ミランダちゃん
王妃様とのお茶会を無事に乗り切った私は、夕焼けが美しい王都の街並みを眺めながらクラッセン公爵邸へと戻ってきた。
アルフレイド様は私のことを心配し過ぎてわざわざ前庭まで迎えにきてくださっていて、グランディナさんに「これくらいで動じないでください」と叱られていた。
私としては心配をかけて申し訳ないなという気持ちと、自分の帰りを待っていてくれる人がいる喜びが半々で……というより嬉しくてにやけちゃうくらいに幸せを感じていた。
あれから五日。
まだ覚えきれていない礼儀作法や社交界のルール、生誕祭の流れなどをダナンさんから学び、ダンスレッスンなどもしているうちにどんどん時間は過ぎていく。
「おはようございます、リネット様。お疲れは出ていませんか?」
早朝、ベッドの上でぼんやりしていたらマイラとルイザが私を起こしに来てくれた。
「こちら、レモンピール入りのお水です」
半袖の制服を着たルイザがそう言ってグラスを差し出す。
「おはよう。二人も朝早くからありがとう。私はとても元気よ」
「それはよかったです」
マイラが微笑む。
お水をごくりと飲むと、すっきりしていておいしかった。
息をついたらキエナの姿がないことに気づく。
「あら?キエナは?」
私が尋ねればルイザが少し申し訳なさげに答える。
「実は──少し体調がよくないみたいで」
「えっ、それは心配だわ」
「いえいえ、王都の気候に慣れていないだけですから数日休めば回復します」
ルイザによれば、クラッセン公爵領で育った使用人は寒さには強いけれど暑さに弱い。特にキエナは初めて王都に来たので気温の変化に体が耐えきれなかったらしい。
「王都は暑くて……!私はもう5度目ですから慣れてきました」
ルイザは元気そうだけれど、いつも通りのマイラと違ってやっぱり困った顔をしている。
私とマイラにとっては過ごしやすい気候なのに、雪国育ちの使用人にはつらいんだろうな。
「あとでキエナに冷たいお菓子を持っていってくれる?ルイザも無理しないでね?」
「ありがとうございます」
私はベッドから出て、マイラの選んでくれた空色のドレスに袖を通す。
衣装もこちらの気温に合わせて薄くて軽い生地のドレスだった。
ルイザによって髪を梳かれている間、マイラが手帳を見ながら今日の予定を読み上げてくれる。
「本日は朝食後に邸内の見学を行い、他家のご令嬢方からのお手紙に目を通していただきます。その後はアルフレイド様と昼食をとり、生誕祭に向けてのダンスレッスン、お衣装合わせ、メイクや装飾品も決めていただきます」
「わぁ……けっこう詰まってるのね」
とてもカーマイン伯爵家に行く時間はない。
アルフレイド様に帰らないでほしいと言われなくても、私はずっとこの邸にいただろうな。
よかった、忙しくて!
顔くらい見せに帰らなきゃいけないのかな……とか悩む必要なんてまったくなかったわ。
「今日もとてもお美しいです!」
マイラが満足げに微笑む。
「毎日お手入れしてると、肌も髪も指先もこんなに艶が出るのね……!」
手鏡を見て、嫁ぐ前とはまるで違う自分の状態にびっくりした。
おいしいごはんと丁寧なスキンケア、そして快適な部屋での安眠……アルフレイド様がくれる安心も大きい。
「結婚って幸せ」
感動する私にマイラとルイザが温かい目を向けてくれていた。
公爵夫人としての支度がばっちり終わると、私は運ばれてきた朝食をささっと食べてすぐに部屋を出る。
「おはようございます」
「おはよう。グランディナさん」
部屋の前に立っていた騎士服のグランディナさんと一緒に、まずは一階へと降りた。
邸内は広すぎて、まだ全部を見て回れていない。
食堂から自分の部屋に戻るのも迷うくらいだ。
「イールデンの砦ほどじゃないとはいえ、ここも相当広いわね」
「貴族のタウンハウスでは最大の広さです」
「さすがは公爵邸」
グランディナさんが私とマイラの前を歩き、案内してくれる。
「こちら、正面玄関からズバーーンと奥へ進みますと、ドーンと鉄の扉がありますのでこれを開ければ庭園に出ます。有事の際にはここからシュバッと逃げてください!」
「はい!」
私は勢いよく返事をする。
──ギィ……。
「どうぞ!」
グランディナさんは片手で軽々と扉を開くが、私はこれをまず開けられるかなと不安になる大きさだった。
裏口を通れば、すぐに広い庭園に出る。
ここは3つある庭園のうち北側にある薔薇園で、風に乗って甘い香りがしていた。
空にはすでに太陽が輝いていて、お散歩日和である。
薔薇園を横目に歩いていくと、レンガ造りの大きな真四角の建物が見えた。
「あれは厩舎場と騎士の訓練場です。その奥は騎士寮で、さらにまっすぐ行けば裏門が──」
グランディナさんが遠くに何かを見つけ、途中で言葉が途切れる。私とマイラもその方向に目線を向ければ、丸い塊のようなふわふわした生き物がいて土埃が上がっていた。
「近づいてきますね?」
マイラが呟く。
確かに、だんだんとそれが近づいてくるのだと私にもわかった。
え?何だろう?
