第九話 世間知らず発動!
凛奈は、黎真とともに、街の大通りらしき道を歩いていた。
愚者たちからの予告状があったにもかかわらず賑わっている様子に首を傾げながら、凛奈は一歩一歩都会の雰囲気を味わっていく。
立ち並んだ高い建物、石で舗装された道、飛び回る異形の鳥。どこを見ても新鮮な景色に、凛奈は心を躍らせる。
凛奈の前で動きまわる、標識に書かれた細かい文字には、妙な威圧感があった。
少し不満があるとすれば……景観に似合わない、胸の奥に沈むような空気だろうか。
「うーん、ちょっと、だいぶ気まずいから、なんか話そう。聞きたいこととか、ない?」
沈黙に耐え兼ね、黎真が口を開いた。
「聞きたいこと?」
「あ、ああ、ここはどこーとか、なんか……沈黙、嫌だけど話題がなくて……」
「ふーん」
凛奈は思わず頬を緩めた。
(なにそれ、かわいい)
どっからどう見ても、黎真はまだ小さい子供である。人としての経験量に関していえば凛奈と大差ないであろうとはいえ、黎真はせいぜい、背伸びをしようとする子供だ。
自称お姉さんの凛奈から見たら母性をくすぐられる存在である。
少し意地悪をしてやろう、凛奈は目を細めた。身構える黎真。
「じゃあー、この街、えーと、バイオだっけ? 案内してよ」
「……?」
風が止んだ。黎真の顔の、張り付いたにやけ顔が一瞬崩れた。凛奈はにやりとした。
(ふふ、焦ってる焦ってる)
「んや、案内はもともとするつもりだったから、えーと、わかった」
「ありゃ、焦らない……だって!?」
「え、うん」
凛奈はわずかにたじろいだ。表情が崩れた。
(おかしい。凛賀なら、焦って困って、そしてため息をつくはずなのに……?)
「なにその踊り、呪いの儀式でもしてる?」
「へ? っは!? ええ?」
凛奈は年齢に反して、人生経験が少なく、そして偏りすぎている。凛奈にとって他人は九割以上凛賀であり、目の前の少年が見せた反応は完全に初見のものである。
……厳密に言えば初見ではないが。
(確かに、こういう反応をしてるところを知ってはいるけど! 私が起こせるとは思わないじゃない!?)
凛奈を見ながら、黎真がつぶやく。
「ああー、そっか、なるほど。新しい仲間は、あがり症の社会不適合者だったらしい」
「き、聞こえてるから! っていうか、違うし、お姉さんですー」
「はーいはい、わかったわかった。とりあえず、コップ買いに行こう」
「むー、お姉さんなのー!」
腕をばたばたさせて、凛奈は気づいた。何の苦もなく、体が動く。動いてしまう。視界に映る腕が、記憶よりも長い。そうだ、いまは、……そして弟は。
(よそう、いまは何も考えない、そうきめたでしょ?)
凛賀の体をかぶっている以上、お姉さんというのも変な話だ。凛奈は心の中で微笑み、前を進む頼もしい少年についていった。
* * *
「ここだよ」
何も考えず凛奈がついていった先にあったのは、小さな小屋だった。「よう そ」と書かれた看板が掛かった門、その先に立ち並ぶ、弱り果てた様子で脈打つしわしわの建物たち。
どんよりとした雰囲気の中にあってもなお、煌びやかな都会の雰囲気に負けず劣らず、確かな存在感を放っていた。
「ここ?」
「そう、ここ。研究施設が立ち並んでて、コップも養殖してるらしいんだよね」
「養殖!?」
「そう、養殖。あれ、君が投げたコップ、遺伝子改造生物の殻そのままなんだってさ」
「へ、へえー?」
(何か忘れてる気がする……)
「すごいよね、バイオって。流石、改造生物の街というだけある」
(あ、そういえば! 投げたこと謝ってない!)
凛奈は冷や汗を流した。恐る恐る、手を合わせる。
「ご、ごめんね? コップ投げちゃって……」
「……ん? ああ、いいよいいよ、それくらい。というか、あの場所で動けたこと、誇っていいよ」
「え、あ、ありがと……」
「まあ、聖者くらい意図的だったら、本気でぶん殴るけどね」
「あ、あはは……」
どうやらまったく気にしていないらしい。凛奈は胸をなでおろした。
そんな凛奈に、第二の衝撃が襲い掛かる。
(コップの養殖!?)
オーソドックスなコップは、木や殻を削ったものだ。見た目、使用感ともに申し分なく、水も漏れないコップを作るにはそれなりの手間とコストがかかる。
しかし、それを養殖することも難しいはずだ。生物には、少なからず個体差がある。
半信半疑のまま、凛奈は黎真についていった。
歩くこと数分。建物の中でもひときわ老いた、生臭い養殖場。
たくさんの生き物が作り出す奇怪な臭いに、思わず鼻をふさぎながら、二人は慎重にドアを開けた。ドアの先には、退屈そうな老婆が一人、カウンターの奥で静かに座っていた。
「おや、お客さん、いらっしゃい」
「ああ、おばちゃん、コップをいくつか買いたいんだけど……」
「コップかい? ごめんなさいねえ、今ちょっと忙しくてねえ……助けが欲しいくらいだねえ……」
ため息とともに、黎真の瞼が少し落ちた。凛奈は首を傾げる。
「あー、そっかあ……ごめん、嵩陽。ちょっと仕事が入った」
「? どゆこと?」
「おばちゃん、僕の犠牲の問題だ。手伝わせてよ」
「おや? そうかい……犠牲なら仕方ない、しかし、簡単に入れるわけにはいかないねえ……」
「じゃ、じゃあ! 日雇い、日雇いならどう!?」
これまでの落ち着いた様子から一転、汗をふき出しながら身を乗り出して交渉する黎真に、凛奈は違和感を感じずにいられなかった。
(犠牲、そっか、助けてって言うと……どうしてそんなに焦っているの?)
