暗号(?)の答え
静かな城内に靴音が響く。
その音からは少々の苛立ちが漏れだしていて、すれ違う使用人たちは慌てて頭を下げて彼が通り過ぎるのを待つ。
「レックス侯爵様、お待ちしておりました」
王妃の世話係は恭しくそう言うと、奥の部屋へと案内した。
「急なお呼び出しで驚きました。一体何事ですか?」
侯爵は、表向き心配している口調で尋ねる。
それに対し、世話係は表情を変えず「王妃様のご命令です」とだけ答えた。
(こちらは王都に着いたばかりというのに今すぐ会いに来いとは、迷惑な女だ)
王都のタウンハウスに到着するのとほぼ同じタイミングで、王妃からの手紙を持った使者が現れた。そこには「至急伝えたいことがある」と書かれていて、さすがに無視はできないとすぐに駆け付けたものの、笑顔の裏では腹立たしく思っていた。
部屋に入ると、王妃は贅を尽くした革張りの椅子に座ることなく立ったまま大きな地図を広げて険しい顔をしているのが見える。
「ようやく来ましたか」
「はい、王妃様におきましては大変ごきげん麗しく……はないようですね。何かお悩みが?」
「……座って頂戴」
25年前、政略結婚で隣国コルネルリアから嫁いできた王女。
城という最も高貴な檻で育ったクラウディアは、何も知らない憐れな娘だった。
愛されたいという欲が枯れることはなく、けれどそれは決して叶わない。
王妃の怒りの矛先がアルフレイドに向いたのは、レックス侯爵にとって幸運だった。
(アルフレイドさえ亡き者にできればクラッセン公爵領が手に入る。我が侯爵家の悲願のために、今はまだこの女の機嫌を取っておかなければ)
世話係が下がり、二人きりになった部屋で王妃と向かい合って席につく。
腰を下ろすなり王妃はテーブルの上に地図を広げて言った。
「今すぐ作戦を中止なさい。あなたの動きはアルフレイドに伝わっているわ」
「──そんなまさか」
レックス侯爵の顔から笑みが消える。
一体何を言い出すのかと戸惑いながらも、ははっと笑いが漏れた。
「ありえません。だってこれから生誕祭が始まるんですよ?領地戦が起きるなど誰が予想しますか?」
国王陛下の生誕祭は国を挙げての祝典だ。
未だかつてそのタイミングで戦が起きたことはない。
「臣下として誠に不本意ではありますが、今……我が領とクラッセン公爵領との境界にある森には、多くの魔物が出現しています。それらはアルフレイドが意図的にこちらに押し付けようとした魔物です」
悲しげに眉尻を下げるレックス侯爵。
自分たちは仕方なく応戦するんだという姿勢を示した。
「調査によるとクラッセン公爵領では密造酒が製造されていて、その工程で出た果実の搾りかすに雪くらげという魔物が集まっています。そしてその雪くらげを食らう魔物もまた集まってきているのです」
(東の森で密売人が捕まったのは予定外だったが、彼らから私にたどり着くことはできない。奇襲を仕掛け、領地戦に勝利すればアルフレイドにすべての罪を被せられる)
「このままでは我が領に甚大な被害が発生します。それを防ぐための領地戦ですから今さら中止にはできません」
アルフレイドは国王の招待に応じて王都にいる。
クラッセン公爵領の兵がどれほど強くても、当主不在のときに急襲されれば思うように戦えないとレックス侯爵は考えていた。
「侯爵の主張はわかりました。けれど、今はいけません。アルフレイドはすべてお見通しで罠を仕掛けています」
「そんなばかな…」
「これを見なさい」
王妃が地図の北側を指し示す。
レックス侯爵も視線を落とすと、そこはクラッセン公爵領を示していた。
「さきほど有益な情報を得ました。竜には三つ目の翼がある、と!」
「竜?公爵領の地形ですか?」
「そうよ!」
クラッセン公爵領は、その形が翼を広げた竜のようだといわれているのは有名な話である。
王妃は東の森のそばを差しながら語気を強めた。
「三枚目の翼──つまり、あなたが攻め込もうとしている渓谷に兵が隠れているのです!」
「そんな!!」
レックス侯爵は思わず右手で口元を押さえる。
半信半疑ではあるものの、もしそれが本当なら隙をつくどころか返り討ちに遭うことになってしまう。
「クラッセン公爵領の騎士は領地北側とイールデンに集中しているはず……」
東の森に近い渓谷からなら、アルフレイドに気づかれずに侵入できると思っていた。
とはいえすぐには信じられない。まだ疑っている侯爵に対し、王妃は冷たい声で告げた。
「公爵家内部からの情報よ」
「内部からの」
(王妃が公爵家に間諜を送り込んでいたのか!?あの家の使用人はこの私でも買収できなかったのに)
扇を広げ、早く決断しろと王妃の目が迫っている。
本当にこの情報を信じていいのか、レックス侯爵は迷っていた。
(生誕祭は大きなチャンスだが、負けるとわかっていて戦を仕掛けることはできない。だが、この機を逃すのはあまりに惜しい……!)
横たわる重苦しい空気。
なかなか決断しない侯爵を見て、王妃はふっとあざけるように笑う。
「負ければすべて水の泡……私の助言を無視して事を進めれば後悔するでしょうね」
「!」
レックス侯爵は苦い顔で地図を睨んでいたが、しばらくしてため息をついた。
「はぁ……仕方がない。時期を改めようと思います」
「それがいいわ」
(こちらにはまだカーマイン伯爵家というカードもある。焦りは禁物だ)
レックス侯爵はスッと立ち上がり、王妃に一礼する。
「領地へ連絡しますのでこれにて失礼を」
王妃は無言で頷く。
これまで愚かな女だとばかにしてきた相手に優位に立たれるのは癪に障るが、今は従うほかなかった。
(それもこれもアルフレイドのせいだ……!)
うまくいかない苛立ちで拳をぐっと強く握りながら、侯爵はどうにか余裕のあるふりをして部屋を出た。
一方その頃、リネットを乗せた馬車は公爵邸に到着し、今か今かと待ち構えていたアルフレイドはほっとした表情を浮かべていた。
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