隠された鬼化
鈍い音に嫌な予感がした。
頭を少しだけ動かして音のした方を見れば、ドアの鍵に奏弥寺の手が伸びているのが見えた。どうやら俺を挟んだまま、ドアの鍵を閉めたらしい。
「…帰るんじゃないのか?」
「そうだけど、その前に一つ、ちゃんと確認しておかなきゃいけないことがあって」
「確認?」
嫌な予感がする。
奏弥寺の喋り口調は今までと変わらない、明るくて少し気が抜ける声色のまま。だけど、その纏う雰囲気は違う。さっきあの3人を捕まえていた時のような、ひりついた雰囲気。
「私は剛君のことを疑ってるわけじゃない。それは絶対だし、信じてほしい。だけどね、私にも奏弥寺の人間っていう立場があってさ。間違った報告とかしちゃうと結構良くないんだ」
それは事実だろう。それに、無責任な報告をする奴らに取り締まられるというのは納得ができない。それが自分じゃなくて、悪事を働いた鬼だったとしてもだ。
「…それで?」
「ここで鬼になってほしいの。ここなら私以外誰も見ていないし、私の許可付きで鬼化するんだから校則違反にもならない」
奏弥寺の許可。それは風紀委員としてのものなのか、それとも奏弥寺という家を指すのかはわからなかった。
「この場所自体は、許可されている場所じゃないだろう。それを奏弥寺の許可でどうにかなるのか。それに…」
部屋に入った時から目に入っていた、天井に取り付けられているカメラのようなものを指さす。
「ここにもセンサーがある。俺が鬼化すれば、すぐに警報が鳴って他の風紀委員や教師たちがここに飛んでくるんじゃないか?奏弥寺が許可をすると言っても、警報が鳴るなら学園内のパニックは避けられないと思うが」
学園内の至る所に、鬼が鬼化することを感知するセンサーが取りつけられている。廊下、教室、大講堂、中庭。本当に至る所に。
俺には分からないけど、鬼化の際に発せられる何かがあるらしい。このセンサーはそれを感知して、学園中に警報を響かせるという説明を受けた。
学園内で鬼化を許可されていると言えばまだマシに聞こえるが、実際には“センサーが取りつけられていない場所”という方が正しいんだと思う。
「それはそう。だからここのセンサーは切っておいたよ」
「いつの間に」
気が付かなかった。ただ、ロッカーから荷物を取り出しているだけだと思っていたのに。
「風紀委員ですから」
そもそも、そんな簡単に切れるものなのだろうか。それに、この場で。こういう機械は普通、管制室みたいなところで管理しているイメージだけど。
「…どうして俺が、奏弥寺の言葉を信じると思う?」
わざわざ奏弥寺がそんなことをする理由は分からないが、今の話が全て罠の可能性もある。そもそもここには俺たち2人しかいない。
奏弥寺が許可を出すと言っても、それを聞いているのが俺しかいない時点で、安心材料にはならない。警報を聞いてここに来た人に「いきなり鬼化した」なんて言われてしまえばそれまでだ。
「信じてくれない?」
「今日会ったばかりなのに、そう簡単に信じる方が難しいと思うが」
「それもそうか~…」
奏弥寺が顎に手を当てて、何かを考えているように下を向く。
今がチャンスだ。
奏弥寺の動きに注意しつつ、なるべくゆっくり、そして静かに手を後ろに回した。さっき見た鍵の位置を思い浮かべながら手を動かす。
走って逃げる。俺にはその選択しかないと思った。奏弥寺の話が罠でも、そうじゃなくても、鬼化しなければいいだけの話だ。それに、そもそも、俺は鬼化したくない。
「剛君」
奏弥寺の声に動きを止める。
やばい、気付かれたか。
「どうしたら信じてくれるかな?私、本当にわからなくて」
奏弥寺がセンサーを指さす。
