第3話 宮廷魔術師ロピアーナ
王都を囲みそびえ立つ白亜の城壁と、その内側にひしめく赤瓦の屋根。
コンフィ王国は、大陸の中では決して大きな国ではない。しかし、城門をくぐった瞬間にカルカを包み込んだのは、肌が痺れるほどの圧倒的な熱気だった。
「さあ買った買った! 王都特製の干し肉だよ!」 「新しく開拓された北の街道から、珍しい果実が入ったよ!」
石畳の大通りには無数の露店が並び、行き交う人々の活気あふれる声が木霊している。道行く誰もが、明るく生き生きとした表情を浮かべていた。
「レルベス陛下が即位されてしばらく経つが、益々暮らしが良くなるな!」
「ああ、産業も盛り上がってるし、街道の魔物も減った。これからこの国はもっと大きくなるぞ!」
あちこちから聞こえてくるのは、国王レルベスへの惜しみない賛辞と、国の未来に対する確かな希望だった。
名君の手腕によって、小国が今まさに生まれ変わろうとしているーー街全体を覆う破竹のエネルギーに圧倒され、田舎育ちのカルカは牧杖を握りしめたまま、おそるおそる人波を縫って歩いた。
(まずは……冒険者協会に行こう)
レルベスに言われた言葉を胸に、通行人に何度も道を尋ねながら目的地を目指す。
(あの角を右、だったな)
次第に体格の良い、男たちの姿が増えてきた。目的地が近づいている実感がある。人と肩がぶつかるたびに「都会は怖いな……」と気後れしながらも、カルカは慎重に足を進めた。
――その時だった。
「泥棒ー! 誰か捕まえてー!」
悲鳴のような叫び声が響き渡り、人混みを強引に押し分けて走ってくる男の姿が目に入った。男の手には、綺麗な革のバッグが握られている。
「どけっ! 邪魔だガキッ!」
正面にいたカルカを突き飛ばそうと、男が荒々しく手を伸ばしてきた。 カルカは咄嗟に身を翻すと、手にしていた牧杖を男の足元へ滑り込ませる。
「うおっ!?」
足をとられた男は激しく石畳に倒れ込んだ。だがすばやく体勢を立て直すと、懐から鋭いナイフを抜き、刃を向けながら立ち上がる。
「このガキ……余計な真似しやがって!」
ナイフの尖端がカルカに迫る。カルカの手に持っているのはただの牧杖のみだ。覚悟を決め、精一杯構えを取った。
――シュッ!
次の瞬間、鋭い破空音とともに、一筋の美しい火花がカルカのすぐ横を通り抜けた。 火花は一直線に男のナイフを撃ち抜き、ブワッと燃え上がった炎が一瞬でナイフを黒い塵へと変えてしまう。
「ひえっ!?」
男が驚きと恐怖に目を丸くした。だが、男が見つめているのはカルカの後方だ。 あまりの緊張と困惑に、カルカは目の前の男から視線を外せない。
そこへ間髪入れずに割って入ったのは、整然と駆けつけた軍の兵士たちだった。ひったくりを働いた男は、そのままあっという間に連行されていく。
「いい足止めだ、少年」
カルカがハッとして振り返ると、そこにいたのは鮮やかな赤いローブを羽織った美しい女性だった。年齢は二十代後半ほどだろうか。肩まで伸びた手入れの行き届いた金髪に、整った顔立ち。そして知性的な赤い瞳が印象的だった。 女性はカルカに近寄ると、悪戯っぽく口元を緩めた。
「怪我はないかい? 羊飼いの少年」
「あ……はい! 助けていただき、ありがとうございます!」
深々とお礼を言うカルカをよそに、女性は落ちていたバッグを拾い上げると、遅れて走ってきた被害者の女性に手渡した。そして、感謝を述べる被害者を笑顔で見送る。
カルカは、目の前で繰り広げられた魔法の圧倒的な美しさが頭から離れなかった。
「い、今のって……魔法、ですか?」
「うん、そうだよ。もしかして、魔法を見るのは初めてかい?」
「はい……!」
「ははっ。それじゃあ、気をつけて帰りなよ」
