第4話 魔導の系譜
ロピアーナに促され、カルカは恐る恐る王城の中へと足を踏み入れた。
天を突くようにそびえる白亜の塔、磨き抜かれた綺麗な石畳、整然と並ぶ甲冑姿の騎士たち。どこを見渡しても田舎育ちのカルカの常識からはみ出しており、少年は終始口を半開きにしたまま目を丸くしていた。
案内されたのは、王城の最奥部にひっそりと佇む宮廷魔術師の研究塔だった。
重々しい木扉を開けると、そこには天井まで届く本棚、見たこともない怪しげな実験器具、そして妖しく光る綺麗な魔石が所狭しと並んでいた。
「そこに掛けて」
ロピアーナは羽織っていたローブをパサッと脱ぎ捨て、革張りの椅子へ深々と腰掛けた。そして切り揃えられた金髪の隙間から、鋭い赤い瞳をカルカの手元に向ける。
「さて……一応聞いておくんだけどさ。その指輪、どこで手に入れたのかな?」
「祖母からいただきました。王都に行ったら、ロピアーナ様に見せろって」
「祖母……?」
ロピアーナは意外そうに眉をひそめたが、カルカの真っ直ぐな目を見ると、すぐに何かを察したようにクスリと笑った。
「まあいいや。名前は?」
「アンダ村のカルカです!」
「年は?」
冒険者協会での苦い記憶が脳裏をよぎる問いだったが、カルカは胸を張って元気よく答えた。
「一三です!」
その姿に、ロピアーナは一瞬だけ目を見開いた。そして、深く納得したように大きなため息をつく。
「……カルカ。師匠との約束通り、今日から君を私の弟子として迎えるよ」
「えっ……? 婆ちゃ……えっと、祖母と、約束をしてたんですか?」
「ふふ、そうさ。ずっと昔にね。『いつか田舎から少年が、私の銀の指輪を持って訪ねてきたら、お前の持てる全てを叩き込みなさい』――ってね。迷惑な話だよ」
言葉とは裏腹に、ロピアーナはどこか愛おしそうに遠い目をした。
「まさかあの厳格で偏屈な師匠が、田舎で隠居して『おばあちゃん』なんてねぇ……」
「ロピアーナ様! じゃあ、僕の母さんや婆ちゃんのこと……知ってるんですね!? お願いです、教えてください!」
身を乗り出して尋ねるカルカだったが、ロピアーナはあっさりと首を横に振った。
「だめだ。教えないよ」
「えっ……どうしてですか!?」
「そう焦るなよ。知るには君がまだ幼すぎるし、無知すぎる。……師匠と、君の母さんについての話はね、あまりにも突飛なんだよ。今の君に教えても、意味がない」
「そんな……!」
「だから、条件を出そう」
ロピアーナはニッと悪戯っぽく笑うと、カルカの額を指先で小突いた。
「二年後。君が十五歳になって、一人前の冒険者になれた時――その時に、すべてを話してあげる。それまでは私のもとで、修行に励むことだ」
「二年後……冒険者になったら……」
カルカは手に握りしめた冷たい銀の指輪をギュッと見つめた。
冒険者協会で門前払いを食らった悔しさが蘇る。けれど、二年後に十五歳になれば、正真正銘、自分の足で冒険者になれるのだ。
「……わかりました! 僕、頑張ります!」
「よし、いいお返事だ。じゃあ早速、修行を始めようか」
ロピアーナがカルカを連れ出したのは、王国軍の広大な訓練場だった。
カルカが背中の鞄から、レルベス国王に渡された革表紙の古い本を取り出すと、ロピアーナは懐かしそうに目を細めた。
「『戦闘魔術入門』か。随分ボロいね」
「レルベス陛下からいただきました」
「へー、あの陛下がねぇ。……で、中身はちゃんと読んだかい?」
王都に着くまでの道中、カルカは何度も繰り返して本を読み込んでいた。暗唱できるくらいに。
「はい! ほとんど覚えました!」
「いいね。……ただ、正直言って一三歳から魔術を始めるのは、少し遅い方だ。最短ルートで教えていくよ」
「よろしくお願いします!」
「まずは適性魔術の選定だ」
ロピアーナは魔法の理論を分かりやすく説明し始めた。入門書を頭叩き込んでいるカルカにとっては、おさらいに近い内容だった。
「戦闘魔術の五大系統は言えるかな?」
「はい。火、水、雷、風、土の五つです」
「よくできました。……多くの魔術師は生涯で一つか二つの系統を極めていく。ちなみに私の専門は火だ」
ロピアーナが人差し指を立てると、その指先にぽっと小さな火が灯り、生き物のようにゆらゆらと舞った。
「あの、ロピアーナ様!」
「なんだい?」
「どうして魔術師は、専門以外の系統を覚えないんですか?」
「いい質問だね、カルカ君。答えは『費用対効果』が悪いからさ。初級くらいなら君だって全系統を使えるようになる。でもね、初級程度の魔術は戦場じゃ何の役にも立たない。それなら一つの系統を極めた方が、仕事ももらえるし結果的に強くなれるんだよ」
「なるほど……」
「それと、カルカ」
「はい?」
「私のことは『師匠』と呼びなさい」
ロピアーナが得意げな顔をした。少し照れくさそうなカルカだったが、素直に従うことにした。
「はい! 師匠!」
「おお……。うん、いい響きだねぇ」
ロピアーナは心底満足そうに顔を綻ばせた。あまりの悦びぶりにカルカは少し身を引きつつも、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの、師匠。僕は何の系統から始めればいいんでしょうか?」
「そうだね。まずは君の適性を見極めようか。……魔術の適性は、血筋に強く影響する」
