31.檻を壊す優しさ
地中にめり込んだ二人を見下ろし、アスモデウスは依然として冷酷な目を崩さないまま、城中に響き渡るような傲然たる声で宣言した。
「全人類に告ぐ! 奏は、我が魔王城の神聖なる王妃だ! この者を傷つける者は、国家であれ神であれ、この俺が文字通り世界ごと叩き潰してやると思え!」
その圧倒的な『王妃宣言』。
奏を自分のものだと世界に誇示し、守り抜くという、アスモデウスの最大級の愛の形。
だけど、このままアスモデウスが怒りに任せて王宮の軍勢まで皆殺しにしてしまえば、それはただの残虐な魔王の虐殺として歴史に残ってしまう。それでは、奏がみんなを守るためにここへ来た意味が、アスモデウスと一緒に歩もうとした未来が、血で汚れてしまう。
「――アスモデウス様! もう、これ以上はやめて!」
奏は痛む頬を押さえながら立ち上がり、クレーターの縁に立つアスモデウスの背中に向かって、必死に叫んだ。
アスモデウスの身体が、ビクリと跳ねる。
ゆっくりと振り返ったアスモデウスの瞳には、まだ怒りの炎が残っていたけれど、奏の姿を見た瞬間に、それは急激に小さくなっていった。
「奏……。だが、この者たちはお前を――」
「分かっています! 僕のために怒ってくれたのは、すごく嬉しい。だけど、これ以上やったら、あなたが本当の『悪者』になっちゃう!」
奏は泥まみれのまま、アスモデウスへと近づき、アスモデウスの漆黒の長衣の裾をぎゅっと握りしめた。腫れ上がった奏の頬を見て、アスモデウスの瞳に痛烈な後悔と悲しみが広がるのが分かる。
「僕は、あなたに暴君になってほしいわけじゃない。僕たちの正義を、王宮の連中と同じような『暴力』で上書きしちゃ駄目なんです。この人たちはもう、戦う力を失っている。だから……もう終わりにしてください、魔王様」
奏はアスモデウスを見上げて、静かに、けれど毅然とした目で諭した。アスモデウスを『魔王様』と呼んだのは、一人のファンとしてではなく、この世界の理不尽を止めるための、絶対的な王としての決断を促すためだった。
アスモデウスは、奏の真っ直ぐな瞳の光と、奏の頬の傷を交互に見つめ、やがて深く、深く溜息をついた。アスモデウスの身体から、世界を押しつぶさんばかりの凶悪な殺気が、すうっと消えていく。
「……お前がそう言うのであれば、従おう。我が愛しの王妃よ」
アスモデウスはいつもの、少し困ったような、けれど奏の言葉なら何でも受け入れるという優しい顔に戻り、奏の頭をそっと撫でた。
魔王の暴走を止めたのは、強力な魔術でも、神の武器でもない。泥にまみれながらも、自分の足で立ち、大切な人の心を諭した、奏の言葉だった。




