05.厳格なる専属執事の講義
翌朝、朝食の給仕を終えた奏を待っていたのは、魔王城の図書室での王妃教育の時間だった。
図書室といっても、人間界のそれとはわけが違う。天井が見えないほど高くそびえ立つ黒檀の書棚には、魔界の歴史や禁忌の魔術書、果ては異世界の記録までがぎっしりと詰め込まれており、部屋全体が重厚な魔力の気配で満ちていた。
「――よろしいですか、奏様。これより、本日分の講義を始めます」
大きな執務机を挟んで奏の前に立つのは、専属執事兼宰相のマルバスだ。
彼はいつものように、寸分の乱れもない燕尾服をまとい、片目にモノクルを光らせて分厚い革張りの書物を開いた。その背筋は定規で測ったように真っ直ぐで、冷徹なまでの威厳を放っている。けれど、その前に座る奏はといえば、まだどこか気恥ずかしさを捨てきれずにいた。
「あの、マルバスさん。何度も言っている通り、僕はまだ正式な王妃ではないですし、ただの下働きのメイドとして扱っていただいて構わないのですが……」
「却下いたします」
マルバスは、眼鏡の奥の鋭い目を一切和らげることなく、淡々と言い放った。
「貴方様がご自身をどのように定義されようとも、我が主たるアスモデウス様が『王妃候補』として定め、城の全魔物が貴方様を敬っている以上、それは魔界における絶対の事実。なればこそ、貴方様には魔王の伴侶としての最低限の知識と心構えを身につけていただく義務がございます」
「義務、ですか……」
「左様です。魔界における『王妃』とは、単に魔王の側に侍るだけの飾り物ではございません」
マルバスは、書物の古い頁をめくりながら、その低く響く声で奏に語りかけていく。
彼の説明する魔界の歴史、そして歴代の王妃たちの功績は、奏の想像を遥かに超えるものだった。ある者は強大な魔術で魔王の盾となり、ある者は冷徹な外交手腕で異族を統べたという。
語られるのはどれも、圧倒的な力と誇りを持った者たちの物語だ。
「……これらはすべて、絶対的な強さを持った魔族の女性たちの話です。ですが、人間の、それも何の戦闘能力も持たない男である奏様に、私はこれらと同じ戦士としての振る舞いを求めているわけではございません」
「じゃあ、僕に何を……?」
「心構えでございます、奏様。魔王の隣に立つ者としての、揺るぎなき『心得』を学んでいただきたいのです」
マルバスの言葉は丁寧だが、一言一言が重く、奏の胸に突き刺さる。
奏は机の上に置かれた自分の白い手を見つめた。魔王の側にいるにふさわしい人間になるための、王妃の心得。それは、今の自分にとって、あまりにも身の丈に合わない大きな鎧のように思えてならなかった。




