しばらく平穏は続くみたいです
窓の外には、お庭で丸くなって目を閉じる巨大な猫が見える。
ミランダちゃんはクラッセン公爵領から走ってきてお疲れの様子で、メイドたちから丁寧にブラッシングされるうちに眠ってしまった。
ミランダちゃんがお昼寝している間、私たちは1階にあるティーサロンに集まりカイル様からの報告を聞くことになった。
テーブルの上には軽食やワインが並んでいるけれど、誰もそれに手を付けていない。
「あの、私がいてもよろしいのですか?」
アルフレイド様、ダナンさん、カイル様、グランディナさんといった顔ぶれの中に私がいるのはちょっとおかしい気がして、隣に座るアルフレイド様にこっそりと尋ねた。
ちなみにマイラは「リネット様のご予定を調整してきます」と言って仕事に戻ったのでここにはいない。
どう見ても私だけが浮いている。けれどアルフレイド様は私がここにいることを許してくれた。
「リネットにも聞いてほしい」
「わかりました…」
アルフレイド様は、カイル様からどんな報告があるのかわかっているみたいだ。
ダナンさんもグランディナさんも同じくいつも通り落ち着いた顔つきだった。
みんなの目線がカイル様に注がれる中、彼はグラスの水を一気に飲み干してから話し始める。
「アルフレイド様が王都へ向かった後、私はご命令通り東の森で騎士たちと共に待機していました」
東の森は、以前アルフレイド様が視察へ向かった地だ。
カイル様が管理人として住んでいる場所でもある。
「また魔物が?」
カイル様が騎士団と待機してたってことはまた何か起きたの?
私は不安な気持ちになり、膝の上の右手を握り締めた。
「いえ、大量発生した雪クラゲはほとんど処分しました」
「そうですか、よかった」
「な~んにもすることがなくて皆が退屈していたところ、東の森付近で密造酒の製造工場が見つかりまして」
「え?」
意外に平和だった?いや、密造酒の製造工場って平和じゃないな?
「そんな物が領内にあるなんて」
私が驚いていると、アルフレイド様が私にもわかるように説明してくれた。
「東の森を出ればすぐにレックス侯爵領に入る。二つの領地の境界にその工場はひっそり建てられていた。レックス侯爵が密かに作らせたものだろう」
森の中だからバレないと思った? 自領のどこかに作ればいいのに……。
侯爵は一体何を考えているんだろう?
疑問に思っていると、今度はダナンさんが説明してくれる。
「密造酒は闇ルートで販売するため、酒税の徴収を免れる分、儲けが大きいです。それに法律の規制以上にきつい酒を飲みたい貴族に人気があるのです」
「ひどい」
「侯爵もこれほど早く工場が見つかるとは思っていなかったでしょう。しかし今回の件は、密造酒の製造過程で出た果実の搾りかすが原因で大量の雪クラゲが発生して──犯罪行為が露見しました」
「ええ!?」
「雪クラゲの主食は樹液なんですが、工場の者たちが果実の搾りかすをよりによって我が領内に不法投棄したせいでそこに雪クラゲが集まったようです」
信じられない!密造酒を作って脱税するばかりか他人の土地に不法投棄するなんて!
一部の者は捕らえてカイル様が牢に入れたらしい。
「密造に不法投棄なんて最低な人たちですね!!レックス侯爵にはいつ抗議するんですか?」
私は怒りながら尋ねるが、グランディナさんが「難しいです」と首を横に振っていった。
「残念ながらまだ証拠が足りません。逆にこちらが密造酒を作っていたのではと疑われる可能性もあるので……」
罪をなすりつけられるなんてたまったものではない。
今すぐ訴えられないのがはがゆかった。
アルフレイド様は、私がずっと握り締めていた手をそっと握る。
「販売ルートは押さえている。関係者の証言や証拠品を押さえて、国王陛下に陳情書を提出するつもりだ。ただしそれよりも問題なのは──東の森から近い渓谷に、レックス侯爵の兵が潜んでいることだ」
「兵が!?どうして……」
「クラッセン領に侵攻するつもりだろう。今はタイミングを見計らっているのかと」
国王陛下の生誕祭はほとんどの貴族が参加する。
アルフレイド様が不在の今なら勝てると思った……?