「私は鬼と人間の区別がつくって言ったけど、それはあのセンサーと同じなんだ。私の方がより敏感に感知することが出来るんだけど、理屈は同じ。鬼が持つ独特の霊力を感じることができるの」
「霊力?」
ずっと鬼ばかりの社会で生きてきたけど、そんな言葉は聞いたことがない。
「そう。鬼化するとその霊力が一気に増大するから、このセンサーはそれを感知して警報を鳴らす。だけど鬼たちは、鬼化していない状態でも常に微量の霊力を纏っている。私はその微量の霊力を感知できるから、鬼と人間の区別ができるってだけの話なんだけど」
さらっと言ってのける奏弥寺。だけどその内容は、そんなに簡単に話していい内容ではない気がする。
「剛君からは感じないんだよね。霊力」
「……っ!」
刺さる。俺の触れてほしくないところに。グサグサと深く刺さってくる。
俺が他の鬼と違う。そんなのは、俺自身が痛い程知っている。奏弥寺が俺から霊力を感知できない理由も思いあたることがある。あってしまう。
そこには絶対触れられたくないのに。
「だから、確認だけさせてもらいたいなって——。あ!」
後ろ手に鍵を開けて勢いよく部屋を飛び出す。
逃げる道なんて考えている暇はない。とにかく、奏弥寺の視界を切りつつ走って距離を取るしかない。
「ぐぁっ!」
突然、身体が止まった。走っているのに、身体が前に進まない。
どうして——。
そう思った瞬間、一気に身体が後ろに引かれた。俺の意志とは全く関係なく、さっき走ってきた道を後ろ向きに移動する。その勢いに抗えないまま、視線を下に向ければ、俺の腹部と両足首にあの半透明の糸のようなものが見えた。
「ちっ!」
奏弥寺だ。奏弥寺があの3人を捕まえた時と同じように力を使っている。
自由な両手を使って、自分の身体から糸を外そうと引っ張ってみる。だけど、どれだけ力を入れて引っ張っても、糸は弛みもしない。
俺の抵抗も虚しく、身体はどんどん後ろに引かれ続ける。そして、周りの景色が廊下から室内に変わったと思ったら、目の前で扉が閉まった。それと同時に後ろに引かれる力が弱まる。バランスを崩す身体を支えることが出来ず、倒れ込むように床に腰をついた。
「も~、逃げないでよ剛君。話の途中だよ」
声がした方を見上げれば、困ったように眉を下げている奏弥寺が俺を見下ろしていた。
困っているのは俺の方だ。
「この状況を見れば、逃げて正解だったと思うけどな」
「逃げたから、こんな状況になってるんだよ。剛君が逃げなきゃ、こんな捕まえるようなことしなかったもん」
「はあ……」
圧倒的な力の差を見せつけられて、知らないうちにため息がもれる。もう、何かを言い返すのもバカバカしい。何をどうやっても奏弥寺には勝てない。今、手で掴んでいる糸がそれを証明している。
あの時は見ていただけだったから、ただの不思議な力だとしか思っていなかった。だけど、自分で体験してみて分かった。一度これに捕まるとどうにもできない。今、俺が鬼化して、全力でこの糸をちぎろうとしても、結果が変わらないのは分かり切っている。
「剛君」
奏弥寺が俺の前にしゃがんで顔を覗き込んできた。
「ごめんね。私だってこんなことしたくなかったんだけど、剛君が突然走って行っちゃたから、思わず…」
思わず、でこんなことができるのか。たった一瞬で、俺の腹部と足をぐるぐる巻きにできるほどの糸を出して、その強度もあり得ないのに。
「…ほどいてくれ」
「もう逃げないって約束してくれる?」
「……」
逃げ出したい気持ちはもちろんまだある。だけど、それ以上に、逃げても意味ないことも、逃げない方が話が早く終わることも分かってしまった。
「ああ」
「じゃあ、それ、消すね」