常に特殊能力が発動し、常に犠牲が付きまとう凛奈には、急に表れる犠牲の恐ろしさや、その犠牲を満たせなかったときの反動を想像できなかった。
「必死だねえ……犠牲かあ……仕方ないねえ、いいよ、おいでえ」
「おお、ありがとう、おばちゃん!」
「そっちの坊やもついておいで」
「わ、私も?」
「ごめん嵩陽、てつだってほしい」
(仕事、したことないんだけど……大丈夫かな?)
今この場にいることすら奇跡と言える凛奈。そんな彼女に、初めての職業体験が襲い掛かろうとしていた。
老婆についていった先にあったのは、広い水場とたくさんの温度計、そして蠢く生臭いの塊。全く同じ形の殻を持った、たくさんの生き物が育てられている。
これが養殖か、と凛奈は手をたたいた。
「な、なにこの生き物! すごい!」
全く個体差のない集合体に目を輝かせながら、凛奈はあたりを見渡した。施設の端から端まで、見たこともない小さな生き物たちが、エサを用意したり水場を掃除したりしている。
視界の隅に、違和感が映り込んだ。目を細める老婆と、体を抱く黎真。
凛奈は悟った。
「もしかして、二人とも、にゅるにゅるが……」
「ほっほっほ、はずかしいねえ」
「しょ、しょうがないでしょ、こういう生き物は苦手なんだ……」
かくして、凛奈の、初めてのお仕事が始まった。
* * *
「収穫がこんなに大変だなんて、思わなかった……」
ふらついた足取りで歩く凛奈。そのそばには誰もいない。
凛奈は、転び、壊し、潰して、養殖所を出禁になったのだ。
仕事どころか、自力で満足に動いた経験すらなかった凛奈には、やはり厳しいものがあったのである。
しょんぼりしながら、凛奈は命の危機を感じていた。
「……黎真には、外で待っててって言われたけど……やっぱり、そろそろ限界かな……」
凛奈の特殊能力が、常に体を蝕んでいるのだ。黎真からもらった水で食い止めていたが、凛奈はその限界を感じていた。
しかし、出禁になった以上、黎真の元へ助けを求めに行くこともできない。
「……大丈夫、名さんのところに行けば、なんとか……」
凛奈は一人、ふらつきながら宿へ向かって歩みを進める。ゆっくり、不安定なままで。
聖者たちが一時的な拠点としている、聖者が窓を割った宿に行けば、名が助けてくれる。頭に流れる位置情報と、そんな直感を信じて、凛奈は歩き続ける。
しかし。凛奈の意志に反して、凛賀の体の動きは鈍くなっていく。意識が朦朧とする。足が動かなくなり、地面が近づいてくる。這って進もうとする腕から、熱が消えていく。
流れ込む情報の波。凛賀の心臓の音。それだけが、凛奈の世界を支配する。
(ここまで、かあ……)
口の中で、砂が音を立てる。辛うじて砂ごと息を吸い込んでも、咳が出る気配はない。
(……ごめん、凛賀。こんなお姉ちゃんで、ごめんね……)
凛奈の意識が、ぷつりと途絶えた。
動けない、意識もない。だが。
凛奈の特殊能力は、ひとつの小さな人影を、最後の記録とした。
「偽、真を助ける。誓う。許せ、揺する……赦さない」
* * *
凛奈は目を覚ました。記憶だけが覚えている知らない声と、名の声。二種類の声に挟まれて、凛奈の頭は働き始めた。
(話し合いをしてるのかな)
名の声を聞いたからだろうか。視界が暗転する前とは異なり、凛奈は穏やかな気持ちだ。
目を覚ましたとはいえ、目が開いたわけではない。いまだ動けない凛奈は、他人事のように二人の会話を聞き流す。
「自由度に助けられた。偽、悔しい」
「そ、そうかぁ、それはつれぇな……」
(何の話をしてるんだろう? 自由度?)
少女の姿を確認しながら、凛奈は次の声を待ちわびる。
長い沈黙の末、少女の口から、凛奈にもわかるほど鋭い感情が湧きだした。
「真。偽、襲いに行っていい? 赦せない」
低くはない。高くもない。ただ、どす黒い声。凛賀の体に、鳥肌が立った。
「……だぁぁめだ、それはぁ。今はぁ、一応、喧嘩しねぇ、ってことになってんからなぁあ……」
「……偽、語った。自由度と、過去、因縁。そのために、ここにいる。名、許せ」
かわいらしい声だ、実際は。それなのに、凛奈の視界にはっきりと、どす黒い内側がうつっている。
凛賀の体が震えだした。
凛賀の体だけではない。家具も、今いる建物も、少女が発する”何か”におびえるように、震えている。
「……由逢。はっきり言うがぁ、やめろ。二の舞に、なるぞ?」
独特な話し方をする名の、真剣な声と、血走った瞳。由逢と呼ばれた少女が、唇を噛んだ。唇には血。目元には涙。
蚊帳の外で、文字通り見下ろし、澄み渡った他人事のまま、凛奈は、じっとしているしかなかった。
「偽、わかってる。わかって、いる」
「……あぁ」
誰かが真面目な話をしているとき。蚊帳の外の人間は、どうでもいいことを考えている。
泣き崩れる親族に囲まれた死者は、こんな感覚なのかな。凛奈はそう、ぼんやりと考えながら。ゆっくり、目を開いた。




