奏弥寺芳乃という生徒
出会ってまだ2日目。というか24時間経っていないな?
「剛君―!」
明るく大きな声が教室に響いたのは、昼休み中だった。
「奏弥寺ちゃん!やっほー!」
「あ、香遠くんもいたんだ、やっほー」
「すごい棒読みじゃん!ひどいなー!」
奏弥寺の登場にクラスメイトがざわついている。さすが有名人で人気者、といったところなんだろうか。
1-4の生徒の注目を集めている当の本人は、そのことに気が付いていないのか、それともスルーを決め込んでいるのか、それを気にする様子はない。
「剛君、持ってきてくれた?」
「……ああ」
バッグからビニール袋を取り出す。コインランドリーの独特の洗剤の匂いがふわりと漂う。奏弥寺に渡すために、親に見つからないように気を付けながらコソコソと準備をしたものだ。俺は一体何をやっていたんだろう。
「本当に頼んでいいのか?」
「もちろん!というか、私がやりたいの」
「……急いではないから、普通に。普通に仕上げてくれ。頼む」
よくわからない奏弥寺のことだ。しないとは思うが、俺の名前の刺繍を入れたり、変なワッペンを付けたりしないとも限らない。だから、一応念押ししておく。
「え、やだな~。ちゃんと元通りな感じで頑張るよ!待っててね!」
「……ああ」
少し疑う気持ちを持ちつつ、袋を奏弥寺に渡す。奏弥寺にはそれを、大事そうに両手で受け取った。
「おい、剛希」
「ん?」
その様子を見ていた、俺の前の席に座っている日向が耳打ちをしてきた。
「あれ、話してた制服のズボン?」
「ああ」
「くー!!羨ましい!」
そう言うと日向は椅子から立ち上がった。突然の行動に、思わず日向の動向に視線を取られる。
「奏弥寺ちゃん、オレ、今からこのズボンを破くから!オレのもついでに直してくれないかな⁉」
「え。意味わかんないから嫌だ」
にっこりと良い笑顔を浮かべた奏弥寺が、間髪入れずに拒否をする。日向の言葉に動じる様子を一瞬も見せない、完璧な早さだった。
まぁ、そりゃあ意味わからないよな。全然わかる要素がない。幼馴染で日向とは長い付き合いの俺でも、何を言っているのか全然分からない。
「くっ!」
日向は信じられないほど悔しそうな表情になって、静かに椅子に座った。
こいつは一体何にショックを受けているんだ。
「お前、ちょっとやばいぞ」
「何言ってんだ。お前の方がやばいことを自覚しろ。相手はあの奏弥寺ちゃんだぞ?奏弥寺ちゃんが自分のためだけに一生懸命縫ってくれるなんて、そんなん…羨ましいに決まってるだろ」
ちょっと、何を言っているか分からない。
ため息をつきながら日向から視線を外す。さっきから注がれている視線が気になって教室内を見れば、ちらちらとこちらを見ているクラスメイトが目に入った。
心なしか、男子生徒は鬼か人間かを問わず、ちょっと嬉しそうな顔をしている気がする。
自分で言うのもなんだけど、俺みたいな世間知らずならまだしも、この学園の生徒である鬼たちは『奏弥寺』という存在を理解しているはずだ。それなのに、どこか憧れの視線を向けているのは不思議に思う。みんながみんな、日向みたいに女好きなわけではないだろうに。
「それじゃあ剛君、ありがとう!あと、昨日は色々とごめんね。絶対ちゃんと直して持ってくるから!それ以外でも遊びに来るね!」
「…ああ」
奏弥寺が俺に手を振ってから、教室の扉の方を向いた。前の席から日向の視線を感じる。視線を向ければ「どうすんの?」とでも言いたげな顔をした日向と目が合う。俺は日向に向けて頷いたあと、立ち上がって奏弥寺に近付いた。
「奏弥寺」
「うん?」
俺の声に反応した奏弥寺が足を止めて振り返る。
ただ、反応したのが奏弥寺だけじゃないことは、教室内の雰囲気で分かった。
「どうしたの、剛君」
「あのさ」
クラスメイトに聞こえないように、奏弥寺との距離を詰めて、できるだけ小さな声を出す。
「今日じゃなくてもいいから、時間をもらえないか?話したいことがある」
「え!作る!時間なくても今日作るよ!」
「声がでかい!」
