18.王妃の責務、そして同行の誓い
長い沈黙が、玉座の間を支配した。
アスモデウスは深く、深く溜息をつくと、ゆっくりと奏との距離を詰め、その大きな手で奏の涙をそっと拭った。その手は、驚くほど優しく、そして微かに震えていた。
「……俺の負けだ、奏。俺が間違っていた」
「アスモデウス様……」
「お前は、ただ守られるだけの存在などではない。お前のその瞳……かつて何万人もの人間を魅了したという、本物の『歌姫』の光だ。それを俺の身勝手な恐怖で曇らせるなど、ファンとして、いや、魔王としてあってはならない不覚であった」
アスモデウスはフッと自嘲気味に微笑むと、再び魔王としての威厳に満ちた表情へと戻った。だが、その目はもう、奏を閉じ込める檻のそれではない。奏の決意を後押しする、力強い味方の目だった。
「よかろう、人間界への行還を許可する。ただし――これは単なる『スラムへの帰省』ではない。魔王城の王妃候補として、我が民となるやもしれぬ弱き者どもを救い、魔王の慈悲と威光を世界に示すための王妃としての公務である。なればこそ、マルバス!」
「はっ、ここに」
いつの間にか影から現れていたマルバスが、音もなく頭を下げた。
「奏様を『王妃候補としての責務の遂行』という名目でお送りする。異論はないな?」
「御意にございます。民を照らす鏡としての最初の試練、これ以上の大義名分はございません」
「うむ。……だが、奏」
アスモデウスは再び奏の方を向き、悪戯っぽく、けれど絶対に譲らないという強い目を向けた。
「お前がどれほど強い覚悟を持とうとも、人間界が危険な戦場であることに変わりはない。何の戦闘能力も持たぬお前を、一人で行かせるほど俺は物分かりのいい男ではないぞ」
「えっ、じゃあ……」
「当然、俺も同行する。魔王自らが王妃の『筆頭護衛』として、お前の戦いを一番近くで支えてやる。お前が歌うというのなら、世界で一番安全な舞台にするのが、俺の役割だからな」
その言葉を聞いた瞬間、奏の胸の中に、これまでにない温かい、そして心強い感情が爆発するように広がっていった。
アスモデウスは、奏を鳥籠から出してくれた。それだけでなく、一緒にその外の世界へと飛び出してくれると言ってくれたんだ。
「……はい! ありがとうございます、アスモデウス様!」
奏は泣き笑いのような顔で、アスモデウスに向かって最高の笑顔を返した。
美しい鳥籠の扉は、今、完全に開かれた。
かつて奏を捨てたあの冷酷な王宮の連中に、そして勇者レオと聖女エリカに、本当の歌姫の輝きを、そして奏の後ろに控える世界最強のファンの恐ろしさを思い知らせてやる。
奏はアスモデウスの手をしっかりと握り返し、大切な仲間たちが待つ、あの始まりの場所へと向かって、力強く歩み出すのだった。