「レックス侯爵は領地戦を起こす気ですか?でもそれなら国王陛下の許可が必要なんじゃ……」
いくら侯爵でも、勝手に他領を侵略なんて許されない。
領地戦になるなら「正当な理由」と「国王陛下の許可」が必要になる。
「さすが奥様、陛下の許可が必要だとご存じでしたか」
ダナンさんが不思議そうに言う。
「はい……領地戦に参加した騎士の手記を読みましたので」
祖父の家で、戦関連の本はたくさん読んだ。
あるときは縁談の不成立がきっかけで、またあるときは穀倉地帯の保有権を巡って、大小規模は異なるが領地間の戦はたびたび起きている。
「陛下もさすがに許可しないだろう。ただし侵攻したあとで自分たちの正当性を主張し、勝利してしまえばいくらでも事実を捻じ曲げることは可能だ。たとえば、こちらが密造酒を製造していたことにして『魔物が増えて困り果てたから戦を起こした』と罪をなすりつけるとか」
アルフレイド様は静かに怒りを孕んだ声でそう言った。
「歴史は勝者が書き換えるものですからね」
やれやれといった表情でダナンさんが呟く。
グランディナさんも小さくため息をついた。
「相手の動きはわかっている。生誕祭が終わった翌日に奇襲をかけるつもりだろう」
「!」
「心配ない。イールデンを出る前に、カイルを総指揮官として騎士を東の森に集めておいた。領主の俺がいなくても十分に戦えると信頼している。俺は生誕祭が終わり次第、騎士と共に王都を出て馬で戻るつもりだったんだ」
「…………」
私の知らないところで、こんな重大なことが起きていたなんて。
呑気に笑っていた自分が恥ずかしくなってくる。
きっとアルフレイド様は私に心配をかけないよう何も言わなかったんだろうな。
公爵夫人としてアルフレイド様を支えられないのが悲しい。
「──だが、カイルが伝令係も使わずなぜここに来ている?」
確かに総指揮官様がなぜ目の前にいるのか?
皆の視線が一斉にカイル様に注がれる。
彼はまっすぐにアルフレイド様を見つめ、真剣な顔で言った。
「それが……一昨日の夜、突然にレックスの兵が引き上げました」
「兵が引き上げた?」
アルフレイド様も予想外だったらしく、驚きを隠せない。
ダナンさんも「まさか」といった風に尋ねた。
「あのクソ片眼鏡が撤退なんてあり得るんでしょうか?集めた兵を引くと大損ですよ?」
グランディナさんの言う通り、戦が起きなくても雇った兵には給金を払わなくてはいけない。兵が勝手に引き上げるわけはないし……。
「兵がいなくなったのは事実です。なので、『もしや王都でアルフレイド様の身に何かが起きたのか?』と……ミランダに乗って急いで駆け付けたのですが何もなかったようですね?」
カイル様は勘違いでよかったと笑った。
「ご覧の通りアルフレイド様はお元気ですよ。暗殺される気配はありません」
ダナンさんが笑顔で答える。
「俺が死ねば強引に侵攻する必要はないからな。兵を引く理由にはなるな」
「アルフレイド様までそんな怖いことを」
アルフレイド様が納得した表情で淡々と話すから、私はおそろしくてその手をぎゅうっと強く両手で握り締めた。
「大丈夫だ。リネット」
私を見つめるアルフレイド様の目が優しい。
この方がいなくなったらと想像するだけでゾッとした。
「あの、王妃様と侯爵は仲がいいんですよね?私が王妃様にもう一度会って、探りを入れるとか」
「それはダメだ。リネットの身が危なくなる」
きっぱりと否定される。
アルフレイド様だけでなく、ダナンさんにもグランディナさんにも「やめた方がいいです」「危険です」と止められた。
自分から提案したけれど、やっぱり私には無理よね……と思ってしまった。
何の役にも立てない自分が恨めしい!!
頭を抱えていると、アルフレイド様がカイル様に向かって言った。
「報告に感謝する。今夜はゆっくりしていくといい」
「いえ、夜にはここを出ます。ミランダは夜行性なので散歩がてらに走ります」
「散歩」
イールデンと王都はかなり離れていますが?
さすが魔物とのミックス猫……!
散歩の規模が違う。
「では、せめてお部屋でお休みください。客間を用意しますので」
「ありがとうございます、奥様」
カイル様は笑顔でお礼を述べると、メイドに案内されて客間へと向かった。
「領地戦が起きないのはいいことですよね……?」
私がぽつりと尋ねれば、アルフレイド様は「ああ」と答える。
たとえ勝利したとしても、ひとたび戦が起これば被害がゼロというわけにはいかないし、領民たちの生活にも影響が大きい。
何もなければそれが一番だ。
少しホッとする。
「リネット、俺はしばらく忙しくなると思う。すまないが──」
アルフレイド様が申し訳なさげに目を細めた。
あっ、ここで寂しいとかわがままを言ってはいけない。
私は慌てて告げる。
「大丈夫です!!グランディナさんやマイラもいてくれますし、全然平気ですからお気遣いなく!」
「そ、そうか」
役に立たない妻ですが、おとなしく過ごすくらいはできる!
心配性なアルフレイド様が心配しないように、私は笑顔でいよう。
執務室へ戻っていくアルフレイド様が何度も振り返ってこちらを見ていたけれど、私はずっと笑顔で「大丈夫ですよ」と伝わるように手を振り続けた。