女性はひらひらと手を振ると、そのまま人混みの奥へと鮮やかに溶け込んでいった。どこか気品と、独特の圧迫感を纏った不思議な人だった。
気を取り直して歩みを進めたカルカは、ついに目的地の大きな建物ーー冒険者協会へと辿り着いた。
重厚な木造の扉を押し開けると、そこは酒と汗、そして金属の匂いが充満する異空間だった。見たこともない巨大な剣を背負った戦士や、精巧な弓を抱えた狩人たちが談笑している。その荒々しい雰囲気に気圧されそうになりながらも、カルカは意を決して受付のカウンターへ向かった。
「あの、すみません。冒険者の登録をしたいのですが」
「ん?」
書類に目を通していた男性職員が顔を上げ、カルカの姿を上から下へとまじまじと見つめた。
「ちびっこ、見ない顔だな。……で、年はいくつだ?」
「えっと……十三です」
思い出しながら答えたカルカに対し、職員は困ったように眉をひそめ、深々とため息をついた。
「ハァ……悪いな、お引き取り願うよ」
「えっ……? どうしてですか?」
「冒険者になれるのは十五歳からだ。知らないのか? どんなに腕に自信があろうと、協会の規律で決まってるんだ。命を扱う仕事なんだよ、十三歳の羊飼いを戦場に送るわけにはいかん」
「そんな……!」
せめて登録だけでも、と食い下がろうとしたが、職員は無情にも「次の方ー」と別の客を呼び始めてしまった。
出鼻を挫かれ、カルカは重い足取りで協会を後にした。冒険者になれば自分のルーツが分かるかもしれないと思っていたのに、最初の一歩すら踏み出せない。
(冒険者がダメなら……ロピアーナ様を探そう)
祖母が言っていた、宮廷魔術師をやっているという弟子。王都にいるということしか分からないが、彼女に会えれば何か分かるはずだ。 カルカは気持ちを切り替え、王城へ向かって伸びる大きな坂道を登り始めた。
高くそびえる城門の前に辿り着くと、そこには威厳ある鎧を身にまとった兵士たちが立っていた。カルカは意を決して案内所の窓口へ声をかける。
「あの! 宮廷魔術師のロピアーナ様にお会いしたいのですが!」
受付の兵士は、カルカの身なりを一瞥すると、少し戸惑ったような顔をした。
「ロピアーナ様? 坊主、宮廷魔術師様は国で最も多忙なお方の一人だぞ。面会の約束はあるのかい?」
「約束はありません……でも、大事なものを持っていて……」
「悪いが、約束がないなら取り次ぐことはできない。次はちゃんと約束をしてから来ることだ。今日は帰りなさい」
門前払いはこれで二度目だ。やはり田舎から出てきた十三歳の少年の言葉など、誰も取り合ってはくれないのだ。 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。カルカは背中の鞄に手を伸ばし、祖母から託されたあの「銀の指輪」を取り出そうとした。
――その時だった。
「また会ったな、少年」
背後から、聞き覚えのある凛とした声が響いた。 振り返ると、そこには先ほどひったくりのナイフを魔法で一瞬にして塵に変えた、あの赤いローブの女性が立っていた。
受付の兵士たちが一斉に背筋を伸ばし、最敬礼を捧げる。
「おかえりなさいませ! ロピアーナ様!」
カルカは驚きのあまり目を見開いた。
(この人が……ロピアーナ様……!?)
女性ーーロピアーナは兵士たちの挨拶を受けると、ゆっくりとカルカへと視線を移した。
そして、カルカの顔と、彼が握りしめていた「銀の指輪」を目にした瞬間、その知性的な赤い瞳が大きく見開かれた。
ロピアーナはカルカに歩み寄ると、膝をついて少年と目線を合わせた。その美しい唇が、楽しそうに、そしてどこか懐かしむように緩む。
「……時間というのは、あっという間に過ぎるものだね」
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