第5話 E級冒険者
空色のローブを羽織り、右手に使い古しの牧杖を握りしめた少年が一人。二年前、苦い挫折とともに去った大きな木造の扉を見上げていた。
カルカは一度深く息を吸い込むと、勢いよくその扉を押し開けた。
ギィ、と重い音を立てて広がる空間。
酒と汗、そして金属が擦れ合う特有の匂い。あちこちから飛び交う荒々しい怒号や笑い声。周囲を包む熱気は、二年前と何ひとつ変わっていない。
変わったのは、カルカ自身だ。
幼さが残っていた表情はキュッと引き締まり、二年間に及ぶ苛烈な修行によって、身体にはしなやかな筋肉がついていた。
カルカは迷いのない足取りで、まっすぐ受付カウンターへと向かった。
「あの、冒険者の登録をしたいのですが」
「ん?」
書類に目を落としていた男性職員が顔を上げた。
二年前、カルカを「ちびっこ」と呼んで追い返したあの受付職員だ。職員はカルカの顔をじっと見つめ、何かを思い出すように首をひねった。
「あんた……どこかで会ったか?」
「お久しぶりです! 十五歳になりました。冒険者の登録をお願いします!」
胸を張ってハキハキと答えるカルカに、職員は呆気にとられた顔をした。それから「ああ、あの時のちびっこか!」と大声で手を打った。
「まさか本当に二年後にもう一度来るとはな。規律は規律だ。十五歳なら文句なしに登録できるぞ」
職員はどこか嬉しそうに笑いながら、手元の羊皮紙とインクの瓶を引き寄せた。
「じゃあ、手続きを始めるぞ。……まず、名前は?」
「カルカです! アンダ村から来ました」
「カルカ、だな。……しかし、背は大して伸びなかったな?」
十五歳になってもなかなか伸びない身長は、実はカルカの密かな悩みだった。
「……背は、これから伸びる予定です」
「おう……そうか。なんか悪かったな」
気まずそうに咳払いをした職員は、気を取り直してプロの顔に戻った。
「冒険者協会は登録時、最初に『戦士』か『学徒』のどちらかの階級を選ぶことになっている。どっちもE級からの見習いスタートだ」
「『学徒』でお願いします!」
カルカは迷わず即答した。
「学徒か。戦士と違って最初は本読みとか街の雑用ばかりで、あまり金にならないぞ。大丈夫か?」
「はい! 学徒でお願いします!」
カルカはロピアーナから教わっていたのだ。魔術師としての仕事を正式に受けるには、まず「学徒」としてD級に上がり、そこで「魔術師」という階級を選び直す必要があるのだと。
「登録したい冒険者名は…」
そう言ってぱっと目を輝かせたカルカだったが、職員は苦笑しながら手を振った。
「あー、ごめんごめん。それは依頼をこなしてランクを上げないとダメなんだ。C級になったら名乗れるさ」
「なんだ……そうですか」
せっかく考えていたのにと、カルカは少し肩を落としたが、すぐに気持ちを切り替えた。
職員は手慣れた手つきで書類に書き込みを行うと、引き出しから一枚の小さなくすんだ銅のプレートを取り出し、カルカに差し出した。
「これが君の身分証になる『E級プレート』だ。失くすなよ。これで君も、今日から冒険者協会の一員だ」
手渡された冷たい金属の感触に、カルカの胸が熱くなった。 ついに、自分の足で第一歩を踏み出したのだ。
「ありがとうございます!」
「よし、じゃあ仕事はあっちの掲示板から自分で選んで持ってくるんだな」
職員に促され、カルカは壁一面に貼られた無数の依頼書――掲示板へと向かった。
掲示板の周囲は、凄まじい熱気に満ちていた。酒を飲み交わして武勇伝を語る者、次の遠征の段取りを進める者、真剣な顔で依頼書を見比べる者。
「おう! お前もE級か?」
不意に声をかけられ振り返ると、カルカと同じ年頃の三人組が立っていた。
「俺はE級パーティ『ロポリーズ』のリーダー、ジョウだ!」
短い黒髪で爽やかな印象の少年だ。腰には一振りの剣をぶら下げている。
「はじめまして。アンダ村のカルカです」
「アンダ村!? あの羊飼いの!?」
「そうですが……」
グイグイと迫ってくるジョウの勢いに押され、カルカは思わず後ずさった。
「俺たち三人、ロポリ村出身なんだよ!」
「ロポリ村……!」
アンダ村の隣村だ。カルカ自身は行ったことがなかったが、村同士の交流は多い。
同郷のような親近感はあるものの、アンダ村で同年代の友達といえばリルーくらいしかいなかったカルカは、どう接していいかわからずドギマギしてしまう。
「なあ、カルカ! 『ロポリーズ』に入らないか!?」
「え、えぇ!?」
あまりに唐突なスカウトに、カルカの頭は混乱した。
「俺たちさ、前衛二人で後衛一人なんだよ。もう一人後衛が欲しいんだ。…見たところ魔術師志望だろ? 頼む! 後衛になってくれ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
パーティを組むという発想がカルカにはなかった。しかし、一人前の冒険者になるためには、魔物の討伐やダンジョンの攻略は避けて通れない。一人では限界があるのも事実だ。
ジョウは手に持った一枚の依頼書をカルカにかざしてみせた。
「頼むよ! 次の討伐依頼だけでもさ! 『マナラット』一匹で銀貨一枚だ! 悪くないだろ?」
(マナラット……?)