せっかくの小声が台無しだ。
教室がザワザワと騒がしくなる。
「ご、ごめんね!だって嬉しくて…」
「嬉しい…?」
「え?だって…」
奏弥寺が俺の制服の袖を引っ張る。奏弥寺を見れば、俺の制服を引っ張っているのとは反対の右手で、小さく手招きをしていた。もう十分近い距離を仕方なくさらに詰める。
「告白の返事…じゃないの?」
コソコソと耳打ちをされる。と、ほとんど同時に教室から悲鳴のような叫び声がいくつか聞こえた。
しまった。色んなことに対して選択を間違ってしまった。
奏弥寺を勘違いさせたこと。勘違いさせるような言い方をしてしまったこと。目立ちたくないと思っているくせに、目立つようなことをしてしまったこと。
最悪だ。
「ち…がう」
「なーんだ!でもいいよ。剛君のお誘いなら喜んで!今日は委員会の当番じゃないし、あっちの方も大丈夫そうだし…。ホームルームが終わったら迎えに来るね」
「いや、俺がそっちに行くよ」
奏弥寺がこのクラスに来るとなれば、それまで残っていそうな奴が何人かいる気がする。今も注がれている視線の中に、特に熱心なのがいくつか混ざっているのを感じるから。
「えー!嬉しい!えへへ。じゃあまた放課後ね、剛君」
そう言うと、奏弥寺はスキップをしながら教室を出て行った。
「はあ…」
大きくため息をつく。
教室の中を、クラスメイトの様子を見ることができない。見なくても分かるほどに、みんなの視線が刺さってくる。
その視線の居心地の悪さを感じながら、視線を避けるように下を向いて自分の席に戻って椅子に座る。
「1人で大丈夫か?」
多分、このクラスで唯一俺を好奇の目で見ていない日向の声が、下を向く俺の上から降ってきた。
「あ、ああ。とりあえず…。よく考えれば、日向は部活があるだろ?さすがに部活をさぼれなんて言えないし」
「まあ、剛希のためなら1回くらいさぼってもいいんだけど。…それに、あの奏弥寺ちゃんの嬉しそうな顔を見たらさ、逆に邪魔しに行きたくなっちゃったわけよ」
「は?」
真剣な口調から、どんどんいつもの日向のふざけた軽い口調に変わっていく。
「だって、奏弥寺ちゃんにあんなに嬉しそうに笑ってもらえるなんて悔しいだろ⁉」
「って言われてもな…」
たしかに、奏弥寺の容姿が整っているというのは分かる。というか、見れば見るほど、周りに騒がれる容姿だということを実感してしまう。
だけど、昨日会ったばかりの人間だ。しかも、巻き込まれて散々な目にあった。だから俺には、そんな簡単に好意を持てるほどの評価はできない。
「でもさ、剛希くん。このクラスのみんなの視線からも感じるだろう?奏弥寺ちゃんの人気の高さを」
「ああ…。それはもう、痛いほどに」
4月1日。初登校の日。運よくなのか、何かの計らいなのかは分からないが、日向と同じクラスになった俺は、とにかくこのクラスで目立った。編入初日にもかかわらず、明らかに目立つ存在の日向と普通に話していたからだ。その時もクラスメイトから「あの編入生は何者だ?」という視線を痛い程浴びた。
今はそれ以上に、鋭い視線を浴び続けている気がする。
「あの容姿に加えて気さくで明るい性格。そんで実は頭まで良くて、定期試験の学年順位は常にトップ3以内。奏弥寺という由緒正しき一族の子だから、敷居がめちゃめちゃ高いけど、みんなお近づきになりたくて仕方がない子なんだよ!」
「そんな力説されても…。てかお前、よくそんな相手に定期イベントみたいに告白してたな」
「当たってみなきゃわからないだろ?それに、この学園に何人の生徒がいると思ってるんだ?告白くらいしないと、そもそも存在を認識してもらえない可能性だってあるんだからな⁉」
そんなにも必死になるものなのか。俺にはさっぱりわからない。
ただ、分かったことは、奏弥寺と関わるのは色々な意味で気を付けないといけないということだ。
春ですね。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、毎日眠たいです。




