36.崩落する故郷、何もかも
リリアの冷酷な嘲笑がスラムの底に響き渡る中、彼女の神聖の歌が残した余波は、目に見える破壊となって奏たちの故郷を襲い始めた。
完璧すぎる旋律と、魔笛から放たれる呪いの超高周波。それがスラム全体の空間を激しく振動させ、限界を迎えた大気が悲鳴を上げる。バキバキと不気味な亀裂が走り、木切れやトタンを乱雑に組み合わせただけの粗末な小屋が、次々と自重に耐えかねて崩落し始めた。
「きゃあぁぁ! 家が、家が崩れる!」
「逃げろ! 下敷きになるぞ!」
リリアの歌の洗脳から解けかけた住人たちが、今度は生き埋めになる恐怖に狂乱し、逃げ惑う。頭上から降り注ぐ木材の破片や土砂。奏が、奏の足でみんなの輪に入って話し合い、守ろうと決めたはずのこの街が、今、文字通り木っ端微塵に砕け散ろうとしていた。
すべては、奏がここに残って、抵抗しようとしたからだ。奏が王宮の連中に見つかり、魔笛を持ち出させる隙を与えたからだ。壊れていく街を見つめながら、奏の心はすでに、黒い絶望の沼に深く沈み込んでいた。
「アハハハ! 見なさいレオ! この呪われた街が、悪魔の拠点が消え去っていくわ! これぞ神の御意志、私の正義よ!」
めり込んだ地面から這い出て、狂ったように魔笛を吹き続けていたエリカが歓喜の声を上げる。しかし、その歓喜は一瞬で悲鳴へと変わった。
キィーンッと耳をつんざく音を立てて、魔笛がエリカの制御を離れて禍々しい紫色の光を放ち、爆発的な勢いで暴走を始めたのだ。王宮の禁忌の遺物は、奏の声を吸い尽くすだけでは飽き足らず、周囲にあるすべての魔力と生命力を無差別に喰らい尽くす呪いの渦へと変貌していた。
「いやあああ! 手が、手が離れない! 身体が吸い取られるぅぅ!」
エリカの絶叫とともに、魔笛の先端から、空間を狂わせるほどの超高密度の呪力光線が放たれた。その軌道は、泥の中にへたり込み、声を失って動けなくなっている――奏の心臓を、真っ直ぐに捉えていた。
(あ……、死ぬんだ、僕)
避ける気力すら湧かなかった。すべてを失った奏には、その一撃を受け入れることしかできなかった。
だが、その瞬間。
「――奏っ!」
視界が、漆黒の長衣によって激しく遮られた。
肉体が激しく破壊される、悍ましい音が鼓膜を震わせる。
奏の目の前に立ち塞がったのは、姿を隠すことも忘れ、なりふり構わずに飛び込んできたアスモデウスだった。世界最強のはずの魔王が、奏をその大きな身体で完全に抱き込み、背後から迫った暴走する魔笛の直撃を、その背中で、生身で受け止めたのだ。
「が、はっ…………!」
アスモデウスの口から、大量の鮮血が噴き出し、奏のメイド服の胸元を真っ赤に染め上げた。アスモデウスの誇り高き漆黒の角が一本、根元からへし折れて泥の中に転がる。背中の強靭な翼は引き裂かれ、そこから溢れ出る大量の血が、ドロドロとしたスラムの泥を赤黒く浸食していく。
「アスモデウス……様……?」
嘘だ。世界最強の、何万人もの軍勢を容易く捻り潰せる魔王が、どうしてこんなスラムの底で、ボロボロになって倒れそうになっているんだ。