そう言って奏弥寺は親指と人差し指、中指で何かを摘まむような形を作って、それを軽く引いた。するとすぐに、俺の身体に巻き付いていた糸は跡形もなく消えた。
ゆっくりと立ち上がって、糸が巻き付いていた場所を触る。
あんなに身動きがとれないほど糸が巻き付いていたのに、腹部や足に痛みはない。
「…鬼化すれば、すぐに帰してもらえるのか」
「もちろん。それを確認したいだけだから」
「…条件がある」
まるで交渉のように言ってみたけど、そんな立場にいないのは重々承知だ。これは、そう。最後の悪あがきみたいなもの。この条件を奏弥寺が飲んでくれるかどうかに関わらず、俺は鬼化しないと解放してもらえないのだから。
「見ないでほしいんだ。鬼化している姿を」
「わかった。後ろ向いてればいい?」
「いいのか?」
あまりにあっさりとした返事に驚いてしまう。
「うん。だって、鬼化した時に霊力を感知出来ればそれで十分だから。もちろん本心としては、剛君が鬼化して、角が生えた姿もかっこいいだろうなーって思うし、見たい気持ちもあるんだけどね」
「別に、角が生えても顔は変わらないぞ」
「雰囲気だよ、雰囲気!まあでも、剛君が鬼化したくないっていうのは十分わかったし、分かったうえでお願いしてるから、見るのは我慢する」
そう言うと、奏弥寺は立ち上がって俺に背中を向けた。
「悪い。それだけじゃだめだ」
部屋の中には、姿見がある。それ以外にも、反射して俺の姿が見えてしまいそうなものがいくつも。
俺の言葉を聞いた奏弥寺が振り向いた。少し、頬を膨らませて。
「仕方ないな~。これでいい?」
奏弥寺は自分が身につけているリボンをほどくと、それを自分の目に巻き付けた。
奏弥寺が俺の言葉を受けて配慮してくれたのは分かる。だけど、奏弥寺の目を覆っているリボンは生地が薄すぎる。
俺は自分のネクタイをほどいて、奏弥寺の背中に近付いた。
「悪いけど、これも」
リボンの上からネクタイを重ねて巻く。ネクタイの方が生地が厚い。それに、なにより、もし透けて見えてしまったとしても、奏弥寺の視界は全て黒みがかって見えるだろう。そうなら、なにも問題ない。
「わ~!なんかいけないことしてる気分」
「…何をバカな。——今からするんだよ。いけないことを」
編入して3日。校則を破る気なんてなかったのに、こんなに早々に破らなければいけなくなるなんて、思ってもいなかった。
今回は例外だ。だって『奏弥寺』が許可しているんだから。
そう何度も自分に言い聞かせる。
「じゃあ、鬼化するぞ」
「はーい」
緊張感のない声が聞こえた。気の抜けるその声が、今は少しありがたい。
息を大きく吸って、拳を強く握る。
鬼化はイメージだ。自分が強くなるイメージ。力を解放するイメージ。そうすれば、すぐに——。
「これで、なんで……?」
奏弥寺が小さく何かを呟いている。だけど、今の俺にそんなことを気にしている余裕はなかった。
姿見に写った自分の姿を見て、身体の動きも思考も停止した。
やっぱり。やっぱりダメなんだ。
いつもそうだ。ダメだという気持ちを持っているくせに、心の奥では期待している。
今度鬼化すれば、変わっているかもしれない。みんなと一緒になれているかもしれない。
そんな希望は、今回も綺麗に打ち砕かれた。
自分の角に触る。ゴツゴツとしていて固い。実在している俺の角。それ自体に問題はない。問題なのはその色。
姿見を見る。俺の頭に生えている角は、真っ黒だ。
通常であれば鬼の角は、遅くとも13歳までに、黒から他の色に変色する。赤、青、緑、黄。それぞれの鬼の個性と能力を表す色だ。
俺は、今年で16歳になるにも関わらず、いまだに黒のままだ。
——未熟者の、黒色のままなんだ。
ここまで!
次のエピソードからは、新しく書いた分になります!




