04.鏡の中の自問と、冷めない熱の行方
騒がしくも温かい一日が終わり、魔王城は深い闇の中に沈んでいた。
奏に与えられた寝室は、王妃候補にふさわしい、贅を尽くした広い部屋だ。天蓋付きの大きなベッドに、贅沢な毛皮の絨毯。けれど、その広さが、夜になるとどうしようもない寂しさを際立たせる。
パジャマに着替えた奏は、壁に飾られた等身大の大きな鏡の前に立ち、ぼんやりと自分の姿を見つめていた。
「……はぁ」
小さく、重い溜息が、静まり返った室内にこぼれ落ちる。
城の誰もが、奏を『未来の王妃様』として扱い、敬ってくれる。アスモデウスも、毎日奏を「尊い」「可愛い」と大騒ぎしながら、至れり尽くせりの環境を用意してくれている。
けれど――自分の胸の奥には、どうしても拭い去れない冷たい違和感が居座り続けていた。
奏は、自分の細い指先を動かし、そっと唇に触れてみる。
(あんなに、熱い夜を過ごしたのに……)
それは、ほんの少し前の出来事。奏とアスモデウスが、初めてお互いの感情を爆発させ、身体を重ね合わせた『あの一夜』。
思い出すだけで、耳の裏に火がつくように熱くなる。あの時のアスモデウスの瞳は、いつものオタクとしての狂熱ではなく、一人の男としての、恐ろしいほどの情念と愛に満ちていた。
激しく求められ、壊れ物を扱うように優しく、けれど確かに奏たちはある意味一つになった……はずだった。
だが、それっきりなのだ。
「あれから、もう何日も経つのに……」
あの一夜を境に、二人の関係が何か変わるのかと思っていた。けれど、アスモデウスは翌日から、まるで何事もなかったかのように『元のガチ恋オタク』に戻ってしまった。
毎日、遠くから奏を見ては悶絶し、近づけば鼻血を出しそうな顔で平伏し、奏のグッズを開発してはマルバスに怒られている。
確かに、あの夜、アスモデウスはたくさんの愛を注いでくれた。
何度も何度もキスをして、まるでお気に入りの抱き枕のように、奏の身体を強く抱きしめてくれた。耳元で、鼓膜が震えるほどの低い声で、「お前を愛している」「一生かけて守る」と、深い愛の言葉を囁いてくれた。
それは嘘偽りのない、アスモデウスの本心だったと信じている。
けれど、ただそれだけなのだ。
魔物の皆が噂し、期待しているような『既成事実』――つまり、正式に婚姻を結び、名実ともに夜の営みを共にするような関係には、何一つ至っていない。結婚をしたわけでもなければ、アスモデウスがこれ以上、奏の肌に触れようとしてくる気配もない。
「アスモデウス様にとって、僕は……やっぱり『推し』でしかないのかな?」
鏡に映る自分は、確かに魔王に溺愛されている。けれどそれは、神棚に飾られた偶像への愛と、何が違うのだろう。
一歩踏み込んで、本当の意味でアスモデウスの隣に立ちたい、一人の男として愛されたいと願うのは、自分のワガママなんだろうか。
「身体を重ねたって言っても、ただ抱きしめられて、綺麗な言葉を貰っただけ。……みんなが思っているようなことは、何一つ無いのに」
城の魔物たちが、奏を『王妃様』と呼ぶたび、胸の奥が罪悪感と、形のない虚しさでいっぱいになる。自分は、みんなの期待するような存在になれているのだろうか。アスモデウスの本当の特別になれているのだろうか。
前世でも、ファンは自分の都合のいい『アイドル像』を奏に押し付け、それが壊れた瞬間にゴミのように捨てた。
もし、アスモデウスの愛も、その『偶像への崇拝』と同じなのだとしたら。自分がアイドルではなく、ただの不器用で、寂しがり屋な一人の男だと完全に理解された時、また同じように捨てられるのではないか。
冷たい夜風が、窓の隙間から吹き込み、奏の肩を濡らす。
「ここは本当に……僕の居場所なのかな?」
鏡の中の奏は、何も答えてくれない。
愛され、守られ、満たされているはずなのに、果てしない孤独の海にぽつんと取り残されたような感覚。




