④「あ、ホイップ追加で!」
感慨に耽りながら、雪の積もった道を歩き出す。
一歩、二歩。
軽くなったのは、切り落とした髪だけではないみたいだ。
また、いつか髪を切りに来よう。
そんなことを考えていた、その時だった。
不意に背後から、グイッと腕が組まれる。
その勢いのまま、さらに一歩、二歩と前へ押し出された。
「……えっ?」
驚いて横を見ると、さっきまでハサミを握っていた彼女が、また当然のような顔をして俺の腕に自分の腕を絡めていた。
戸惑う俺を見て、彼女は「にししっ」と今日一番の無邪気な笑みを浮かべる。
「カレーまん買いに、レッツゴー!」
確かにそんなことを言っていた。
まさか俺を連れて一緒に行くとは思ってなかったけど。
「あたし、カレーまんはローソンがいいんだよねー」
「……え、さっき食べてた肉まんとあんまんは、ローソンじゃなかったのか?」
つい気になって訊ねると、彼女は「甘いなー」と言わんばかりに人差し指をチッチッと振った。
「うん、ちがうよー。肉まんはセブンで、あんまんはファミマ!」
「…………」
中華まんなんて、どこも同じじゃないだろうか。
ヤマザキか、井村屋か、中村屋か。
メーカーの差はあれど、コンビニをハシゴするほどの違いがあるなんて、今の今まで考えたこともなかった。
「あ、その顔、バカにしてっしょ?」
「……バレましたか」
「当たり前! お兄さん、顔に出すぎ」
彼女は頬を膨らませて抗議する。
「味の違い、そんなにありますか?」
「あるよ! 全然ちがう! あんまんも買うからシェアしよ!」
彼女の歩くスピードがぐんと上がった。
腕を組まれたまま、引きずられるように歩調を合わせる。
さっきまで、ただの「通過点」でしかなかったはずの無機質な住宅街の景色が、彼女のマシンガントークによって、まるで塗り絵が完成していくみたいに鮮やかな色彩を帯びていく。
ある店の前を通りがかった時、彼女は急ブレーキをかけて止まった。
そこは、家を出てここへ来る途中に通り過ぎた、あの小さなクレープ店の前だった。
まさか。
さっきあんまんと肉まんを完食し、今からカレーまんとあんまんを買いに行こうとしている人間が、これも食べるとでも言――
「すみませーん! スペシャルプリンアラモードクレープ、ひとつ下さい! あ、ホイップ追加で!」
言った。
しかも、一番重そうなやつを、さらに重くして。
呆れを通り越して、もはや畏怖すら覚える。
でき上がったクレープを受け取ると、彼女はもぐもぐと幸せそうに頬張りながら、当たり前のような顔をしてそれをこちらに差し出してきた。
断れる雰囲気でもなく、俺はまだ彼女の口がついていない端の方を一口かじる。
「……美味い」
「でしょ! あたし、昔からここのクレープで育ってるからさ。他のところだと、なんか物足りないんだよねー」
彼女は誇らしげに笑う。
どうやらこの街の「味」は、すべて彼女の血肉になっているらしい。
その後、ようやく目的地のローソンに到着した。
彼女はレジ横の『ドラゴンクエスト一番くじ』を見つけると、「あ! はぐメタのフィギュアあるじゃん!」と身を乗り出して激しく迷い始めた。
そのとき、スマホの時計を見て「……あー、でもバイトあるしな。荷物になるし今日は断念!」と、後ろ髪を引かれる思いでレジを離れる。
「……まあいいや! 今日は本物のお兄さん捕まえたし、運は使い果たしたかも! にししっ!」
勝手な言い分に呆れながらも、なぜか悪い気はしなかった。
そして約束通り、彼女は買いたてのカレーまんとあんまんを手に外へ出た。
「ほら、食べてみて」
二つに割られたあんまんから、真っ白な湯気が勢いよく立ち上がり、夜の冷気に溶けていく。
差し出されたそれを、一口。
さっき鉄塔の下で無理やりねじ込まれた時は、あまりの熱さと唐突さに味がよくわからなかったけれど、こうして落ち着いて食べてみると、確かに違う。
生地の弾力、餡の密度。
ほんの少しの違いなのに、それが決定的な「好み」の差になるのだと、初めて知った気がする。
「……確かに、さっきのとは違う気がします」
「でしょでしょ! お兄さんもだんだん『こっち側』の住人になってきたね、にししっ!」
彼女は満足げに笑うと、今度はカレーまんを大きく一口かじった。
「……それにしても君、食費大変じゃない?」
「あはは、大丈夫だよ! あたし、そこのお好み焼き屋さんでバイトしてるし」
彼女が指差したのは、ここに来る途中に見かけた古びた暖簾のお好み焼き屋だった。
「週五で入ってるからしさ。バイト終わったら賄いも食べれるし、食費は意外と浮いちゃうんだよね」
(……絶対、その賄いが目当てだろ)
心の中で鋭くツッコミを入れたが、彼女の幸せそうな顔を見ていると、それも一つの立派な「生活」の知恵に思えてくる。
「美味しかった〜! ……あ、ヤバ。そろそろバイト行かなきゃ」
あっという間に食べ終え、時計を見た彼女が慌てたように腕を解いた。
正直、またそのままお好み焼き屋へ拉致されるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
「じゃね、お兄さん! ちゃんとLINEしてよ? あとアルちゃんにもよろしくー!」
嵐のように去っていく彼女の背中を見送りながら、冷たい空気の中で、新しくなった髪をそっと撫でた。
◇◆◇
家に戻り、玄関でスニーカーを脱ぐ。
キャットタワーから「遅かったな」と言わんばかりに顔を上げたアルに、今日あったことを話した。
雪が降っていた。見慣れない電波塔を見つけた。
この半年で一番、騒がしい冬の休日を過ごした。
アルは俺の新しい髪型を不思議そうに眺めたあと、「クルルッ」と喉を鳴らして、また眠そうに目を閉じた。
俺の指先に残る、あのあんまんの温もりまでは、まだ伝わっていないかもしれない。
明日からの景色は、たぶん、今までとは少しだけ違って見えるはずだ。