「血筋……? じゃあ、僕の母さんと、婆ちゃんはどんな魔法使いだったんですか!?」
ロピアーナは目を細め、懐かしむような顔をした。
「君の母さんは……誰よりも優れた『風』の魔法使いだったよ」
「風……。じゃあ、婆ちゃんは?」
「……師匠は大陸一の魔女さ。弟子の私ですら、あの人の『専門』を知らない。あの人はすべての魔術を、一番高いレベルで繰り出していたからね」
「そんなに凄かったんですか……」
知らない祖母の一面が語られるたび、カルカの胸には小さな不安が広がっていた。
自分の知る優しい祖母と、過去の大魔導師としての祖母。あまりにもかけ離れている。このまま過去を知っていけば、祖母が自分から遠ざけたがっていた世界まで知ってしまうのではないか――。
けれど同時に、会ったことのない母の存在に近づいているような、温かい喜びもあった。
「……僕、風の魔法を使ってみたいです」
なんとなく、風の魔法を覚えた先に、母を感じられる気がしたのだ。
ロピアーナはその答えを聞き、どこか切なそうで、愛おしそうな表情を浮かべた。
「そうか。……そうだよな。……少し待ってて」
ロピアーナが研究塔へ戻り、訓練場に一人残されたカルカは静かに空を見上げた。自分は魔術師として、母や祖母に追いつけるのだろうか。
そう思っていると、すぐにロピアーナが分厚い本を抱えて戻ってきた。
「お待たせ、カルカ。はい、これ」
ドスン、と手渡されたのは三冊の分厚い本だった。
「風魔法の初級、中級、上級の本だよ。まずは半年でこれを覚えてもらう」
「分かりました!」
カルカは元気よく三冊を受け取った。半年でこの量を丸暗記して使えるようにするのがどれほど大変か、今のカルカはまだ分かっていない。
ロピアーナは一歩下がると、一本の蝋燭を取り出して芯に小さな火を灯した。そして三メートルほど離れた位置に立てる。
「そこから風魔術で火を消して。『初級風魔法』の七ページにやり方が書いてある。やってごらん」
「はい!」
本を開くために、手にしていた牧杖を地面に置こうとしたカルカに、ロピアーナが声をかけた。
「その牧杖を使ってみな。ずっと肌身離さず持っていたんだろう? いい『杖』になるよ」
この牧杖は、アンダ村で羊飼いを始めた頃にディルから貰ったものだ。
村にいた頃も、旅の間も、王都に着いてからも、カルカの右手にはずっとこの杖があった。もはや自分の体の一部のような感覚だ。
カルカは左手に本を開き、右手にしっかりと牧杖を構えた。
「カルカ。体の外にある魔力を杖に集めるイメージだ。あとは呪文を唱えればいい」
言われた通り、体の外にある温かい感覚――魔力を杖の先へと集中させていく。
カルカが頭に浮かべたのは、本に書いてある「風の塊を作る」という説明ではなかった。アンダ村の小高い丘で、柔らかい潮風に呼吸を合わせ、牧笛の音を風に乗せて遠くの羊へと届けていた時の――あの温かく繊細な感覚だった。
カルカは静かに呪文を口にする。
「――駆け巡る大気よ、我が命に従え。『ウィンド』」
右手の牧杖の先から、すっと澄んだ風が放たれた。
――ふっ。
三メートル先の蝋燭の火が、音もなく静かに消え去った。
だが、変化はそれだけでは終わらなかった。
カルカが出した風は火を消した後も消えることなく、訓練場全体へと波紋のように広がっていった。
訓練場を囲む大きな木々が一斉にサワサワと葉を鳴らし、カルカとロピアーナの服を、心地よい風が優しく揺らしていく。
「……驚いたよ、カルカ」
それを見ていたロピアーナは、静かに立ち尽くしていた。その赤い瞳が激しい衝撃に揺れている。
宮廷魔術師であるロピアーナだからこそ分かる。
カルカがやったのは、ただ風を起こして火を消したのではない。出させた小さな風に意思を乗せ、訓練場全体の『大気そのもの』と完璧に調和してみせたのだ。
長年魔術を研究してきた者でも中々辿り着けない領域に、この少年は最初の一歩で足を踏み入れている。
(……血は争えないな、ゼニカ)
亡き友の姿を重ね、ロピアーナは息をのんだ。
「あ、あの……師匠? ……どうでしょうか?」
あまりに静まり返ったロピアーナを見て、カルカがおそるおそる声をかける。
ハッと我に返ったロピアーナはカルカの元へ歩み寄ると、その肩をポンと力強く叩いた。
「素晴らしいよ。まずは半年で上級までと言ったけど……撤回する。君ならもっと早く習得できるはずだ。……カルカ、時間はあっという間に過ぎるよ。置いていかれないように鍛錬だ!」
「……! はいっ! よろしくお願いします、師匠!」
カルカは手に握った牧杖と、鞄の中にある指輪の感触を確かめながら、強く深く頷いた。
見知らぬ母の面影を追い、大魔導師だった祖母の背中を夢見て。
かつてアンダ村で羊を追っていた少年は、修行の日々を通して、着実に一人の「魔導士」へと成長を遂げていく。
そして――約束の二年が訪れる。
十五歳を迎えたカルカは、再びあの冒険者協会の扉の前に立っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
面白かった!続きが読みたい!と思っていただけましたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
次回の更新もよろしくお願いいたします!