土埃からして相当に速いこともわかる。
「あれは……?」
薄茶色のふわふわした──猫!?
でも馬より大きいんですが!?
私とマイラは信じられないものを見て目を丸くする。
「猫に乗った騎士!?」
グランディナさんはあれが何かわかっているようで、隣で「あー」と納得した様子だった。
瞬く間に私の前までやってきた巨大な猫は、ザザザッと大きな音を立てて止まる。
「ニャー!」
「「っ!」」
私とマイラはびくりと肩を揺らす。
あまりにも勢いがありすぎて、このまま曳かれるかと思った……。
それと同時に猫の上から男性の声が聞こえてくる。
「おお!お久しぶりでございます!」
猫に跨っていたのはクラッセン公爵家の騎士服を纏った男性だった。
その顔には見覚えがある。
「あなたは……前騎士団長のカイル様ですか?」
砦に飾ってある歴代団長の肖像画で見た凛々しい姿は健在。カイル様は引退した後、東の森でひっそりと暮らしていると聞いていた。
「覚えていてくださって光栄です!」
颯爽と猫から飛び下りたカイル様は明るくそう言って笑う。
「怖がらせてしまったようで、失礼しました」
「ニャー」
カイル様が猫を撫でれば、猫らしくゴロゴロと喉を鳴らした。
かわいい。大きいけれどとてもかわいい。
思わず夢中で見つめていたけれど、私ははっと気づいて挨拶をする。
「アルフレイド様の妻、リネットです。こちらこそ驚いてすみません、私ったら世間知らずで……猫に乗った騎士様がおられるとは知らず」
「リネット様、これは『世間』ではないです」
グランディナさんに言われ、それもそうかと納得する。
どうやら猫騎士様はほかにはいないらしい。
グランディナさんも猫に手を伸ばせば、「撫でて」と言いたげな目で頭を出してきた。
人懐っこい猫だった。
「えーっと」
本当に猫なの?戸惑っているとカイル様が答えてくれる。
「こいつは魔物と猫のミックス種なんです。3年前、東の森で干し肉を作っていたらふらりと現れましてね……三日三晩の死闘の末、友情が芽生えて今は相棒です」
「そうなんですね!!」
優秀な騎士は動物とも仲良くなれるって英雄譚に書いてあったのは本当だったのね!
ちょっと情報が多くて頭がいっぱいだけれど、カイル様と猫ちゃんが相棒だというのはわかった。
マイラは「魔物?猫?攻撃されても無事だったんですか…?」と顔を引き攣らせている。
「ニャニャ」
猫が撫でて欲しそうにこちらを見ている!
私はおそるおそる手を伸ばした。
「柔らかい」
ふわふわで毛並みがよく、何だかいい香りもする。とても魔物とは思えない。
マイラは心配そうな目で私を見ていたけれど、危険な雰囲気はまったくない。
「名前はミランダです」
「ミランダちゃん!とてもかわいいです!」
思わず首元に抱き着くと、ミランダちゃんは満足げにゴロゴロと喉を鳴らした。
「ところでカイル様、どうして王都へ?伝令係もいるのに自らいらっしゃるなんて…」
グランディナさんが尋ねる。
カイル様が答えるより先に、背後からアルフレイド様の声がして私たちは一斉に振り返った。
「リネット!」
「アルフレイド様!」
訓練場から邸内へ戻る途中にここへ寄ったみたいで、アルフレイド様は騎士服に帯剣というお姿だった。
盛装も素敵だけれど、騎士服も最高に似合う!
アルフレイド様がかっこよすぎて心臓が大きく跳ねた。
「お、おはようございます」
「おはよう。──どうしてカイルとミランダが」
アルフレイド様が真剣な顔で尋ねる。
私がミランダちゃんから手を離すと、アルフレイド様はスッと私たちの間に体を入れてまるで壁のように立ちはだかる。
もしかして私が咬まれると心配している?
アルフレイド様は優しかった。
「お久しぶりです。アルフレイド様」
カイル様はアルフレイド様を見ると少し声のトーンを落として挨拶をする。
「実は至急ご報告したいことがありまして……」
「!」
アルフレイド様やグランディナさんの空気が一瞬で変わり、何か大事な話があるのだと私にもわかる。
私は黙ったまま、不安げなマイラと顔を見合わせた。




