22.檻を破る手
住人たちの哀れみの視線、そしてアスモデウスの、状況を顧みない独善的なエスコート。
その二つの間で、奏の胸の中で燻っていた感情が、ついに限界を迎えて爆発した。
(――もう、たくさんだ!)
「……アスモデウス様。離してください!」
「ん? どうした、奏。やはりこの場所の空気が身体に――」
「離して、と言っているんです!」
奏は強い口調で遮ると、奏の腰を抱いていたアスモデウスの大きな手を、自らの手で力任せに振り払った。
アスモデウスが驚いたように目を見開く。だが、奏は構わずに、アスモデウスが奏の足元に敷き詰めていた紫色の魔力の絨毯をわざと踏み外し、冷たくて、ドロドロに汚れたスラムの泥の大地へと、自分の足で力強く飛び降りた。
高級な靴が泥に汚れ、メイド服の裾に茶色いシミが広がる。だけど、その瞬間に奏が感じたのは、言葉にできないほどの強烈な「自由」の感覚だった。
「奏!? 何をする、足が汚れるではないか!」
「汚れたって構いません! 僕は、あなたの飾り物じゃない!」
アスモデウスに向かって一喝すると、アスモデウスは推しに叱られたショックと混乱で、その場に固まった。
奏はアスモデウスに背を向け、怯えて遠巻きに奏たちを見ていたスラムの住人たちの元へと、大股で歩み寄った。そして、腰を抜かして泥の中に座り込んでいた、かつての顔見知りの老人の前に、自ら泥の中に膝をついて視線を合わせた。
「みんな、聞いて! 僕は魔王の操り人形なんかじゃない! 僕は、自分自身の意志で、みんなを助けるためにここへ戻ってきたんだ!」
奏が自ら泥にまみれ、必死に語りかける姿を見て、住人たちの間に激しい動揺が走る。
「奏……本当に、自分の意志なのか……?」
「そうだよ! この人は、魔王アスモデウス様は、僕を傷つけたりしない。僕の歌を大切にしてくれて、僕のために一緒に戦ってくれるって言ってくれたんだ。だから、みんな、怖がらないで。王宮の軍勢がここに迫っているんでしょう? 状況を教えて。今のスラムがどうなっているのか、みんなで話し合おう!」
奏の瞳に宿る、かつてと変わらない――いや、かつて以上の、優しくて力強い歌姫としての光。そして、自ら泥の輪の中に飛び込んできた奏の行動が、住人たちの誤解を、少しずつ、だけど確実に溶かしていく。
背後では、アスモデウスが奏の泥にまみれた泥臭い覚悟と凛とした美しさに、再び限界を迎えたように「尊い……泥にまみれる奏、あまりにも神聖すぎる……」と、胸を押さえて悶絶し始めていたけれど、今の奏はそれを無視した。
奏はついに、美しい鳥籠の檻を完全に突き破り、自分の足でスラムの民の輪へと飛び込んだ。今度こそ、誰の道具でもない、奏自身の戦いが、この泥塗れの大地から始まろうとしていた。




