した結果だったのだ。
「みんな、狩りをやめて! 今すぐ街道へ退避するよ!」
「えっ、まだいけそうだけど――」
「いいから早く!!」
カルカの切迫した叫びに、三人が息をのんで足を引いた瞬間。
――グギャアアアアアアンッ!!!
森の深部を震わせる凄まじい咆哮とともに、巨大な影が木々をなぎ倒して飛び出してきた。
体長三メートルを超える漆黒の獣。ナイフのように鋭い四本の牙と、空間を押し潰すような凶悪な気配。
「し、C級……『フリーカパンサー』……!?」
ジョウの顔から血の気が引いた。
「フリーカパンサー」ならカルカも知っている。本来なら洞窟の深部に潜む肉食獣の王だ。常に単独で行動し、素早い動きと獰猛な性格で他の追随を許さない危険な魔物。
最悪なことに、後方には怯えて錯乱するマナラットの群れ、前方には巨獣フリーカパンサー。完全な挟み撃ちの形となった。
「嘘だろ……なんでこんなところにC級が……! に、逃げ――」
「逃げられない! 後ろからパニックになったマナラットに突っ込まれます!」
ジョウたちの足が恐怖で竦む中、カルカだけは氷のように冷静な思考を保っていた。
二年間の死線が、カルカの背骨になっている。 『魔術師たる者、迫る死の前でも脳を回せ』――師匠ロピアーナの口癖が脳裏を駆け巡る。
(やるしかない。僕たちの力で。全員で生きて帰るんだ!)
カルカは牧杖を高く掲げ、息を吸い込んだ。
「シャン、僕の風と合わせて泥の壁を作って! マナラットの群れを遮断する!」
「は、はいっ!」
シャンが混乱しながらも魔法を放つと同時に、カルカの牧杖から凄まじい風の渦が巻き起こった。土と風が合わさり、背後のマナラットを遮断する強固な防御壁が完成する。
敵を目の前の「フリーカパンサー」一匹に絞り込み、カルカは相手を凝視した。何かに襲われて混乱している様子だ。襲いかかられる直前まで観察し、弱点を探す。
「ジョウ、ダルク! 正面から受けようとしないで! 相手の右前脚の爪は欠けてる! 左へ旋回しながら意識を逸らして!」
「くそっ、やるしかねえんだな! ダルク、左だ!」
恐怖を気合いでねじ伏せ、ジョウとダルクが巨獣の周囲を死に物狂いで走り回る。
「ダルク! 攻撃が来る、受けて!」
カルカの指示にダルクは無言で頷いた。瞬間、フリーカパンサーが鬱陶しそうに巨大な左爪を振るう。
――バンッ!!
凄まじい重圧とともに、大盾ごとダルクが森の奥へと吹き飛んだ。遥か遠くの木々に激突する鈍い音が響き渡る。
「ダルク……! くそっ! くそおおお!」
ダルクに庇われた格好のジョウが、悲鳴を上げてフリーカパンサーの右足へと斬りつける。
「ジョウ、落ち着いて……! 『ウィンド・カッター』!」
カルカの放った風の刃が右足を捉えた。しかし、頑丈な黒い体毛に阻まれ、深い傷には至らない。
(悲しむのは後だ……! 今倒さないと全員死ぬ!)
仲間を失った焦りを力ずくで押さえ込み、カルカは風を起こして身を躍らせると、後方の土壁の頂上へと着地した。上から俯瞰し、指示を飛ばす。
「シャン! 左足に『マッドペイント』だ!」 「っ……! はい! 『マッドペイント』!」
涙ぐんでいたシャンだったが、指示に従い、正確にバランスを崩したフリーカパンサーの左足へ泥を広げた。前足ふたつを取られ、巨獣の行動が鈍る。
「ジョウ! 死角から叩いて!」
「言われなくてもさぁぁぁっ!」
後方に回り込んだジョウが、ここにいない仲間の分まで死に物狂いで剣を振るう。
カルカはその隙に、限界まで魔力を練り上げた。中級魔法「エア・ランス」。だが、カルカはそれを限界まで練り上げる。
使い古しの牧杖の先を中心に、周囲の空気が極限まで圧縮され、空間そのものがバリバリと歪んでいく。凄まじい魔力の光が杖先に収束し、森の雑音が消えて恐ろしいほどの静寂が広がった。
「これ……ほんとに中級魔法……!?」
眼下のシャンが、恐怖すら混じった目でカルカを見上げる。
巨獣のほんのわずかな隙を、カルカの青い瞳が捉えた。
「――『エア・ランス』!!」
圧縮された不可視の風の槍が、真空の唸りを上げて放たれた。
凄まじい衝撃波が森の木々を揺らす。フリーカパンサーの硬質な毛皮と分厚い筋肉を一瞬で穿ち抜き、その心臓を完膚なきまでに貫通した。
ドサァッ……!!
