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冬。鉄塔。令和ギャル。―閉じた世界を照らす灯火―  作者: 乙都セイ


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⑧「全然、ダサくないっしょ」

 一月六日。


 彼女がいつものテンションで「アルちゃんに会いに来た」と図々しく俺の部屋に転がり込んできた。

 けれど、いつもなら真っ先に駆け寄るはずのキャットタワーには、一度も近づこうとしない。


 アルが不思議そうに彼女の足元を回る。

 テレビのノイズだけが響く中、彼女は膝を抱え、ただじっと自分の指先を見つめていた。その指には、あちこちに痛々しい絆創膏が巻かれ、剥き出しの関節は赤く腫れている。


「……ねえ、お兄さん」


 ぽつりと、掠れた声が落ちた。


「お兄さん、笑う?」

「あたし……美容師なれんかったら、マジで……」


 顔を上げた彼女の瞳は、今にも決壊しそうなほど揺れていた。

 聞けば、学校の課題――『ワインディング』という、髪をロッドに巻く基礎技術がどうしても上手くいかないのだという。指にタコができるほど繰り返しても、規定の時間に間に合わない。締め付けが甘いと教官に怒鳴られ、同期が先に進んでいく中で、自分だけが冬のぬかるみに足を取られている。


「お母さんもお姉ちゃんも、あんなに軽々とハサミ振ってるのに。あたしだけ、どうしても上手くできなくて……。ねえ、今のあたし、全然可愛くないよね。ダサすぎっしょ……」


 無理に作った自嘲気味な笑み。

 俺には、それが彼女の『灯火』を守る最後の防壁のように見えた。

 アルに会いに来たなんて嘘だ。本当は、独りきりでその防壁が崩れるのが怖くて、ここへ逃げ込んできたんだろう。


 無言で立ち上がり、キッチンへ向かった。

 慣れない手つきでマグカップを取り出し、彼女が以前教えてくれたスティックタイプのココアと、隠し味のつもりで棚にあった黒い粉を混ぜる。戻り際、引き出しから救急箱を掴んだ。


「……これ、飲めば」


 湯気の立つカップを、彼女の傷だらけの手のひらに押し付ける。彼女は不思議そうにカップを見つめ、それから一口、慎重に飲み込んだ。


「……っげ、……にがっ! お兄さん、これ何入れたの!?」

「え? ……ココアだろ? あと、棚にあった黒い粉を……」

「それ、インスタントコーヒーっしょ! ココアにコーヒー混ぜるとか、どんな闇の配合!? ガチで味覚のバグなんだけど!」


 彼女が涙目になりながら、ゲラゲラと笑い出した。

 顔が火が出るほど熱くなるのを感じて、そっぽを向く。


「……うるさい。良かれと思ってやったんだよ」


 その笑い声が、部屋の刺すような冷気を少しずつ溶かしていくのが分かった。

 その隙を見逃さず、彼女の右手を静かに取った。


「ちょっ、お兄さん!?」

「練習の邪魔になるから、とか言うなよ。今は、練習中じゃないだろ」


 汚れた絆創膏を丁寧に剥がし、消毒綿で赤く腫れた指先を拭う。彼女は小さく身悶えしたが、やがて諦めたように俺に手を委ねた。

 その時、アルが静かに歩み寄り、彼女の膝の上に飛び乗った。いつもならおやつをねだるはずのアルが、今日だけはただ、彼女の痛々しい指先に鼻を寄せ、喉を「クルルッ」と鳴らして体温を分け与えている。


「アルちゃんまで……。なんか、ずるいじゃん、みんなして」


 彼女の声が、また少し湿り気を帯びた。新しい絆創膏を貼り終えた俺は、鏡に映る自分の髪を指差した。


「……全然、ダサくないっしょ」


 彼女の目を見ないまま、あえて彼女の口調をなぞった。


「毎日、指がそんなになるまで練習してんじゃん。時間オーバー? 締め付けが甘い? そんなの、伸び代しかないっしょ。爆速で成長するための、フリみたいなもんじゃん」


 一言吐き出すたびに、心臓がうるさい。


「あんたが俺のこの髪を切って、この色を見つけたんだろ。鏡の中の俺を変えたのは、紛れもなくあんたの技術だ。自分の実力を信じてる俺まで否定すんなよ」


「美容師になれなくても笑わない。でも、君はなるよ。俺の、この適当に伸びた髪を『重い』って言って笑ったやつが、途中で投げ出すわけないだろ。……だから、そんなに震えてんなよ。優勝するんだろ、君が」


 部屋が静かになる。

 彼女は、苦いココアの湯気の向こうで、じっと俺を見ていた。


「マジお兄さんに励まされるとか一生の不覚すぎて森。でも超元気出た、マジでありがと」


 鼻をすする彼女を見て、「あ」と思い出し、立ち上がった。


「……そうだ。これ、やるよ。本当はもっと後で渡そうと思ってたんだけど」

 クローゼットの奥から、かなり嵩張る大きな袋を引きずり出してきた。


「え、何これ、デカっ!?」

「初詣の帰り、ローソン寄ったら一番くじまだやっててさ。一回だけ引いたら、これが当たった。……君が好きそうだなと思って」


 袋から取り出したのは、鈍く銀色に光る、巨大で丸っこい塊。

 『メタルキング』のビッグクッションだった。


「ちょっ、待って、メタキンじゃん! しかもこれ、A賞のやつっしょ!? お兄さん、引き強すぎなんだけど!」


 さっきまでの沈んだ空気が嘘のように、彼女の目が爛々と輝き出す。俺は少し照れくさくなって、その銀色の巨体を彼女の膝の上に押し付けた。


「……お兄さんのこと、最初は『メタスラ』とか呼んでたけどさ。まさか自分から王様差し出してくるとか、マジ激アツなんだけど」


 彼女は絆創膏だらけの手で、巨大なクッションをぎゅっと抱きしめた。


「……そいつ、経験値の塊だろ? 今、君に一番必要だと思った。これ倒して、さっさとレベル上げろよ」


「……経験値、か。あはは! 確かに。今のあたし、レベル上げの真っ最中だもんね」


 彼女はメタキンのクッションに顔を埋め、モチモチの感触を確かめるように深く沈み込んだ。


「あー……これ、めっちゃ癒やされる。……なんか、お兄さんそのものって感じ。もうガチ逃さないから」


「そいつを倒す頃には、ワインディングも間に合うようになってるだろ」


 彼女はメタキンの頭に顎を乗せ、上目遣いで俺を見た。


「……マジ、お兄さんガチでホイミンじゃん。手当、手厚すぎ。……サンキュ。これ抱えて、明日からまた爆走するわ。爆速でレベル上げて、秒で優勝してくるから!」


 彼女は鼻をすすり、いつもの、でも少しだけ本当に強くなった笑顔を見せた。

 膝の上の銀色の王様が、部屋の灯りを反射して、静かに彼女の再起を祝っているようだった。

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