聞き覚えのない魔物の名前に、カルカは一瞬首をかしげた。ロピアーナとの修行で叩き込まれた魔導書に出てくる魔物たちに比べれば、どこか可愛らしい響きに思える。
だが、ジョウたちの表情は真剣そのものだ。
ジョウに押し切られるようにして、カルカは掲示板の「学徒」コーナーへ目を滑らせた。
そこに並んでいたのは――
『薬草の採取:報酬 大銅貨三枚』
『古文書の整理補助:報酬 大銅貨五枚』
『街の側溝の掃除:報酬 大銅貨三枚』
(学徒のままだと、やっぱりこういう仕事しか受けられないんだな……)
思わず苦笑いが漏れた。ロピアーナの下で二年、上級風魔法まで叩き込まれたカルカにとっては、拍子抜けするほど地味な仕事ばかりだ。
だが、パーティを組む利点はここにある。
「学徒」のカルカ単独では討伐依頼を受注できないが、「戦士」であるジョウが受注すれば、パーティメンバーとしてカルカも討伐に参加できるのだ。
修行の過酷さを思い出しつつも、カルカは決断した。効率よくランクを上げたいし、何より同年代の友人を作ってみたいという素直な気持ちもあった。
「……わかりました。一時的になら、入ります。『ロポリーズ』」
「まじか! やったぜ、ありがとう!」
ジョウはパッと顔を輝かせると、後ろの二人を振り返った。
「ようこそ『ロポリーズ』へ! こっちが『学徒』のシャン。でかい方が『戦士』のダルクだ!」
「よろしくね、カルカ!」
赤茶色の髪を揺らし、元気いっぱいに手を振ってくれたのは少女のシャン。もう一人のガタイが良い少年ダルクは無口だったが、ニッと笑って大きな手で力強く握手を交わしてくれた。
「よろしくお願いします!」
こうして『ロポリーズ』の臨時メンバーとなったカルカは、あらためて大きな依頼掲示板を見上げた。
掲示板には「学徒」や「戦士」向けの依頼だけでなく、「魔術師」級や、さらに専門的な「風魔術師」級向けの依頼までずらりと並んでいる。果てなく広がる冒険の世界に、カルカの胸は高鳴った。
一方で、掲示板の最上部――誰も手を伸ばせない特別なスペースには、一枚の羊皮紙がポツンと貼られていた。
『S級指名依頼:双黒剣様宛て』
黒々と力強い文字で書かれたその紙に、周囲の冒険者たちも敬意と恐れが混ざった視線を向けている。
「あれって……」
「あの依頼書か? S級のダルファス様指名だよ」
ジョウが誇らしげに教えてくれた。
「ダルファス? 『双黒剣』っていうのが冒険者名なの?」
「何も知らねえのか! いいか? ダルファス様ってのはコンフィ王国に二人しかいないS級の一人だ。二本の大剣を背負って、いつも一人で戦ってんだよ。その姿から『双黒剣』ってあだ名がついて、そのまま冒険者名になったんだ」
そう語りながら、ジョウは身振り手振りに二本の剣を振り回すジェスチャーをした。受け手役はダルクだ。
「一人で行動してるんだ……」
「仲間がついてこれねえんだよ。一人で一国の軍隊相当の実力だからな、仲間なんていらねえんだろ!」
ジョウが放った見えない剣に貫かれ、苦しむ演技をするダルク。すかさずシャンが「はいはい、回復~」と治癒魔法のフリをする。手慣れたごっこ遊びのようだ。
「ついでに、あっちも見てみろよ」
ジョウが指さした先には、特に凄まじい人だかりができていた。
「団長! 次の『C級討伐依頼』、うちの班で行ってもいいか!?」
「まだだめだ。他班の護衛準備が整ってからにしなさい」
中央で柔らかい笑みを浮かべ、的確に指示を出しているのは、優しげな男性だった。
その周りには、B級からD級までの冒険者が三十人以上も集まり、まるで一つの大きな家族のように活気にあふれている。
「すごい人数だろ。あいつら全員『三本の矢』ってパーティの奴らだ。コンフィ王国唯一のS級パーティで、仕切ってるのが真ん中の『マタヤ』ってデバフと治癒の魔術師さ」
「『マタヤ』って人も有名なの?」
「そりゃそうだろ! あの人がもう一人のS級冒険者だ。集団戦をやらせたら大陸一って噂だぜ!」
(S級冒険者……すごい人たちなんだな)
見上げるような世界の広さに圧倒されつつも、カルカたちはジョウが持っていた「マナラットの討伐」の依頼書を見直した。
カウンターで受注手続きを済ませ、掲示板の前を後にする。
「よし! じゃあ明日の朝、またここで集合な! 寝坊すんなよ、カルカ!」
「うん、わかった!」
ジョウたちと手を振り合って解散した。
王都に来てから修行漬けだったカルカにとって、めまぐるしく変化する激動の一日だった。 カルカは右手の牧杖をキュッと強く握りしめる。
(まずは明日の依頼をしっかり片付けて、一刻も早くD級に上がるんだ。D級になって『魔術師』になれば、一人前の冒険者。……そうしたら、師匠から母さんと婆ちゃんの真実を聞くんだ!)
羊飼いの少年が紡ぐ冒険者としての最初の一歩が、賑やかに、けれど確実に踏み出された。
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