↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/44

34.絶対なる「神聖の歌」、届かぬ声

 これっぽっちも、勝てる気がしなかった。

 セイレーンのリリアが大きくその翼を広げ、ゆっくりと宙へ浮き上がった瞬間、世界のすべてが彼女の支配下に置かれたような、圧倒的な錯覚に囚われた。


「人間どもに媚び、愛玩物として飼い慣らされた小鳥よ。本物の『歌』がどのようなものか、その魂に刻むがいいわ」


 リリアの琥珀色の瞳が怪しく光る。エリカの吹く歌殺しの魔笛の禍々しい旋律を吸い込みながら、彼女はその美しい唇を開いた。


「――ア、アーーーー……」


 その瞬間、脳髄を直接揺さぶるような、凄まじい衝撃がスラム街を駆け抜けた。

 それは、奏がこれまで聴いてきたどんな音楽とも違っていた。天から降り注ぐ光の粒子のように神聖で、同時に、聴く者の心を強引にねじ伏せるような、絶対的な強制力を持った旋律。

 リリアの歌声は、魔笛の呪いと融合し、物理的な波動となって大気を震わせる。スラムのどんよりとした灰色の雲が割れ、まるで彼女を祝福するかのように、一筋の美しい後光が差し込んできた。

 神聖でありながら、底知れない恐怖を内包した「神聖の歌」。そのあまりにも完璧で、一切の迷いのない美しさに、奏はただ息を呑み、その場に立ちすくむことしかできなかった。

 恐ろしいのは、その歌声がもたらした「効果」だった。


「ああ……、なんて、なんて美しい歌声なんだ……」


 さっきまで奏の周りに集まり、王宮への怒りを燃やしていたスラムの住人たちの目が、一瞬にして虚ろに濁っていく。

 レイルが、そして小さな子供たちが、まるで魂を吸い取られたかのように、ふらふらとリリアへと歩き出し、泥の中に跪いた。彼らの顔からは一切の感情が消え失せ、ただリリアの歌声に陶酔し、彼女を神のように崇める奴隷のそれへと変わっていく。


「みんな! 聴いちゃダメだ! 目を覚まして!」


 奏は必死に叫んだ。みんなの正気を取り戻すために、奏も自分の歌を届けようと、喉に力を込める。


「――っ、~~~っ!」


 だけど、奏の歌声は、リリアの圧倒的な旋律の渦にかき消され、スラムの住人たちには一音たりとも届かない。それどころか、魔笛の呪いが奏の声を拒絶するように喉を締め付け、紡いだはずのメロディが霧のように霧散していく。

 みんなの視線は、泥にまみれた奏を完全に通り越し、宙で輝くリリアだけへと向けられていた。かつて奏の歌に涙し、笑顔をくれたスラムの家族たちが、今は奏の存在すら忘れたかのように、別の歌姫に心酔している。

 奏の居場所が、奏の繋いできた絆が、彼女の歌声一つによって、いとも簡単に塗り替えられ、奪われていく。届かない奏の声は、ただの哀れな雑音として、冷たい風にかき消されるだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。