三メートルの巨体が、地響きを立てて崩れ落ちる。 再び、静寂が森を支配した。
「……はぁ……はぁ……。勝ったぞ……ダルク……」
ジョウが剣を握ったまま、空を見上げて膝をつく。シャンは地面にペタリと腰を抜かしていた。
「……はぁ……なんとか、倒せた。……ダルクは!? ダルクは大丈夫なの!?」
カルカは額の汗を袖で拭うと、激しい後悔と自責に苛まれながら駆け寄った。地面に座り込むシャンの泣き声だけが、重く周囲を包み込む。
――ガサッ、ガサッ。
草木を分けて、こちらへ近づいてくる音が響いた。 フリーカパンサーに集中していたため、風の探知を怠っていた。ロポリーズはとっくに限界を迎えている。
「みんな、構えて……!」
カルカは震える手で牧杖を握り直し、力を絞り出す。ジョウもシャンも死に体で武器を向けた。
ガサッ……。
草木を押し開けて姿を現したのは――ボロボロになった大盾と甲冑を纏った、「ロポリーズ」の盾役、ダルクだった。
「お前……っ!! なんだよ生きてたのかよ!?」
ジョウが咆哮しながら駆け寄る。ダルクはひしゃげた大盾を指差し、身代わりになってくれたのだと示すように、無口に、だが安堵した顔でニッと笑った。
「……よかった。……本当に、よかった……!」
カルカはその場にガクリと膝をついた。安堵から、シャンの泣き声が一段と大きくなる。
「勝ったんだぞ、ダルク!! 俺たちの勝ちだ!!」
巨獣の死体を指さすジョウに、ダルクも声を出さずに深く頷いた。
「よーし! 俺たち……『ロポリーズ』の大勝利だー!!」
ジョウの魂の叫びが、夕暮れの森に響き渡った。
夕刻。王都の冒険者協会本部の受付カウンターに、ボロボロになった「ロポリーズ」の四人が揃っていた。
「――フリーカパンサーの討伐?? ちびっこ、登録二日目で虚偽の申告は俺でも庇えないぞ」
二年前カルカを追い返し、昨日『E級プレート』を手渡したあの男性職員が、困惑した顔で四人を見下ろしている。
そのカウンターの上に、ドンッ!と重い音を立てて「素材」が置かれた。
フリーカパンサーの巨大な黒い毛皮と、鋭く光る四本の巨牙。そして大量のマナラットの毛皮である。
「……え?」
職員の動きが完全に止まった。 目を見開き、素材を見つめ、カルカの顔を見つめ、再び素材を見つめる。
「……えぇぇぇっ!??? ふ、フリーカパンサーの素材ぇええええ!???」
裏返った叫び声が酒場中に響き渡り、周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り返った。
「これ、森で襲ってきたので。マナラットも集めてあります」
「た、倒したって……君たちE級だぞ!? C級の大型種が倒せるわけ――」
「倒せちまったんだからしょうがねえだろ! ちゃんと評価してくれよな!」
食ってかかるジョウに職員は折れ、大慌てで裏手へと確認に走った。
緊急事態におけるC級魔物撃破の功績は即座に認められ、臨時パーティ『ロポリーズ』は、結成初日にして例外中の例外である「D級昇格」を果たしたのだった。
受け取った新しいD級プレートの重みを感じながら、カルカは受付で自分のステータス用紙を開く。
階級変更欄――『学徒』から『魔術師』へ。
(……これでD級冒険者。……『魔術師』になれた……!)
カルカの胸に、熱い思いが込み上げる。 母と祖母の真実を知るための条件が、ついに揃ったのだ。
「今日は奢りで宴会だー!」と騒ぐジョウたちと再会を約束して別れると、カルカは一人、夕闇の迫る王城へと駆け出した。
人生十五年間の答え合わせを受けるような緊張と期待を胸に、少年は師匠ロピアーナの待つ研究塔へと向かうのだった。
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